逆走!アカデミー賞

米・アカデミー賞を何処までも逆走していく、ネタバレと少しの熱さの、ゆるい映画紹介ブログです。

映画『グランド・ブダペスト・ホテル』〜紹介・解説【ネタバレ】おしゃれなだけじゃない!これぞまさにウェス・アンダーソンのフェイズ1の集大成にしてフェイズ2の始まりでもある重要な1本〜【第87回アカデミー賞】

 


『グランド・ブダペスト・ホテル』

 

第87回アカデミー賞(2015)

 

★【美術賞】

★【衣装デザイン賞】

★【メイキャップ&ヘアデザイン賞】

★【作曲賞】

 

 

f:id:GYAKUSOUacademy:20200726190943j:plain

(C)2013 Twentieth Century Fox

 

原題 : 「The Grand Budapest Hotel 」

公開年 : 2014

製作国 : アメリカ・ドイツ

 

監督 : ウェス・アンダーソン

製作 : ウェス・アンダーソ、スコット・ルーディン、スティーブン・レイルズ、ジェレミー・ドーソン

製作総指揮 : モリー・クーパー、クリストフ・フィッサー、フェニング・モルフェンター

原案 : ウェス・アンダーソン、ヒューゴ・ギネス

脚本 : ウェス・アンダーソン

撮影 : ロバート・イェーマン

美術 : アダム・ストックハウゼン

衣装 : ミレーナ・カノネロ

編集 : バーニー・ピリング

音楽 : アレクサンドル・デプラ

音楽監修 : ランドール・ポスター

キャスト : レイフ・ファインズ、F・マーレイ・エイブラハム、マチュー・アマルリック、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォー、ジェフ・ゴールドブラム

 

 

なんかもうおしゃれな映画って観たい!って時ありますよね?

例えば、仕事から帰り玄関の扉を開けた時に、何?この生活感溢れるこのダサい部屋…とかふと急に思ってしまう事とか全員月に1度はあるじゃないですか?(決めつけ)

そんな時は、この映画なんかはうってつけじゃないですかね。

 

豪華キャストによるおしゃれな世界観の大人なコメディドラマ!

 

そして、この映画というよりは、この映画を作った人。

アメリカ映画界でも屈指のおしゃれ映画職人のウェス・アンダーソンという監督の作品である!ということ自体が特徴になってしまうところなんかを色々と紹介できたらと思います。

今の映画好きにはおなじみの監督と言ってもいいですね!

 

 

おしゃれな映画だぁ?そんな気分じゃねえ!

という人はとりあえず今日のところは『激情版 エリートヤンキー三郎』でも観るといいかと思います。

 

 

 

 

あらすじ

 

時は第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間である1932年、ヨーロッパの高級ホテル『グランド・ブダペスト・ホテル』

この誰もが憧れる華やかなホテルには最高のコンシェルジュとして名高いグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)がいて、彼の顧客に対する行き届いたサービスは年老いたマダムの夜を満足させるところにまで及び、そんな彼を目当てに客達はグランドブダペストホテルに足を運ぶほどでした。

その中の1人であるマダム・D、彼女もまた長年グスタヴを目当てにホテルに訪れていましたが、ある時「もう会えない気がする」と寂しそうな顔をして帰っていきました。

1ヶ月後、新聞でマダム・Dの死亡記事を見たグスタヴは駆け出しロビーボーイのゼロと共にマダムの邸宅であるルッツ城へ急いで向かいます。

そこから2人は、マダム・Dの遺産をめぐる騒動に巻き込まれていくのです。

 

マダム・Dの殺人容疑をかけられたグスタヴは真相を突き止めれるのか。

 

豪華キャスト陣の濃いキャラクター達によるドタバタ劇。

 

おしゃれで笑える冒険活劇の裏にあるメッセージとは何なのか。

 

 その辺に注目して観ると楽しいかと思います。

 

 


「グランド・ブダペスト・ホテル」予告編

 

主要登場人物&キャスト

 

● ムッシュ・グスタヴ・H 役

演 : レイフ・ファインズ

劇中ではグランドブダペストホテルのコンシェルジュ、グスタヴを演じています。

 

イギリス・サフォーク州出身のイギリスの俳優さんです。

舞台俳優としてキャリアをスタートさせ、その後映画にも出演したするようになります。

1993年のスピルバーグ監督による映画『シンドラーのリスト』でのナチスのSS将校アーモン・ゲート役が評価され映画俳優として注目してされるようになります。

その後は『イングリッシュ・ペイシェント』を始め数々の映画に出演します。

その中でも幅広い世代に知られるのは『ハリー・ポッター・シリーズ』の最大の敵である闇の魔法使いヴォルデモートじゃないでしょうか。

 

 

 

● ミスター・ムスタファ 役

演 : F・マーリー・エイブラハム

劇中では1968年の寂れた時代のグランドブダペストホテルの孤独なオーナームスタファを演じています。

 

アメリカ、ペンシルバニア州ピッツバーグ出身の俳優さんです。

シリアから移民した父親と、イタリア系アメリカ人の母親との間に生まれます。

『スカーフェイス』を始め様々な映画に出演しています。

その中でも代表的なのは『アマデウス』のサリエリ役で、その年のアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。

 

 

 

● ゼロ 役

演 : トニー・レヴォロリ

劇中ではグランドブダペストホテルのベルボーイのゼロ(後のミスター・ムスタファ)を演じています。

 

カリフォルニア州アナハイムで生まれたアメリカの俳優さんです。

両親はグアテマラのフティアパ出身で、父親もグアテマラで俳優をしていました。

2歳のとき子役としてキャリアがスタートし、この作品で注目されます。

その後は『スパイダーマン : ホームカミング』『スパイダーマン : ファー・フロム・ホーム』などに出演しています。

 

 

 

● アガサ 役

演 : シアーシャ・ローナン

劇中では菓子店メンドルの店員アガサを演じています。

 

ニューヨークで生まれ、3歳の時にアイルランドに移り住んだアイルランドの女優さんです。

 

9歳の時に子役としてキャリアをスタートさせ、アイルランドのTVシリーズなどに出演します。

2007年の映画『つぐない』で13歳という史上7番目の若さでアカデミー助演女優賞にノミネートされ一気に注目されます。

その後は『ラブリーボーン』『ブルックリン』『レディ・バード』などで主役を務めるなど活躍しています。

 

 

 

● マダム・D 役

演 : ティルダ・スウィントン

劇中ではマダム・Dを演じています。

ロンドンで生まれイギリスの女優さんです。

 

名門ケンブリッジ大学を卒業後ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで演劇を学びます。

1986年の『カラヴァッジォ』で映画デビューを果たし、その後は『ザ・ビーチ』『ディープ・エンド』『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』『オクジャ/okja』をはじめ数々の映画に出演しています。

2007年の映画『フィクサー』ではアカデミー助演女優賞を受賞しています。

近年では『ドクター・ストレンジ』『アベンジャーズ  /エンドゲーム』などにも出演しています。

 

 

 

● セルジュ・X 役

演 : マチュー・アマルリック

劇中ではマダム・Dの屋敷に務める執事のセルジュを演じています。

フランスのオー=ド=セーヌ出身のフランスの俳優さんです。

1984年に『Les Favoris de la Iune』で映画デビューし、主にフランス映画の世界で様々な作品に出演します。

そして、主演を務めた2007年の映画『潜水服は蝶の夢を見る』がアカデミー賞の4部門にノミネートされ、注目を集めます。

 

 

 

● ドミトリー 役

演 : エイドリアン・ブロディ

劇中ではマダム・Dの長男で、遺産を狙うドミトリーを演じています。

ニューヨークのクイーンズで生まれのアメリカの俳優さんです。

 

1986年にテレビ映画でデビューします。

その後は様々な映画に出演し、2002年の映画『戦場のピアニスト』では29歳という史上最年少でアカデミー主演男優賞を受賞します。

ちなみに、ウェス・アンダーソン作品にもよく出演しています。

 

 

 

● ジョプリング 役

演 : ウィレム・デフォー

劇中ではドミトリーの右腕で、私立探偵を名乗る危険な男ジョプリングを演じています。

 

アメリカのウィスコンシン州出身のアメリカの俳優さんです。

1981年の『天国の門』で映画デビューしますが、編集の都合でカットされます。

1985年の映画『L.A.大捜査線/狼たちの街』で注目され、1986年に『プラトーン』で世界的な評価を得ます。

その後は、数々の映画に出演しその存在感を発揮しています。

近年では『アクアマン』『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』『永遠の門 ゴッホの見た未来』などの注目作に出演しています。

 

ちなみに、ウェス・アンダーソン作品にもよく出演しています。

 

 

 

● コヴァックス 役

演 : ジェフ・ゴールドブラム

劇中ではマダム・Dの遺言執行人の弁護士コヴァックスを演じています。

 

アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグ出身のアメリカの俳優さんです。

1974年に『狼よさらば』で映画デビューします。

主演を務めた1986年の映画『ザ・フライ  』で注目され、その後は『ジュラシック・パーク』『インデペンデンス・デイ』などの大作映画にも出演します。

近年でも『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』『ジュラシック・ワールド/炎の王国』『マイティー・ソー/バトルロイヤル』などの続編や大作映画にも出演しています。

 

ちなみにウェス・アンダーソン作品にもよく出演しています。

 

 

 

● ルートヴィヒ 役

演 : ハーヴェイ・カイテル

劇中ではグスタヴと共に刑務所を脱獄するルートヴィヒを演じています。

 

ニューヨークのブルックリン出身のアメリカの俳優さんです。

 

マーティン・スコセッシ監督の『ドアをノックするのは誰?』で長編映画デビューを果たします。

1975年に、同じくスコセッシ監督の映画『タクシードライバー』の売春宿のポン引きの役を演じて注目されますが、その後はトラブルなどから上手くいかない時期が続き1990年のリドリー・スコット監督の映画『テルマ&ルイーズ』で再注目されます。

その後は『バクジー』『レザボア・ドッグズ』をはじめ数々の作品に出演し、幅の広い演技で活躍しています。

 

ちなみに、ウェス・アンダーソン作品にもよく出演しています。

 

 

 

● 作家 役

演 : トム・ウィルキンソン

劇中では、1985年に書斎で語る「作家」を演じています。

 

イギリス、ウェスト・ヨークシャー出身のイギリスの俳優さんです。

1970年代からテレビと舞台の世界で活躍します。

その後は映画にも出演するようになり、『フル・モンティ』『恋に落ちたシェイクスピア』『フィクサー』を始め数々の注目作に出演しています。

 

 

 

● 若き日の作家

演 : ジュード・ロウ

劇中では、1965年のグランドブダペスト・ホテルで、とある老紳士から話を聞く「若き日の作家」を演じています。

 

イギリス、ロンドン出身のイギリスの俳優さんです。

12歳から演技を始め、10代の頃は多くの舞台に立ちます。

1993年の映画『ショッピング』で映画デビューし、その後は『真夜中のサバナ』『ガタカ』『オスカー・ワイルド』などに出演し、1999年の映画『リプリー』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされます。

その後は『スターリング・ラード』『A.I』など数々の映画に出演し、近年では『キャプテン・マーベル』や『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』のダンブルドア役などがあります。

 

 

 

● ヘンケルス 役

演 : エドワード・ノートン

劇中では、軍警察の将校ヘンケルスを演じています。

 

アメリカ、マサチューセッツ州で生まれメリーランド州コロンビアで育ったアメリカの俳優さんです。

 

1993年から舞台に出演し、1996年に『真実の彼方』で映画デビューを果たします。

1998年に『アメリカンヒストリーX』、翌年に『ファイトクラブ』と立て続けに重要な作品に出演し、演技力を評価されます。

その後も、数々の映画に出演しています。

近年では『バードマン あるあは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でアカデミー助演男優賞にノミネートされています。

 

 

 

● ムッシュ・ジャン 役

演 : ジェイソン・シュワルツマン

劇中では、1968年時のグランドブダペストホテルのコンシェルジュであるムッシュ・ジャンを演じています。

 

アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス出身のアメリカの俳優さんです。

 

17歳で演技を始め、1998年のウェス・アンダーソン監督の映画『天才マックスの世界』で映画デビューします。

その後も、数々の映画に出演しています。

特にウェス・アンダーソン作品の常連になっています。

 

 

 

● クロチルド 役

演 : レア・セドゥ

劇中ではマダム・Dの屋敷のメイドのクロチルドを演じています。

 

フランスのパリ出身の、フランスの女優さんです。

2006年の『Mes Copines』で映画デビューし、2008年には『イングロリアス・バスターズ』でハリウッド進出を果たします。 

その後数々の映画に出演し、2013年の映画『アデル、ブルーは熱い色』ではカンヌ国際映画祭において作品だけではなく、例外的に主演女優賞としても同映画祭史上初めてパルム・ドールを受賞します。

 

 

 

● ムッシュ・アイヴァン 役

演 : ビル・マーレイ

劇中では、エクセルシオール・パラスのコンシェルジュで「鍵の秘密結社」の1人でもあるムッシュ・アイヴァンを演じています。

 

アメリカ、イリノイ州シカゴで生まれたアメリカの俳優さんです。

若い頃に兄に勧められて即興劇団セカンド・シティに参加し、その後1977年から1980年まで人気バラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演し人気を博します。

同時期に映画デビューも果たしており、特に1984年の映画『ゴーストバスターズ』で注目されます。

その後も数々の映画に出演しています。

 

ちなみにウェス・アンダーソン作品にもよく出演しています。

 

 

 

● ムッシュ・チャック 役

演 : オーウェン・ウィルソン

劇中では、グスタヴが刑務所送りになった後でグランドブダペストホテルのコンシェルジュになったムッシュ・チャックを演じています。

 

アメリカ、テキサス州ダラス出身のアメリカの俳優さんです。

今作の監督ウェス・アンダーソンとはテキサス大学オースティン公で出会って以来お互いに協力したり切磋琢磨する仲間です。

 

1996年のウェス・アンダーソン監督による映画『アンソニーのハッピー・モーテル』で役者デビューし、その後は『アナコンダ』『アルマゲドン』『ズーランダー』など数々の映画に出演します。

近年では『ミッドナイト・イン・パリ』『ワンダー 君は太陽』などがあります。

 

ちなみに、もちろんウェス・アンダーソン作品にもよく出演しています。

 

☆1分でサクッと紹介☆(ネタバレなし)

 

知ってる人はお馴染みのウェス・アンダーソン監督の作品です。

知らない人は是非1度ご覧になっていただきたいですね。

なぜなら、どういう話の映画なのかと言うよりもまず先に「ウェス・アンダーソン作品」として宣伝されるぐらいネームバリューと作家性(個性)を持つ監督の映画なんです。

 

で、その作家性とはどんな特徴かと聞かれればひと言しかありません。

 

おしゃれ、です。

 

 

とにかくおしゃれ!

 

キャラクターやカメラワークや音楽や美術などが絶妙なセンスとバランスで成り立っていて、総じてこれをおしゃれと呼ぶしかありません。

 

その画面作りや映像に対しての美意識の追加っぷりは凄まじく、例えば実写では頭のイメージが表現出来ないとなるとストップモーションアニメといった人形やミニチュアを使ったり、時には全部それだけで映画を作ってしまったりするぐらいなんですね。

 

そんなウェス・アンダーソン監督の1つ集大成のような作品がこの『グランド・ブダペスト・ホテル』なのです。

 

どんな物語かというと、リアルと架空の入り混じるヨーロッパを舞台に、殺人容疑の濡れ衣を着せられた高級ホテルのコンシェルジュが相棒の少年と一緒に逃亡しながら真相を探していく冒険活劇です。

ウェス監督作品らしい独特なユーモアと軽快なテンポでとても楽しい作品でありながら、その裏には「戦争」や「文化」そして「物語について」の思いが非常に込められた映画となっているのです。

 

そして架空のコメディ映画だったはずが、最後は僕たち観客の現実世界に触れてくるような感覚に戸惑いを与えます。

それはつまり「物語が次の誰かに伝わった」という瞬間でもあり、この映画のテーマをハッと感じることができると思います。

 

画面のどこを切り取ってもおしゃれな映像に耳に残る音楽と豪華役者陣のキャラクター合戦といまるでカラフルな洋菓子の詰め合わせのような箱庭的な世界観に今作は「物語」としての深みも加わって、まさに圧倒的な密度で繰り広げられるウェス・アンダーソン監督の世界に浸って下さい。

 

 

★もっと知りたい人はこちら★紹介・解説(ネタバレあり)

 

ウェス・アンダーソン監督の世界

 

まず基本として、この『グランド・ブダペスト・ホテル』という映画はどんな内容の作品なのかの前に、ウェス・アンダーソンという監督の作品である!ということが大きな特徴となる映画なんです。

 

なんと言いますか、映画の中に監督の特徴や世界観が強く表れていて、観客の方も多くの人がそれを共有しているタイプの作品です。

 

近年だとクエンティン・タランティーノ監督クリストファー・ノーラン監督なんかはそうですよね。

 

日本だと分かりやすいところだとジブリの宮崎駿監督だったり、新海誠監督みたいな感じですかね、予告だけ観ても「あの監督っぽい!」ってすぐに分かるようなタイプの監督作品なんです。

 

ということで、ウェス・アンダーソン監督の作品はどんな特徴があるのか簡単にあげていきますね。

 

まずは徹底的にこだわった画面作りですね。

美術や衣装や小道具にまでこだわって、あと色使いも非常に鮮やかで強烈でカラフルです。

そしてカメラの構図が左右対象の画面になっていることがとても多いんですよね。

その中に洒落た服を着た登場人物達がバシッと収まるように配置されてい、すごくグラフィカルな画面作りになっています。

つまり、どの場面で停止してもその画面を「写真」として飾れそうな映画を毎回作っている監督なんです。

 

● その画面を映すカメラワークも特徴的で、縦や横の直角や、奥から手前の真っ直ぐなど、とにかくやたらと直線的に動かすカメラワークを多用しています。

 

● あとキャストも、常連俳優がたびたび出演しているのもウェス監督作品のお馴染みになっていますね。

 

● 登場人物達のセリフがとてもユーモラスでリズミカルで、とにかくテンポが良いです。映画がサクサク進みます。

セリフだけで語るのではなく、映像で語ることが多いのもテンポの良さにつながってますね。

 

● セリフだったり、小道具だったり、展開だったりに、独特なユーモアがあります。

そう、「ユーモア」なんですよね。「お笑い」とはまた違う感覚です。

爆笑ではなく思わずクスッとなってしまう感じですね。

 

● 中年男と少年の友情、もしくはそれに類似した形の関係というのもよく描かれていますね。

そして何か大切なものを“喪失”した人達であることが多いんです。

 

● そして音楽もかならず特徴的なテーマのメロディラインがあり、時には効果音の役割も果たしてるぐらい音色やリズム、鳴り出すタイミングにまでこだわっています。

 

● 劇中劇があるのも特徴ですね。つまり映画のなかで別の映画や演劇が展開するシーンがあるということです。

分かりやすい劇中劇ではないにしろ、物語の中の物語という点でこの『グランド・ブダペスト・ホテル』は、作品自体の構造が劇中劇のようになっていますよね。

 

● あとこれもウェス・アンダーソン監督のテーマとして大事なことですが、ここではない何処か、つまり「まだみぬ土地へのあこがれ」のようなものが常にどの作品にも感じられます。

これはアメリカのテキサス州というステーキにかぶりつくかの如くワイルドな風土や気質に馴染めなかった孤独な映画少年だったウェス・アンダーソン監督が昔のフランス映画は日本映画を観ながら「まだみぬ土地まだみぬ文化への憧れ」を募らせていったのが今でも根幹にずっと残っているのです。

 

といった感じで、簡単にあげただけでもウェス・アンダーソン作品にはこれだけ沢山の特徴があるのが分かってもらえたんじゃないでしょうか。

 

そうやって特徴を色々あげてみたことですごく面白いと思ったのが、逆にめちゃくちゃ「作り物っぽい」んですよ。

普通に考えたら。

画面の構図にしても、カメラの動きにしても、美術にしても、音楽にしても、役者のセリフ回しにしても、今まであげた特徴のほとんどが、「これは全て人がやっていますよ!」感を強調するような手法ばかりをあえて多用してるんですよ。

 

なのに、ですよ。

 

その「作り物の世界」を「ウェス・アンダーソンの世界」として変換して我々観客を没入させるほどのセンスとバランスがすごいんです。

 

これって言っちゃえば元々何にも存在しないところから空間を時間を世界を物語を作り上げる、まさにこれぞ映画監督という仕事をする人なのです。

 

ちなみにウェス・アンダーソン作品に全然乗れない受け付けないという人は、逆に今言ったような「作り物の世界」の部分がきっと大きい要因になってるのかなと思います。

 

 

個性豊かなキャラ&豪華キャスト

 

ウェス・アンダーソン作品といえば豪華キャストによる個性豊かなキャラクター達も見所の1つです。

特に今作なんかは、「主要登場人物&キャスト」の項目を書くのに非常にめんど…熱を入れたぐらい登場人物が多いんです。

 

あまりに登場人物が多いし、映画のタイトルも『グランド・ブダペスト・ホテル』なので公開当時劇場で観るまではてっきりホテルを舞台にした群像劇だと思っていたほどです。

※ホテルなどの大きな場所に様々な人生を経て来た人間が集まって物語が展開するような群像劇の方式のことを、その元祖と言われる映画『グランド・ホテル』にちなんでグランドホテル形式と呼びます

 

しかし、いざ作品を観ると全然違ってむしろ王道の冒険活劇だということろもウェス・アンダーソン監督にしてやられたという感じですね。

 

しかし登場人物が多いのは確かで、その中でも注目したいのがやはり主役であるムッシュ・グスタヴを演じたレイフ・ファインズです。

『シンドラーのリスト』『イングリッシュ・ペイシェント』などの言わずと知れたイギリス俳優ですが、このヨーロピアンな佇まいがまさにグスタヴには必要であり、優雅さを纏った下にある弱さもうっすら感じさせなければならない、ということでこれ以上ないハマり役だったと思います。

 

そしてもちろんウェス作品の常連俳優の面々もとても良かったです。

僕がウェス作品を好きな理由の1つに、僕の好きな俳優さんが何人も常連俳優になっていることもあるんですよね。

例えばビル・マーレーウィレム・デフォージェフ・ゴールドブラムエドワード・ノートン、そして『アルマゲドン』の時はあんなチャラくて軽い役者だったのに年を重ねて近年すごく良い役者になってきたオーウェン・ウィルソン

皆それぞれ思い入れがあって好きな俳優さんなんですよね。

それがウェス作品では常連俳優ということで集まることが多いのでやっぱ僕としては好感を持って観てしまいます。

 

ウィレム・デフォーが演じたジョプリングというキャラクターも良かったですね。

ボス的存在の片腕としての仕事人的な狂気が『ライフ・アクアティック』では子供のようなキュートさの方向でしたが、今作のような真逆の方向に仕事人的な狂気が向かうとこんなに恐ろしいキャラクターになるのかと思いました。

 

あと常連俳優で言えば、ジェイソン・シュワルツマンやハーヴェイ・カイテルやティルダ・スウィントンやエイドリアン・ブロディもいますね。

 

ちょっと変わった画面作り

 

この映画を観た人なら分かると思いますけど、現代から始まって、1985年に遡り、1968年に遡り、さらに1938年に遡るという設定が出てきますよね。

その時代ごとに画面のサイズも変わります。

具体的には縦と横の比率ということなんですが、これをアスペクト比と言います。

 

冒頭と終わりの、現代の場面でのアスペクト比は1.85 : 1で、今劇場で上映しているような主流の形です。

 

1985年の時代設定の場面でも同じくアスペクト比は1.85 : 1です。

 

1968年の時代設定の場面では2.40 : 1というすごく横長のアスペクト比で、これはシネマスコープサイズいわゆる「シネスコサイズ」と言われるもので昔の大作映画でよく使われた形になります。

 

そして1932年の時代設定の場面では1.37 : 1というアスペクト比で、いわゆる「アカデミー比」呼ばれる正方形に近い形でハリウッド映画黄金期のサイズですね。

 

ということで、各時代ごとにその時に映画館で主流だったアスペクト比で撮影しているわけなんですが、アスペクト比が変わるごとにちゃんと画面の構図や人物の配置なども考えられていて、とても手間がかかることをやっているんです。

 

それを撮影したのが撮影監督のロバート・イェーマンという人物です。

ウェス・アンダーソン作品では『アンソニーのハッピー・モーテル』から全ての実写長編映画の撮影を担っているぐらい信頼されている撮影監督です。

 

では、なんでわざわざそんな手間のかかることをしたのかって?

 

ウェス・アンダーソン監督によれば「一度やってみたかった」とのことです。

 

 

結構シンプルな理由でしたね。

 

しかし、単なる思いつきってわけでもなくて実はしっかりと作品のテーマとも合っているのです。

なぜかといえば、アスペクト比といった画面のサイズだけじゃなくて、その時代その時代の映画の演出や手法やカメラワークなどを取り入れてるんです。

つまり昔の映画のアスペクト比の時は、かつてほ昔の映画らしい“楽しさ”までも再現してるということです。

 

受け継がれてきた映画という芸術、または文化、それがこの作品によって現代の僕らへと届く、その縦の線をすごく意識した作りはこの映画のテーマとも合致しているわけです。

 

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

これは現代パートのアスペクト比で1.85 : 1という今現在主流のサイズです。

 

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

1985年時代のパート、こちらもアスペクト比が1.85 : 1で、この頃から主流のサイズが変わってないんですね。

 

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

1968年時代のパート、アスペクト比は2.40 : 1という横長のサイズで、いわゆるシネスコサイズという昔の大作映画などで使われたサイズです。

 

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

1932年時代のパートで、1.37 : 1という正方形に近いサイズで、戦前のハリウッド映画黄金期のいわゆるアカデミー比と言われるサイズです。

 

映画を彩る衣装と美術

 

さて、この『グランド・ブダペスト・ホテル』がアカデミー賞の美術系部門を総なめしたことからも分かる通り、とにかく美術、衣装、小道具など物語を視覚的に彩る要素がどれも素晴らしいですね。

しかも、単に見た目のデザインだけで使ってるわけじゃなく画面に映る衣装やインテリアや小道具の全てに意味や背景があり、そのあたりも人工的なウェス・アンダーソン監督の世界に奥行きを感じさせるものとなってるんですね。

 

そして画面がシンメトリー(左右対称)なデザインなのはもちろん、いたるところにアールヌーボー様式が取り入れられているのも今回は重要な部分となっています。

 

ウェス・アンダーソン監督のイメージを再現するのに大きな役割を果たしているのが、ミレーナ・カノネロという人物です。

スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』『シャイニング  』などで衣装デザインを担当し、その後も数々の映画の衣装を手掛け、これまでアカデミー衣装デザイン賞を4度も受賞するという大御所の衣装デザイナーです。

ウェス・アンダーソン作品では『ライフ・アクアティック』『ダージリン急行』、そして4度目の衣装デザイン賞を受賞した今作『グランド・ブダペスト・ホテル』で衣装デザインを担当しています。

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

小道具から衣装までこだわり抜いたビジュアル

 

こだわり抜いた音楽の使い方  

 

ちなみにこの作品ではアカデミー作曲賞も受賞しています。

それも納得するぐらい、とても音楽が印象に残る映画でもあるんです。

音楽を手掛けたのはアレクサンドル・デスプラという音楽家で、現代を代表する映画音楽家の1人として知られていますね。

それこそ『GODZILLA ゴジラ』のような大作から『おとなのけんか』のような小規模なコメディまで、あげればキリがないほど幅広く多くの映画音楽を手掛けているんですが、近年だと『シェイプ・オブ・ウォーター』なんかは特に印象に残る音楽でしたね。

ウェス・アンダーソン作品では『ファンタスティック Mr.FOX』『ムーンライズ・キングダム』、それと今作、そしてもちろんこの次の『犬ヶ島』も音楽を担当しています。

 

ちなみにこの作品ではクラシックと民族音楽の音を組み合わせて全体的な世界観を作っています。

そして主要な登場人物にはそれぞれにテーマと呼べるようなスコアや音色と結びつけられていてそれらが作品内の映像や展開に呼応するように鳴っています。

例えば、分かりやすいところだとドミトリーとジョプリングには重々しく深い教会のオルガンの音と結びつけられていて、葬式を連想させる教会オルガンの音色は殺人者コンビにとてもふさわしいものとなっています。

あとは、わざと音楽を締めくくりの一小節手前で急に止めてこちらの気持ちを宙吊りにしたり、逃走劇では映像の動きと音楽のリズムを完全に同期させたりと、細かいところまでこだわっているのです。

 

最後のシュテファン・ツヴァイクとは何者か

 

この映画を楽しく観てると、唐突に最後はしゅん…と終わり、そして字幕で「この作品は、シュテファン・ツヴァイクの著作と生涯に着想を得た」と出てきて終わります。

この一連の幕切れに、なんだ、なんだ?と思った人もいると思います。

 

ということでシュテファン・ツヴァイクという人物のことを知れば、この映画をのことを理解することができると思います。

 

シュテファン・ツヴァイクという人は1881年にオーストリアに生まれた小説家です。

当時のトップクラスのベストセラー作家で、めちゃくちゃ有名だった人です。

 

そして、彼はいわゆる「世紀末ウィーン」の住人ですね。

 

● 世紀末ウィーンの世界

19世紀末のオーストリア=ハンガリー帝国といえば首都のウィーンで、現代から振り返ってこの頃のウィーンを指す時には「世紀末ウィーン」あるいは「世界都市ウィーン」と呼ばれることもあるほど、文化が成熟し優雅で刺激的な都市でした。

もちろん急に誕生したわけじゃなく、ヨーロッパ全体の歴史的背景の流れの中でそうなっていくわけですが詳しい事は省略します。

とにかく、19世紀末ヨーロッパではナショナリズムによる国家統一が潮流となる中でオーストリア=ハンガリー帝国は他民族・多文化共存という方針を取りました。

その結果、ユダヤ人などのヨーロッパの他の国から追い出されたりした色々な民族の人々が集まってきて賑やかになり首都のウィーンでは新しい文化や芸術が生まれ、国を治めるフランツ・ヨーゼフ1世がそれを推奨し庇護する立場をとったこともあり成熟していったんですね。

 

その「世紀末ウィーン」で生まれた文化や芸術や建築や音楽や哲学などが現代に与えた影響はとても大きく、つまりそれぞれの業界の歴史上の人物達が一同にあの時代のウィーン界隈にたむろしていたわけで、そこで色々なものが影響を受け合い刺激が渦巻いていたと考えると、なんだか想像しただけでもワクワクしてきます。

 

例えばなんでしょうね、ある時期のウィーンには若き日のヒトラートロツキースターリンフライトがみな同じ界隈にたむろし、おそらく同じコーヒーハウスで飲み食いし、オットー・ワーグナーの建築のあいだを練り歩けばグスタフ・クリムトが絵画を描き、耳を澄ませばマーラーフーゴ・ヴォルフの多声音楽が聞こえ、かたやどこかの部屋ではアルトゥル・シュニッツラーヘルマン・バールが革新的なエッセイや小説を書いている。

まあ圧縮するとこんな感じなわけです。

 

濃ゆ!

 

ほんとそうですよね。

しかもそのあと更に、世紀末ウィーンに「表現主義」の波が到来すると、音楽ではシャーンベルク、絵画ではシーレココシュカ、哲学ではヴィトゲンシュタインなどかまた新しい渦を作っていくわけですよね。

 

いや、濃ゆ!!

 

そうなんですよ、説明しようにもこんなものは僕の手に負えません。

 

ということで、どれだけ当時のウィーンが文化的に隆盛な雰囲気か分かってもらえたと思いますが、そこで優雅に活躍した中の1人が当時世界的人気作家のシュテファン・ツヴァイクです。

 

● シュテファン・ツヴァイクの人生 

ツヴァイク  は1981年にウィーンで生まれ、父親は紡績工場を経営し母親はユダヤ系イタリア人の銀行家一族の出身で、その財力のおかげでウィーン社交界に出入りするようになります。

やがて世紀末ウィーンの優れた文化的環境の中で文学や芸術に触れる中で詩集『銀の弦』で文壇にデビューします。

やがて第一次世界大戦が始まり、ツヴァイクは愛国的ではあったものの銃を取ることを拒否し陸軍省の戦時文書課に勤めます。

そしてヨーロッパ統一を支持する反戦論者となります。

しかしその姿勢が当局に警戒され、チューリッヒに移り、その後はベルリンに行き、そしてオーストリアに戻ってザルツブルク近郊にあるカプツィーナベルクの山中に邸宅を構え、そこで過ごします。

そして、その邸宅はヨーロッパ上流文化スター達の社交場のようになっていきます。

 

1934年、ヒトラーがドイツで実権を握るとユダヤ系のツヴァイクはオーストリアを離れてイギリス、その後ニューヨークへ、最終的にブラジルのペトロポリスに移住しました。

晩年のツヴァイクの著作の多くは青年時代をウィーンについてのものでした。

そして、かつて自分が愛したウィーンの、いやヨーロッパの上流文化がファシスズムと戦争によって徹底的に破壊されていくのを見届けて、その未来に絶望します。

 

1942年の2月22日に、ブラジルで再婚した2番目の妻と共に自殺し、当時のスター作家だった彼は、その生涯を終えます。

 

その後、それほど彼の作品は読まれなくなり、忘れられた作家となっていくのです。

 

 

「ツヴァイクという物語」と出会ったウェス・アンダーソン

 

大雑把にですが、シュテファン・ツヴァイクという作家の生涯について知ってもらえたと思いますが、いやあこれまた悲しい最後でしたね。

 

しかし

 

この映画と、どう関係あるの?

 

と思いますよね。

 

この映画を作る数年前にウェス・アンダーソン監督はパリの本屋でたまたまシュテファン・ツヴァイクの『心の焦燥』という本を1冊手に取り何ページか読んでみて、すぐに気に入り映画にしようと思い彼の他の本も読みあさったそうです。

 

なぜウェス・アンダーソン監督はツヴァイクの作品と生涯にここまで惹かれたんでしょうか。

それは、今は失われてしまったけど、かつて短い間だけ存在した“人々が争いではなく文化や芸術を華麗に謳歌した理想のヨーロッパ”がツヴァイクの青年時代や著作の中には確かに存在していて、まさに「ここではないどこかへ」の憧れを常に抱いているウェス・アンダーソン監督の求める世界と失われた理想郷(ヨーロッパ)が時代を超えて共鳴したわけです。

 

そしてこの映画のコンシェルジュであるムッシュ・グスタヴのモデルとなったのはシュテファン・ツヴァイクなのです。

このグスタヴはグランド・ブダペスト・ホテル同様に華麗なヨーロッパなる文化そのものをその身に背負った存在でもあります。

 

なので、あれだけ成熟したウィーンの、つまりはヨーロッパの華麗な文化が戦争によって破壊されて死んだように、この映画のグスタヴも最後戦争が始まった後の列車で銃殺されて死にます。

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

1932年のグランド・ブダペスト・ホテル

 

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

1968年の共産主義国家の元で衰退の途をたどることとなったグランド・ブダペスト・ホテル

 

最後のパートだけモノクロになる理由とは

 

と、まあ題してみましたけど実際のところ「観客の皆さんがそれぞれ解釈して下さいね」ということではあるんですけどね。

監督も本のインタビューで「それについては僕が言わないほうがいいでしょう」と語ってるぐらいですから。

 

とはいえ、単にインパクトを出すためとかオシャレっぽいからとかでは絶対にありません。

そこには必ず何かしらの意味やメッセージがあります。

 

ちなみに僕はこういう時、込められてるものが1つの意味だとは思いません。

モノクロという1つの場面に、複数の意味やメッセージがレイヤーのように重ねて込められているものだと思っています。

とりわけ映画などはそういうことが出来るのが総合芸術としての醍醐味でもあるんですよね。

 

例えば、あのパートは、あれだけ色彩豊かで華やかな物語が戦争によって文字通り“色を失う”瞬間でもあります。

あるいは、この物語はゼロ・ムスタファの回想であり、つまりは彼の記憶の中のグスタヴを見ているわけで、銃殺されるグスタヴとその後プロセイン風邪で死ぬアガサの両者がいるあの最後の列車の場面のことをゼロ・ムスタファは回想すると今でも色を失うほど心に傷を負っているともいえます。

 

それか、あの頃のグスタヴがかつてのヨーロッパの洗練された文化の象徴としての存在という目線で観たならば、ヒトラーがドイツ帝国首相に就任しユダヤ系であるシュテファン・ツヴァイクが平和で自由な文化の終わりを感じとってウィーンから去ったのも、洗練されたヨーロッパという文化の終わりが始まったのも、そして映画界ではカラー映画が誕生しモノクロ映画の終焉が始まったのも、どれもあの最後の列車のパートの時代にあたります。

そういった現代と引き換えに終わっていった文化への郷愁のような意味も、あのモノクロのパートには感じました。

 

現代で始まり現代で終わる理由とは

 

この映画は、現代の共産圏と思われる国の旧ルッソ墓地という所に1人の女性が訪れ、作家の銅像の前で『グランド・ブダペスト・ホテル』の本を読むところから始まり、そこのベンチで読み終わるところで映画も終わります。

 

映画『グランド・ブダペスト・ホテル』という物語の中に別の物語が、その物語の中にもまた更に物語が…という映画の構成になってることからもお分かりのように、これは大きく言えば物語についての映画です。

 

あの女性が手に取る1冊の本は何の物語だったか、それは作家が聞いたゼロの物語であり、ゼロの物語はグスタヴの物語でもあって、グスタヴの物語はグランド・ブダペスト・ホテルの物語で、そしてグランド・ブダペスト・ホテルの物語はシュテファン・ツヴァイクや彼のアルプスの邸宅や彼の愛したヨーロッパの物語なんです。

 

で、結局それら諸々の全ては戦争と共に消えてしまったけれど、グランド・ブダペスト・ホテルという物語のエッセンスはメンドルのピンクのお菓子箱に包まれ、メンドルの箱はピンクの装丁を施された小説へと形を変え、現代の作家の銅像の前にいる1人の女性に伝わる。

 

全てが消えた後、物語だけが残っているわけです。

 

その物語を、次の世代へ残すべく役割を担う人、それは。

 

ウェス・アンダーソン監督にとって重要な映画

 

これまでのウェス・アンダーソン監督作品に散りばめられていた手法やエッセンスがこれでもかと凝縮されていることからも集大成的な作品だと思います。

それと同時にウェス・アンダーソン監督人生の第2部の始まりの作品でもあると個人的には思ってるんですよね、この『グランド・ブダペスト・ホテル』。

 

これまでのウェス・アンダーソン監督作品は、これまで経験してきた出来事や感情を憧れのまだ見ぬ世界の中でもう1度繰り広げてみせるといった、どちらかといえば私小説のような映画だったと思います。

 

社会的な事への皮肉も調味料のように混ぜてはいますが、基本的には自分自身の物語をずっと語ってきたとも言えます。

記憶の中の体験やエピソードや感情をパズルのようにして。

だから、はっきりとしたストーリーらしいストーリーが無い作品がウェス監督作品に多いのも、そういうことなのかなと思います。

 

もちろん、それが良い悪いの話ではなくて、私小説的な内容とウェス監督のセンスが融合したことで爆発的なチャーミングさが生まれてここまで支持されてきたわけですからね。

それに作家性が強い映画監督は基本的に私小説のような作品が多いですしね。

 

これまでのウェス監督に仮にそういう前提があったとして、そして今作ですよ。

この映画はウェス・アンダーソン監督がようやく「語るべき物語を手に入れた」作品だと思います。

 

そう、パリの本屋でたまたまシュテファン・ツヴァイクという物語(生涯と役割やその著作など諸々全てを総称して)と出会ったことで。

 

 

『グランド・ブダペスト・ホテル』の最初の方で「作家」が「物語とは何も無いところから想像して生まれるわけではなく、誰かの物語が沢山集まってやがて物語として伝わっていく」というようなことを言っています。

映画の中で登場する小説家や映画監督でもなんでもいいですが、映画の中で何か物語を作ったり考えたりする人というキャラクターはだいたいその作品の監督が考えや思いを投影しがちなのはよくある事で、だからこの「作家」の最初のセリフというのはウェス・アンダーソン監督が「これからは自分の話ではなく、伝えなきゃならない大事な物語を“映画作品という物語”として後世に残す」という意思表示を冒頭で宣言しているわけですね。

 

 

そしてこの次の作品『犬ヶ島』もまさにそういった映画であり、やっぱり『グランド・ブダペスト・ホテル』以降の作品であると言えますよね。

 

(C)2013 Twentieth Century Fox

グランド・ブダペスト・ホテル=ヨーロッパという文化がリボンでパッケージされたメンドルの箱に囲まれる、ゼロの記憶の中の2人

 

 

おわりに

 

どうでしたか?おしゃれで楽しいだけじゃなく、色々な要素が隙間なくぎっしり詰まったお菓子箱のような映画だということが分かってもらえたでしょうか。

 

しかもそれを過不足なく100分で収めてしまうその手腕と才能にあらためて驚嘆させられます。

 

だから情報量が洪水のようでしたけどね。笑

 

しかし終わってみれば違う注目ポイントでまた観たい!(ハマればね)と思う映画だと思います。

 

是非ご覧ください。

 

 

 


「グランド・ブダペスト・ホテル」予告編

 

映画『ルーム』〜紹介・解説【ネタバレ】世界はハローとグッバイで出来ている。部屋から出てもきっと大丈夫だと教えてくれる母と子の姿に感動〜【第88回アカデミー賞】

『ルーム』

 

第88回アカデミー賞

 

★主演女優賞

 

f:id:GYAKUSOUacademy:20200726184858j:plain

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

原題 : 「Room」

公開年 : 2015

製作国 : アメリカ・カナダ・アイルランド・イギリス

 

 

監督: レニー・アブラハム

製作: エド・ギニー、デビッド・グロス

製作総指揮: アンドリュー・ロウ、エマ・ドナヒュー、ジェシー・シャピラ、ジェフ・アーカス、デビッド・コッシ、ローズ・ガーネット、テッサ・ロス

原作: エマ・ドナヒュー

脚本: エマ・ドナヒュー

撮影: ダニー・コーエン

美術: イーサン・トーマン

衣装: リア・カールソン

編集: ネイサン・ヌーゲント

音楽: スティーブン・レニックス

キャスト: ブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイ、ジョアン・アラン、ショーン・ブリジャース、ウァリアム・H・メイシー、トム・マッカムス

 

 

 

 

ルーム、そういえば子供の頃に自分の部屋をカッコつけて言う時にそう呼んでましたね〜。

それまでは兄弟が3人いたのに一緒の部屋でね、早く自分専用の部屋が欲しくしょうがなかったんですよね。

中学に入ると同時に自分の部屋をもらった時にはやっぱ嬉しくて、下の兄弟達に「俺のルームに勝手に入るなよ」とか言ったものです。

カッコつけたい年頃だし、丁度英語の授業も始まったもんだから「ちょっとルームスタディーしてくるから、ディナーになったらコール・ミーしてね」なんて普通に家族に言ってたわけですけど、マジ、すぐ飽きて本当に良かったと思います。笑

あのまま大人になってルーの一族になるところでした。

 

 

なんの話でしたっけ?

 

 

そうそう、これは、もっと感情を揺さぶられるハードな部屋のお話の映画ですね。

今からちゃんと紹介したいと思います!

 

ラストまでプリーズでリードして下さい!

 


映画『ルーム』予告編

 

 

あらすじ

 

とある狭い部屋で暮らす5歳の男の子ジャックと、母親のジョイ。

彼女はオールド・ニックというクズ男にこの部屋に7年も監禁されていて、そこで産まれたジャックに世界は部屋の中だけしかないと教えて、暮らしていました。

その極限の状況の中で、毎日規則正しい生活とお決まりのルーティンの中にささやかな楽しみを見出し、なんとか人間らしさを保っていました。

それはジャックの為に、という、母親ジョイのとても強い意志でした。

しかしジャックが5歳になり成長していくにつれて、このままだとやがて限界がくることを少しずつ感じていたジョイ。

とあるきっかけでついに脱出を決意し、5歳のジャックとともに全てをかけて脱出作戦を決行します。

 

 

ジョイとジャックの演技に見えない母子の演技。

 

ジャックを通して初めて見る外の世界。

 

本当の意味での部屋からの解放。

 

 

その辺を注目して観ると楽しめると思います。

 

 

 

主要人物キャスト

 

● ママ/ジョイ・ニューサム 役

演: ブリー・ラーソン

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

カリフォルニア州サクラメントで生まれたアメリカの女優さんです。

コメディ番組から始まり、その後は色々なテレビドラマや映画に出演します。

2013年に映画『ショート・ターム』の主演で注目され、今作の『ルーム』ではアカデミー主演女優賞を受賞しました。

そして、『キングコング: 髑髏島の巨神』『キャプテン・マーベル』『アベンジャーズ  /エンドゲーム』など大作映画にも出演するようになります。

 

● ジャック 役

演: ジェイコブ・トレンブレイ

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

カナダのバンクーバーで生まれたカナダの俳優さんです。

2013年からテレビドラマや映画に子役として出演し、今作の『ルーム』での天才的な演技が評価されてブレイクします。

その後は『ワンダー  君は太陽』『ザ・プレデター』などに出演します。

 

● ばあば/ナンシー 役

演: ジョアン・アラン

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

アメリカ、イリノイ州出身のアメリカの女優さんです。

舞台で活躍した後に1986年に映画デビューします。

代表作だと『ニクソン』『カラー・オブ・ハート』などがありますね。

『ザ・コンテンダー』ではアカデミー主演女優賞にノミネートされています。

近年だとマット・デイモンの『ボーン・シリーズ』でのCIA上官のパメラ・ランディ役で観たことのある人もいると思います。

 

● オールド・ニック 役

演: ショーン・ブリジャース

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

アメリカ、ノースカロライナ州出身のアメリカの俳優さんです。

 

テレビシリーズで数多く出演した後に映画にも出演していて、『砂上の法廷』『マグニフィセント・セブン』にも出演していましたね。

 

● じいじ/ロバート 役

演: ウィリアム・H・メイシー

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

アメリカ、フロリダ州マイアミ出身のアメリカの俳優さんです。

舞台で活躍しながら映画やテレビドラマにも数多く出演しています。

テレビドラマ『ER緊急救命室』のデビッド・モーガンスタン役でも知られてましたが、コーエン兄弟による1996年の映画『ファーゴ』での情けない主人公の役で一気に注目されます。

その後も数多くの映画に出演し、『君が生きた証』という作品(重たいけど個人的に忘れがたい映画です)では監督も務めていますね。

 

● レオ 役

演: トム・マッカムス

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

 

カナダの俳優さんです。

『コンフィデンスマン/ある詐欺師の男』を始めいくつも映画に出演しています。

 

 

☆3分でサクッと読みたい人はこちら☆(ネタバレなし)

 

何度も感情を揺さぶられました。

 

内容だけ取り出すとすごいハードな話なんですよ。

だって、17歳で見知らぬ男に拉致されて部屋の中で監禁され、しかもその男の子供を部屋で産んで育てている母親とその事実を知らずに育てられた息子の話なんですからね。

でもこの映画って、単に「こんな悲惨な事がありました、さあ悲しんでください」というだけの作品じゃないんですよ。

そういうイメージでまだこの映画を観ていない人がいたら非常にもったいないですよ!

まずこの映画は前半1時間が監禁生活からの脱出劇、後半1時間は外の本物の世界での話という2部構成のような作りになっています。

おそらく普通の「監禁事件からの脱出」を扱ったような映画なら脱出に成功でハイめでたしで終わりなんですけど、この作品は脱出した後も人生は続くんだからということを後半1時間でしっかりと描いているんです。

むしろ、その部分がこの映画の1番のテーマになってるんですよ。

 

何度も感情を揺さぶられると初めに書きましたが、それはもちろん役者の演技が素晴らしいからです。

特に、7年監禁されているジョイを演じたブリー・ラーソンの役作りと、5歳のジャックを演じたジェイコブ・トレンブレイの天才子役っぷりは映画を観た人誰もがすごいと思うはずです。

 

初めて外の、本物の世界を知って体験していくジャックから目が離せません。

そして7年ぶりに部屋から外に出ることができた母親のジョイの苦悩も描かれます。

その2人の周りの家族も。

 

7年ぶりに家族の元へ帰れたとはいえ、1度は壊された家族、全てのピースが元どおりにハマる訳じゃなく、けして元に戻らない事だってあって、それも全部含めて生きていかなきゃいけない。

それはすごい大変だけど、ジョイとジャックの成長に寄り添って観ていると、それでもこの世界は生きるに値すると思わせてくれる映画です。

 

なんの予備知識も無くフラッと観ても、ちゃんと観る前よりも世界に対して一歩踏み出せる気持ちへ観客の手を引いてくれるような良く出来た作りになっているんで、結構ハードな内容だけど誰でも安心して身を任せて観れる映画じゃないかなと思います。

 

 

 

★もっと知りたい人はこちら★紹介・解説(ネタバレあり)

 

原作小説との違い

 

この映画には原作があって、エマ・ドナヒュー作の『部屋』という小説です。

オーストラリアで実際に起きた「フリッツル事件」に影響を受けて書いた小説です。

 

原作小説との違いなんてタイトルを書いといて言うのもあれですが、原作小説をそのまま見事に映画化した作品なんですよ。

 

原作小説は監禁生活から脱出までを描く「インサイド」と、外の世界へ出てからの「アウトサイド」という2巻に分かれていて、この構成は映画『ルーム』でも同じで2時間の作品のうち前半1時間がインサイドで後半1時間がアウトサイドになっています。

 

あと大事なポイントとして、小説はジャックの一人称視点で描かれます。

そこで面白いのが、始まりから終わりまで一貫して5歳児のジャックの言葉使いで文章も書かれてるんですよね。

 

え、読みにくそうだって?

 

まあ否定はしません。笑

 

だけど、ハマるとそれが物語と合ってるように感じれて違和感なくなるし、ジャックの文章でしか味わえない感動もあるんですよね。

ちなみに「アウトサイド」ではジャックの一人称視点ならではの笑いが沢山あって好きですね〜。

 

ちなみに、もちろんジャックが知らない事は文章ではっきりとは描かれません、しかし大人ならそれが何なのか分かってしまうところに想像力を掻き立てられるしスリリングだと思いました。

 

小説版と映画版を見比べてみて、全くと言っていいほど同じような色の感動を受け取りました。

それもそのはず、この『ルーム』の脚本自体も小説の作者エマ・ドナヒューが手がけているんです!

 

そりゃ小説版も映画版も同じ色になるわけです。

 

しかし、それでも違いはあるんですよね。

 

同じ物語を描くにあたって、小説ならでは、映画ならでは、のやり方の違いというのは確実にあって、その違いがとても楽しい部分なんです。

 

監督もインタビューで、エマ・ドナヒューは自分の原作小説を映画として再構築することにとても理解を示してくれていたと言っていたように、映像という特性を活かした脚本になってたと思います。

 

僕の場合は映画版を先に観た後で、小説版を読んだんですが、実は映画版は色々と省略してたんだなあと思いました。

大きなところだとジョイ(ママ)の兄(とその家族)の存在はバッサリ無くなってましたね。

小説版だと、監禁されていて特殊な家族生活しか送れなかったジョイとジャックの対比である普通の家族として登場してましたが、映画的により大きなテーマを伝えるのには不要としてバッサリ無くしたのはスマートで良かったと思います。

 

あと小説版だと当然ながら、あらゆるものに反応するジャックのセリフや心情が文字でつらつらと書かれていて、その細かいディテールがいちいち面白いしかわいいんです。

映画版でもジャックのキュートな心情ナレーションが炸裂する場面も物語のアクセントとしてちょこっとありますが、基本的に小説版での文字で伝えていたディテールは映像や役者の演技の中にスッと取り込んで一瞬の表情や仕草で幾多もの要素がパッと伝わるのが映画版の特徴ですね。

 

それを可能にするのが、映像であり、なんと言っても役者の存在ですよね。

 

 

天才子役とアカデミー母さん

 

とにかくあの原作小説を映画化するさいに、成功の鍵を握るのはママジャックですよね。

ここが嘘っぱちに見えてしまったらどうにもならないのです。

 

そこを見事にやってのけたのが主演のブリー・ラーソンと子役のジェイコブ・トレンブレイです!

 

まずママ/ジョイ役を演じたブリー・ラーソンですよね

まず見た目が素晴らしいんです、役作りとして本当に太陽光を浴びない生活をして色白になり、あえて運動をせず食事制限だけで不健康な痩せ方をし、もちろんノーメイクで、ちゃんと7年間部屋の中に監禁生活を送ってきた女性に見えるんですよ。

 

そして、2時間のあいだ画面の中に映る顔、映画の主役としての華も兼ね備えているこのバランスは見事でしたね。

 

本来はどちらかと言えば、『キングコング』『キャプテン・マーベル』でも分かる通り、健康的なビジュアルが印象的な女優さんですからね。

そう思うと今作の真逆の役作りはすごいですよね。

そしてエイブラハムソン監督は役作り中のブリー・ラーソンの元へ何度も足を運び、話を聞いて信頼関係を築いていったようです。

 

そしてもう1人、ジャック役を演じたジェイコブ・トレンブレイですよね!

もう見事としか言いようがないですよね。

ある種ドキュメンタリックなカメラワークも相まって、もはや演技だという感覚が頭から消えてしまったって人も多いんじゃないでしょうか。

何気ない仕草とか目線とか、5歳のジャックとしてとても演技とは思えない自然さでした。

作品のテーマ性もあって、前半1時間はジャックの声や見た目の中性的な部分が強調されていてめちゃくちゃかわいらしいんですよね。

 

1番の見どころは、その2人の役者がほんとに母子に見えるって事です。

インタビューによれば2人は撮影が始まる前に1ヶ月近く一緒に過ごしたようで、実はその時に遊んで描いた絵や作ったオモチャが劇中の「部屋」の中に貼ってあったり置いてあったりしてるんですよ。

ちゃんと2人の歴史というのを「部屋」に入れ込むことで撮影空間の役作りにもなってるわけですね。

 

しかし、母親役と子役の2人が事前に良い関係性を築けば必ず映画の中で本当の母子のように見えるのかというと、そうではありません。

もうひとつ大事な存在、監督を始めとする作り手の存在も必要不可欠です。

 

エイブラハムソン監督によれば、子役のジェイコブ・トレンブレイとの撮影に関して1番大事にした事は信頼関係だと言ってます。

子役を決して上から目線で見ない、操ろうとしない、一緒に作業にするんだ。とインタビューでも答えてます。

 

つまり、ブリー・ラーソンとジェイコブ・トレンブレイと作り手の信頼の三角関係が上手くいったからこそ、ほんとに自然体な母子の演技をカメラに収めることができたわけですね。

 

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

本当の母子のようにしか見えない

 

ジャックの目線とカメラワーク

 

小説版も映画版も、とことんジャックの目線で描かれています。

 

小説版ではジャックのそのまんまの言葉が一人称語りとなって書かれています。

それによってジャックから見た世界というのを描いてますね。

そこを映画版ではどうやって表現しているかというと、まさに映画らしくカメラワークで表現しているんです。

ある意味では、この作品のテーマやジャックの成長を全てカメラワークで表していると言ってもいいかもしれません。

 

「部屋」の場面では、手持ちカメラで常にジャックとママに異常に近い距離で映しています。

手持ちカメラゆえの揺れだったり呼吸が伝わる感じだったりが効果的に働いて、すごく密着しているような感覚になります。

少し離れた部屋の奥はピンボケにしてあったりね。

そして、「部屋」の全景は決して映さないんですよね。

狭さを感じさせないように巧みに撮影されてるんです。

つまり、ジャックにとってはこの世界は「部屋」の中だけだと教えられて育ったから、比較するものも無いからこの場所が狭いという感覚も無いんですよ。

そのジャックの感覚を観客にも共有できるように工夫されたカメラワークになってるんですね。

 

そして後半、「部屋」から脱出してからはそれまでとは逆にジャックとママをちょっぴり離れた場所から映すようなカメラワークが増えてきます。

 

それと同時に、手持ちカメラで揺れ場面も減り、固定カメラで揺れずに安定したカメラワークが増えていきます。

それは当然、本物の世界へ出たことでジャックの中の世界が広がったからですね。

 

今まで「部屋」の中だけだったのが、外へ出て見たこと無い色々なものを見て聞いて触って成長していくジャックに比例するかのようにカメラワークも引きの画とその距離も長くなっていきます。

 

そこで興味深いのが、外の世界に出てからもママと2人っきりの場面になると急に「部屋」で暮らしてた頃のカメラワークに戻るんですね。

手持ちカメラで揺れて不安定で密着するような距離になって2人以外の部分はピンボケで。

つまり、外の世界に出れたけど、この2人は内面的にはまだ「部屋」の中にいる状態なんだということが分かります。

本当の意味であの「部屋」から解放されていないんですね。

ジャックが今まで見たことの無い新しい世界に戸惑って子供心ながらに「部屋」に帰ろうよと言うのはあるいは自然なことかもしれませんが、ママ/ジョイまでも自分の人生を奪った「部屋」の呪縛にまだ囚われているのが、監禁事件の恐ろしさだとおもいます。

 

脱出して“めでたしめでたし”なんかじゃなくて、そこから人生を取り戻すのが大変なんだという事をしっかりと描いています。

 

最後もカメラワークで持って行きますね、この映画は。

ジャックとママは警察に頼んで自分達が監禁されていた「部屋」を見に行くんです。

そこで初めて部屋の全景をカメラが映します。

そこにあったのは「世界」ではなく、狭くてちっぽけな、ただの「部屋」でした。

ジャックは「本当に僕たちがいた部屋?」とママに問いかけます。

「そうよ」とママが言った後、ジャックは「部屋」の家具や窓や天井にバイバイをして出ていきます。

そしてママも「グッバイ、ルーム」と“内緒の声”で言って部屋を出ます。

 

そして2人が外へと歩いていく場面を映画の中で1番のロングショットで上に昇りながら映したカメラワークで終わります。

そうやってジャックの成長と、2人が本当の意味でようやく「部屋」から出れて瞬間をカメラワークで表現してるわけです。

あの場面はジャックとジョイ/ジョイにとっては「部屋離れ」であり「乳離れ」、それは1つの成長の過程なんですけど、それともう1つ「観客離れ」でもあるんですよね。

だってこの映画であの2人に1番寄り添って見守っていたのは我々観客なんですよ!だからついに2人の姿が遠くになり観客からも離れて世界に混ざっていく様子は、嬉しくもあり寂しくもあります。

 

素晴らしいラストですね。

 

つまりこの作品は、前半1時間が肉体的に「部屋」から解放されるまでのお話ならば、後半1時間は精神的に「部屋」から解放されるまでのお話ということです。

  

ジャックから見た世界

 

この映画はジャックから見た世界で描かれているのは分かってもらえたと思いますが、それはどんな世界で、どう感じていくんでしょうか。

今となっては当たり前で僕ら観客も忘れてしまったけど、かつて幼い頃に体験したはずの世界との「こんにちわ」を、ジャックを通して新たに知り直すというのもこの映画の醍醐味の1つです。

子供ってこんな切り口で世界を見るんだ!という新鮮さが面白いですね。

今まで「部屋」の天井の高さが世界の上限だったジャックが脱出の途中でトラックの荷台から本物の空を見上げた時に吸い込まれそうになったジャックの言葉にならない感動を、僕も擬似的にも再体験出来るのは映画ならではだと思いました。

たしかに5歳で初めて青空を見たとしたら、あまりにデカすぎて凄すぎて訳わかんないだろうなと。笑

 

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

初めて見る空の大きさに圧倒されるジャック

 

ママ/ジョイの苦悩

 

「部屋」から脱出できて、犯人も捕まって、ようやく自由になったジョイですが、過ぎた7年という歳月が苦しめます。

彼女にとって外の世界は7年前で止まっていますが、外の世界、つまり彼女の家族やそれを取り巻く環境は変化しているんですよね。

彼女の両親は自分の娘が行方不明になったことが原因でおそらく離婚し、それでも悲しみからなんとか前に進もうと一度壊れた人生を修復しながら7年積み重ねてきました。

 

そこへ7年間を飛び越えて両親(外の世界)に急に合流することになったジョイにとっては、私が苦しんでいる7年の間結局みんなは楽しく生活してたように感じてしまい、つい衝突してしまう場面は心が痛みますね。

だって本当は、憎むべき相手は犯人だけのはずなんですからね。

 

あと思ったのは、ジョイは前半1時間ではジャックの母親としてすごく強い女性に見えましたが、外の世界に出て自分の母親と衝突する場面ではジョイは10代の子供に戻るんですよ。

それもそのはずで、7年前拉致された時は17歳で、母親との関係性ではそこで止まっているわけですからね。

つまり、「部屋」の中では“ジャックの母親”としてだけの側面しかなかったのが、外の世界に出ると自分がまだまだ母親の子供(17歳)だという側面が復活して、子供である未熟な自分と母親である自分との間で板挟みになっちゃうんです。

だからこの映画の後半1時間はジャックよりも、むしろママ/ジョイの方が精神的に追い詰められていくわけですね。

 

そんなジョイの苦悩する姿を観てたら、やっぱ現実社会とも照らし合わせて、子供の状態で親になることの精神的負担みたいなものを色々と考えてしまいますね。

 

 

あとは、「部屋」にいた頃とは逆に、今度はジャックがママ(自分以外の人)の事を考え心配して支えてあげるという成長の描き方も良いですよね。

 

監禁される前のように全て元どおりに戻るには7年という歳月は長過ぎて、元に戻らない部分もあるんですよね。

そこを担っていたのがジョイの父親だったと思います。

 

そういった元に戻らない部分も、一旦受け止めた上で前に踏み出すというのはリアルで重みがありましたね。

 

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

7年振りに両親と再会するも…

 

 

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

母親の前では17歳に戻るジョイ

 

 

世界をどう見たい?

 

この映画って、7年間もの拉致監禁生活の中で犯人の子供を産むというハードな題材です。

同じ題材でも、もしもママ/ジョイの視点で描かれていたらカメラワークから作品テーマから、また違った映画になっていたのかなと思います。

正直、世の中の厳しさが際立つかなりキツイ印象を残す映画になったかもしれません。

 

 

しかし、この映画はジャックの目線で描かれています。

 

つまり、世の中には綺麗事だけじゃない憎むべき事も沢山あるのを踏まえた上で、それでもあなたは世界をどっちの側から捉えたいですか?という問いに対してポジティブな方を選んでるわけですね。

だってそれは、自分の子供にどっちの側から世界を見て欲しいですか?という事にもそのまま反映されるんですから。

 

それはママ/ジョイがジャックを育てる時の姿勢そのものですよね。

 

ジャックは自分が不幸な状況だと思っていません。

真っ白な状態から世界と触れ合って、色々のものに感動していきますよね。

そのジャックの様子がこの映画では周りの大人達にも影響を与えています。

 

早い話が、世の中はクソッタレだよなんてジャックには言えないですよね。笑

 

それが大事で、たとえジャックと接する時だけでも、無意識に彼に合わせた世界の捉え方をしますよね。

純粋に世界って良いな、面白いな、それは大人にとっては貴重な感覚だと思います。

 

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

初めて世界に触れる

 

終わりに思うこと

 

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

部屋という世界の限界

 

 

母と子供と世界の物語としてとても胸を打つ映画でしたね。

誰もが感動するだろうし、観て欲しいと思いました。

 

公開当時に観た時はそういう印象の強い作品でしたね。

 

この記事を書くにあたって久しぶりに観返したんですけど、また違う印象も感じたんですよね。

 

もちろん母と子の物語に胸を打たれながらも、そもそも「部屋」ってなんだろうって思ったんです。

例えばジョイ/ママとジャックがあのまま「部屋」の中で一生を終えたらどうなるんだろう?全然問題なかったりして、とか。

 

ジャックでもジョイでもなく、この映画のタイトルは『ルーム』で、原作小説のタイトルも『部屋』なんですよね。

今更そこに興味がわいたんです。

 

その大勢の人が持ってるであろう部屋ですけどね、ちなみに冒頭でも言った通り僕にも部屋はありました。

プライバシーは尊重されるべきと考える方なので、ちゃんと自分の部屋があるというのは大人だろうが子供だろうが大事だと思っているんですけど、それはあくまで外の世界があってこその部屋の役割だと思います。

 

部屋の外側があって、初めて部屋の意味が生まれます。

 

部屋はある意味で自分を守ってくれる存在だけど、部屋の中だけで人生を完結させることなんて出来ません。

仮に、もしそうしようと思ったら、その人にとってそこは部屋ではなく「世界」になるわけですね。

 

その「世界」で生きる人が日本だけじゃなく世界的に増えてきてるようなんです。

 

しかし残念ながら、その「世界」は大半の人間にとっては狭すぎます、かならず限界が来ます。

それは肉体的にも精神的にも。

 

なぜなら「世界」には物理的な広さと、沢山の人がやっぱ必要なんですよね、面倒でも、煩わしくても。

 

そしてやはり、この映画『ルーム』でも「部屋=世界」の限界が来ますよね、ついに究極の2択を迫られる状況が来るわけです。

それはストレートに言ってしまえば、ここで死ぬか、死ぬ気で外へ出るか、です。

 

不確かな世界を母と子の絆を通してポジティブに捉え直す姿勢を、この作品の表のテーマだとしたら、自分の「部屋=世界」に引きこもってしまった人が意を決して外に出てなんとか本物の世界へと戻っていくのが裏のテーマだと思います。

 

だからこそ作品の半分を使ってでも、死ぬ気で外に出る価値があると、「世界は生きるに値する」と描く必要があるんです。

 

その裏のテーマ声高に叫ぶでもなく、表のテーマに紛れ込ませてるのも良いなと思いました。

優しいですよね。

部屋から出ろと強引に説得するんじゃなく、自分から少しでも外の世界って良いかもなと思ってくれる方に期待するという。

 

もうこの映画を観たことある人でも、この角度からもう一回観てみるとまた違った印象を感じるかもしれませんよ。

 

 

とりあえず、この映画ってべつに小難しい背景とかないので何も知らなくていきなり内容の100%近く楽しめるタイプの作品だと思います。

なんの予備知識を入れなくても誰もが心を打たれ、観る前よりも絶対にちょっぴりは世界が良く見える映画だと思います。

 

ぜひ観てくださいませえ〜!

 

 


『ルーム』本編映像+予告

 

 

 

公式ホームページを貼っときます。

 

映画『ルーム ROOM』 公式サイト TOP

 

映画『スポットライト 世紀のスクープ』〜紹介【ネタバレ】 カトリック教会の闇を照らすはジャーナリズムという希望の光。いま、実話の重みを突き付ける 〜【第88回アカデミー賞】

『スポットライト  世紀のスクープ』

 

第88回アカデミー賞(2016)

 

★【作品賞】

★【脚本賞】

 

f:id:GYAKUSOUacademy:20200726184832j:plain

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 

原題 : 「Spotlight」

公開年 : 2015

製作国 : アメリカ合衆国

 

監督 : トム・マッカーシー

製作 : マイケル・シュガー、スティーブ・ゴリン、ニコール・ロックリン、ブライ・パゴン・ファウスト

製作総指揮官 : ジェフ・スコール、ジョナサン・キング、ピエール・オミダイア、マイケル・ベダーマン、バード・ドロス、トム・オーテンバーグ、ピーター・ローソン、ザビエル・マーチャント

脚本 : ジョシュ・シンガー、トム・マッカーシー

撮影 : マサノブ・タカヤナギ

美術 : スティーブン・H・カーター

衣装 : ウェンディ・チャック

編集 : トム・マカードル

音楽 : ハワード・ショア

キャスト : マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、リーブ・シュレイバー、ジョン・スラッテリー、ブライアン・ダーシー・ジェームズ、スタンリー・トゥッチ、ビリー・クラダップ、ジェイミー・シェリダン

 

 

これぞジャーナリズム!というのを、もはや映画の中でしか見ることが出来ないのかなと思ってしまう今日この頃。

 

皆さんはどうお過ごしでしょうか?(急に)

 

世界で起こっている闇に触れるような映画が観たい、けどドキュメンタリーはちょっと気分じゃない?

 

ほう、今それだけを考えていると。(決めつけ)

 

なるほど、そういう時にちょうどピッタリな映画を紹介します。

この『スポットライト  世紀のスクープ』です!

これは実話を元にした映画なんです。

アメリカの「ボストン・グローブ紙」 が、カトリック教会の神父による性的虐待事件を記事にするまでの経緯から端末まで描いた伝記・ドラマ映画です。

 

これがまた、時にはカトリック教会の闇に触れ背筋を凍らし、時には仕事人達の地道な努力の積み重ねに熱くなり、観終わったときには他のジャーナリズム映画とはまた違った余韻を味わえる見応えのある作品なんですよ。

 

ということは、もう観るしかないと、そういうことになりますね。自動的に

 


映画『スポットライト 世紀のスクープ』予告編

 

 ※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます

 

あらすじ

2001年のアメリカのマサチューセッツ州にある都市ボストンで最大の部数を発行する「ボストン・グローブ」

そこに、経営会社の合併によってニューヨークタイムズの子会社となったことで新しく編集長としてマーティー・バロン(リーヴ・シュレイバー)がやってくるんです。

編集長として新任したバロンはとある事件に目をつけます、1人の神父が子供へ性的虐待をしたというものでした。

この事件を調査して記事にしてはどうかと「スポットライト」のチームに促します。

この「スポットライト」というのはボストン・グローブの中の少数精鋭のチームで作られる特集連載記事のコーナーの名前で、読者が皆目を通すぐらい注目度の高い特集なんです。

スポットライトのチームが性的虐待をしたゲーガン神父のことを調査をしていくと、どうやらそこのカトリック教会がその神父を病休と教会を移動させることで隠蔽したらしい事が分かってくるんですね。

その移動による隠蔽の仕組みというのがマサチューセッツ州のカトリック教会で全体で組織的に出来上がっていて実は性的虐待をした神父は他に何人もいることを徐々に掴んでいきます。

 

しかし、カトリック信者の多いボストンではこの調査は必ずしも歓迎されず、スポットライトのチームが調査を進めるのに様々な障害が立ちはだかり、時に妨害を受けます。

 

そして、スポットライトのチームは決定的な証拠を掴みます。

同時にそれは伝統あるカトリック教会という信仰の土台をゆるがしかねないものだったんです。

 

1人の神父の性的虐待から始まった調査が一体どこへ辿り着くのか?

 

数々の妨害や壁をどうやって崩していくのか?

 

暴くことへの責任、ジャーナリズムをめぐる葛藤はどうなるか?

 

まずは、その辺を注目して楽しんでもらえれば良いかと思います。

 

 

主要人物キャスト

● マイク・レゼンデス

演: マーク・ラファロ

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトチームの記者「ダン」を演じています。

 

アメリカのウィスコンシン州で、イタリア人とフランス系カナダ人の両親のもとに生まれます。

彼は9年間ずっとバーテンダーをしながら演劇をやっている下積み時代があるんですよね。

2000年の映画『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』に出演し、その演技が評価されいくつか映画賞で賞をもらい、注目されます。

その後は『コラテラル』『ゾディアック』『シャッター・アイランド』とかの注目作にも結構出演してます。

近年ではMCUでの『ハルク』のバナー博士の役が有名ですね。

そして、かたや『フォックス・キャッチー』のように演技派な役もこなしたりしています。

個人的にはジョン・カーニー監督の『はじまりのうた』のこれまた全然違うダン役とかなにげに好きですね。

 

 

● ウォルター・“ロビー”・ロビンソン

演: マイケル・キートン

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトのチームリーダー「ロビー」を演じています。

 

アメリカのペンシルベニア州で7人兄弟の末っ子として生まれます。

キャリアはピッツバーグでのスタンダップ・コメディアンとして始まり、同時にテレビ局のカメラマンとしても働いてました。

その後、ロサンゼルスに移り1982年のロン・ハワード監督の『ラブ IN ニューヨーク』で映画デビューします。

そしてティム・バートン監督の『ビートルジュース』のビートルジュース、『バットマン』でのブルース・ウェイン役で一気に有名になります。

その後映画俳優としては上手くいかなかったり、たまに上手くいったり順風満帆とはなかなか言えないキャリアを歩むんですね。

そして2014年、そういった自身のキャリアやプライドもをも逆手にとってぶち込んだような『バードマン  あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で第87回アカデミー賞での主演男優賞を始め、数々の映画賞を総なめにします。

それからは役に恵まれて色々な映画で存在感をの残していますね。

この『スポットライト 世紀のスクープ』でも重要な役割でめちゃくちゃ存在感ありましたし、『スパイダーマン: ホームカミング』のバルチャー役も印象に残った人も多かったんじゃないですかね。

 

ちなみにキャリアの最初の頃は本名のマイケル・ダグラスで活動していたんですけど、俳優組合に登録する時にすでに同じ名前の俳優がいたんで、マイケル・キートンという芸名にしたそうです。

 

 

● サーシャ・ファイファー

演: レイチェル・マクアダムス

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトチームの記者「サーシャ」を演じています。

 

カナダのオンタリオ州出身の女優さんです。

カナダのヨーク大学で演技を学んだ後はカナダのテレビや映画に出演し2002年のアメリカ映画『ホット・チック』で注目を浴びます。

ちなみに僕(管理人)が始めてこの女優さんを知ったのは2004年の『きみに読む物語』で、その美貌にすっかりやられてしまいました。

それはどうでもいいということなので先へ進めますが、その後はアクション映画からコメディ映画など幅広く活躍します。

そして2013年のSF恋愛映画『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』での素晴らしい演技でまたもは僕(管理人)はやられてしまいます。

そして今作『スポットライト 世紀のスクープ』での演技でアカデミー賞にノミネートされました。

 

●マット・キャロル

演: ブライアン・ダーシー・ジェームズ

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトチームの記者「マット」を演じています。

 

アメリカのミシガン州出身の俳優さんです。

1993年からブロードウェイで活躍して、2009年にはブロードウェイ・ミュージカル版の『シュレック』でのシュレック役で数々の賞を受賞します。

近年だとNetflixの人気ドラマ『13の理由』『ファースト・マン』『X-MEN ダーク・フェニックス』などにも出演してますね。

 

● マーティ・バロン

演: リーヴ・シュレイバー

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 ボストン・グローブ紙の新任の編集局長「バロン」を演じています。

 

カリフォルニア州サンフランシスコ出身のアメリカの俳優さんです。

1歳の時にカナダに移るも4歳の時に両親が離婚し、母親とニューヨークに移住してそこで育ちます。

ロンドン王立演劇学校やイェール大学演劇大学院で演劇を学び1993年にブロードウエイでキャリアをスタートさせます。

その後『スクリーム』シリーズで注目されますね。

そのかたわらで、舞台俳優としても活躍していて、2005年にトニー賞演劇助演男優賞をもらっています。

 

● ベン・ブラッドリー・ジュニア

演: ジョン・スラッテリー

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 ボストン・グローブ紙のベテラン部長「ベン」を演じています。

 

アメリカのマサチューセッツ州ボストン出身のアメリカの俳優さんです。

『イレイザー』『トラフィック』『父親たちの星条旗』など色々な作品に出演しています。

近年だとMCU『アベンジャーズ・シリーズ』でのトニー・スタークの父親ハワード・スターク役で見たことある人も多いと思います。

個人的になんかこの俳優さんの画面内の画としての存在感が結構好きなんですよね、この『スポットライト 世紀のスクープ』でも動きの少ない題材の画面内のバリエーションとして抜群の存在感だったと思います。

 

● ジム・サリヴァン

演: ジェイミー・シェリダン

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 カトリック教会と孤独に戦う弁護士「サリヴァン」を演じています。

 

アメリカのカリフォルニア州出演のアメリカの俳優さんです。

1978年に舞台俳優としてデビューし、経験を積んだ後はTVドラマを中心として活躍して主に『LAW&ORDER: 犯罪心理捜査班』や『HOMELAND』などがあります。

映画にも多数出演していて、近年だと今作の他に『ハドソン川の奇跡』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』などがありますね。

 

☆3分でサクッと知りたい人はこちら☆(ネタバレなし)

基本的に派手な映画ではないです。

足と忍耐を使って一歩一歩じわじわと真相に近づいていく類のジャーナリスト映画なんですよ。

そして実話、しかもこの事件と記事に関してはかなり大きなニュースだったので、初めからどういう結末に向かうかは分かってるわけですよ。

その前提で、そこまでの過程を丁寧に描く事で深い所から何か伝えれるものがあるんじゃないかという作品なんですよ。

 

ただし、日本だとカトリック教会ってそこまで馴染みのある人は多くないと思うし、欧米的には大ニュースだった今作の事件でも日本でそこまで注目してる人もこれまた多くないと思います。 

つまり、この映画の中の記者達同様に事件を暴いて初めて知って驚いていくというフィクション映画のような観方も全然アリです。

 

そして仕事人映画でもあるんですよ。

地道な仕事、その積み重ねによって巨悪を追い詰めていくという正にジャーナリズム映画の醍醐味を味わえます。

おまけに、観た人まで少し仕事にやる気が出ます。(管理人調べ)

そしてその「仕事」を自ら体現してくれる役者陣の素晴らしい演技も、見所ですね。

けして派手ではない、派手ではない映画なんだけど役者陣の、特にボストン・グローブやスポットライトチームの役者のアンサンブルが華やかで全く飽きさせないです。

だからこそ、観る方も熱くなり、怒ったり、悲しんだり、事件に寄り添って考えることが出来るんですね。

 

ジャーナリズムを題材にした映画はハズレがなくどれも面白いんですが、真相を暴いて突き付ける相手は基本的にその国の「政府」だったりすることが多くて最後はそれなりにカタルシス(スカッとするぜ!)があります。

しかし、暴く相手が「宗教」となると、最後の余韻はこんなに違うものになってしまうのか…と、そこも見所であり大事なポイントなんです。

 

ジャーナリズム映画としての面白さをしっかり押さえ、「見ないふりで曖昧にした結果」を自分にもどこか照らして合わせて考えることも出来る、良い映画です。

 

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

スポットライトのチーム達

 

★もっと知りたい人はこちら★ 紹介・解説(ネタバレあり)

 

ボストンとカトリック教会

この映画は、ボストン司教区(ボストン中に何個もある教会をひとまとめにした単位)のカトリックの司祭(神父)が長年にわたり大量の児童に性的虐待を行なっていた事実を組織ぐるみで隠蔽していたという大事件と、それを新聞記事という形で地道な苦労の末に世に明るみに出した新聞記者達を描いた作品です。

ということで、ボストンという都市とカトリックについて多少なりとも知っておくと映画により入り込めるし、これがいかに大事件かということも分かると思います。

 

カトリックって分かりますよね。

 

ああ、あれでしょキリスト教のやつでしょ、って?

 

そうキリスト教のやつです。笑

 

世界中のあるゆる宗教の中でも最大の信者数をほこるキリスト教のやつです。

その数、おおよそ世界人口の三分の一にものぼります。

ただし、僕達はキリスト教というと大雑把にまとめて言ってしまいがちだけど、キリスト教っていくつかの宗派に分かれてるんですよね。

そのいくつかある宗派の中で、教徒の人数が1番多いのがカトリック教会(ローマ・カトリック)という宗派なんです。

 

ちなみに世界中で12億人以上いると言われています。

 

このキリスト教最大の宗派カトリック教会という組織や仕組みですかね、とりあえずその辺を軽くでも知っておくと良いと思うんで触れますが、知ってる人にとっては基本中の基本なのですっ飛ばして下さい。

 

さっき宗派の話をしましたけど、このブログで扱うアカデミー賞の作品は基本的にはアメリカ映画なのでアメリカの場合のキリスト教事情で考えると、大きく2つの宗教に分かれます。

 

カトリックとプロテスタントです。

 

なんか、どちらも聞いたことありますよね。

アメリカ映画にも結構出てきますからね。

 

ただおそらく、興味がない人にとってはカトリックもプロテスタントもごっちゃになってると思うんですよね。

 

でも、ごっちゃにはできないんですね。

異端は異教より憎しという言葉があるように、その昔は宗派に分かれて何度も戦争したぐらいですからね。

 

ということで!

この2つの宗派の違いをものすごく大雑把に分けてしまうと、カトリックは伝統と教会を重要とする宗派で、プロテスタントは聖書を重要とする宗派なんですよ。

 

まずカトリックですね。

そのカトリックの「伝統と教会」というのは、文字通り大昔から脈絡と続く“教会”という組織の中でキリスト教を信仰するというものです。

特徴としては、ローマにあるバチカンのローマ教皇を頂点としてピラミッド状の組織になってるところですかね。

カトリックには色々な儀式があって、それは教会で行われるんですけどその儀式を執り行えるのは司祭職の人だけと決まっています。

ちなみにその司祭という役職の人がいわゆる神父さんですね。

 

つまりカトリックの一般信者にとって、教会や神父さんは自分よりも神により近い存在でとても神聖なもの、身もふたもない言い方をすれば自分よりも偉い人ってことですね。

そうやって偉さの違いをピラミッド状に作ることによって大勢の信者達の秩序を遥か昔から守ってきたわけです。

あと、教会という場所が神聖で特別な場所だということを分かりやすくするために教会が派手だったり華やかだったりするのもまあ特徴ですかね。

 

しかし世俗から離れた“教会”という閉鎖的な世界の中では、やはり腐敗していき様々な問題が起こります。

それがプロテスタントという宗派の登場に繋がっていくわけなんです。

 

ということで、次はプロテスタントですね。

ちょっとめんど…いや、この映画と直接関係ないので細かいことは一切端折りますが。笑

ヨーロッパでカトリック教会がめちゃくちゃ権力を持って腐敗しまくったので16世紀ごろにルターという人がカトリック教会を批判したのをきっかけに起こった宗教改革によって分離したのがプロテスタントです。

プロテスタントという言葉には「反抗する者、抗議する者」という意味があります。

だからカトリック教会に対して、「人が作った教会とか組織とかもうええわ!聖書が1番大事!聖書を通して個人個人が神さんを直で信仰するから!」

という抗議的な感じで生まれたのがプロテスタントという宗派です。

だからキリスト教の宗派の中では結構新しい方なんですね。

 

さて、この映画の舞台となるアメリカです。

毎回、新しい大統領の就任式の時に聖書に手を置き誓いの言葉を述べる場面でお分かりの通りアメリカ合衆国はキリスト教の国家ですね。

国全体の割合で見た時に、アメリカの場合はカトリックよりもプロテスタントの方がはるかに多いんですが州単位で見ると特徴がそれぞれ違っていて、この映画の舞台となるボストンのあるマサチューセッツ州の宗教人口はカトリック教徒が1番多く、州都であるボストンも当然カトリックのコミュニティが市民に浸透しいるんです。

多くの人々の拠り所になっていて、つまり教会という場所や存在が生活の一部になってるような街なんですね。

それは同時に教会側が街の中で大きい権力を持っていることにもなります。

 

そんなボストンという街で、カトリック教会の長年にわたる「裏切り」を記事を書こうとする記者達の物語なのです。

それはどういう事を意味するのか、単に政治家や企業の汚職を暴くのとは全く異なる責任を背負うことになる。

その辺を理解した上で映画を観ると入り込めるし、この年のアカデミー賞の【作品賞】を受賞したというのも日本人の僕らも感覚として掴みやすいと思います。

 

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

教会で歌う子供達

 

役者陣の演技が見事

例えばアクション映画とかと比べると地味そうですよね。

実際に地味なシーンが多いです。笑

 

なにせ記者達の仕事です。

取材がメインなんで、必然的に会話のシーンが多いんだけど僕は退屈しなかったですね。

みんな演技が素晴らしいんですよね、トーンとしては抑えめなんだけど表情とか間で魅せるんですよ。

 この映画の場合は、感情を爆発させるような演技はここぞという時にとっておくからこそ、より心に響くものになってました。

公開当時に劇場で観た時には、邦画の演技とは全く対照的だと思いましたね。

 

マイケル・キートン良かったですね〜。

『バード・マン』も良かったですけど、この映画の演技もかなり好きですね。

最初のスピーチのジョークの掴みから最後の締めまで、この映画全体の演技のトーンをまとめあげる役割を果たしてました。

要所要所で手綱を引いてくれるような存在感でしたよ。

 

レイチェル・マクアダムスは被害者への取材の時のリアクションの表情が良かったし、編集長を演じるマーティ・バロンは声と存在感が本当にハマっていました。

 

マーク・ラファロの、劇中で1番走り回った男の口から吐き出された言葉だからこその説得力のある「今も起こってるんだ」と感情爆発させるシーンも良かったですね。

 

 

顔が頻繁に映る会話シーンが多いからこそ、むしろ役者の演技を堪能出来る作品になってると思います。

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

素晴らしい演技のアンサンブル

 

ベンとロビーに注目

さっきチームリーダーの「ロビー」役のマイケル・キートンの演技が素晴らしいと言いましたけど、そのロビーの上司である部長の「ベン」を演じたジョン・スラッテリーの存在感も良かったですね。

あのスラッとした白髪の男性ですよ。

 

ところで、この映画ではあえて明確に説明されてない事があります。

しかし、ベンとロビー、この2人のシーンに注目して映画を観ると、さらに見えてくるものがあります。

 

ベンとロビーは上司と部下であり長年ボストン・グローブで仕事をしてきた仲間でもあります。

 

ただ、ジャーナリズムのプロフェッショナルが取材で悪事を暴くという映画ならば、スポットライトチームと編集長の関係性だけでも十分に描くことが出来るはずです。

しかしこの作品はそのスポットライトと編集長の間に部長の「ベン」という人物を主要な登場人物の1人として置いています。

 

それはなぜか、もちろんこの物語の中で彼には役割があるからなのです。

 

と、まあ勿体ぶってもしょうがないので言ってしまいますが、ベンは神父が性的虐待をして教会が隠蔽している事を昔から知ってたんですよね。

それは劇中では直接的には語られませんが、ベンが度々劇中で登場する場面の言動が物語っています。

じゃあ彼はなぜ知っていたか、それは数年前に弁護士マクリーシュからボストン・グローブ紙宛に送られてきた性的虐待をした神父についての資料を見ていたからです、そしてその資料を無かった事にした張本人だからです。

そして、ロビー達が情報を求め何度も訪ねてくるのに嫌気がさした弁護士マクリーシュがついに「何年も前に資料を送った、なのに無視したのはそっちだろう」と怒ってきた時に、ロビーはそのことに気付いてしまうわけです。

 

そこでいよいよ劇中の終盤、最終ミーティングの場面で表面上のセリフではロビーの方から「実は資料が届いてたのに自分がちゃんとした記事にしなかった」と、あえて自分に責任があったような言い方をベンの目を真っ直ぐ見つめながら話します。

ベンはとっさのことで、表情に動揺が浮かびます。

 

ここで思い出して欲しい劇中の印象的なセリフがあります。

「君の探している文書はかなり機密性が高い、これを記事にした場合、誰が責任を取る?」

 

「じゃあ、記事にしない責任は?」

 

このやり取りが、あの終盤のミーティングの場面で非常に効いてくるわけです。

 

ロビーは編集長やチームの仲間みんなの前でベンの過ちを告発することをせず、ただ1人、ベンの心に向けて、まさに「記事にしなかった責任」を重く問いかける、だからあの終盤のミーティングはすごく大事なシーンなんですよ。

 

べつにこれは、ベンという人物が悪人ということを意味するのではなく、むしろその他大勢的な「何かある、でも面倒を避けて、見ないふりをした」という街の大人達の全体的な空気を象徴している実は重要なキャラクターなんです。

 

だからベンは、スポットライトチームが調査するにつれて性的虐待をていた神父の数と犠牲者の数がどんどん増えていくことにショックを受けますね。

さすがに、ここまで深刻な事態になってるとは思ってなかったし、当然そんなの望んでもないわけですからね。

 

しかし、とうとう自分の想像をもはや絶するほど遥かに超えた数字を突き付けられた後、呆然とその事に向き合わざる得なくなるわけです。

暗闇に1人座って。

あの時に面倒から逃げずにちゃんと記事にしていれば、もっと犠牲者を減らせたかもしれないというまさに「記事にしなかった責任」を彼は背負っていくしかないんですね。

 

 (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

実は大事な役割のキャラクターのベン

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

子供の頃、心に消えない傷を負った犠牲者

 

ジャーナリズムの役割

ジャーナリズムと言っても、本当に色々な役割があると思います。

その中の1つに、新たな風を通すというのがあると思います。

例えばまあ、組織でも企業でも何かの業界でも宗教でも何でもいいけど、ずっと長年同じ状態が続いてると必ず空気が淀んできますよね。

 

淀んだ空気は人々の感覚を鈍くさせます。

 

それは時として、誰かの悲鳴も聞こえなくなるほど感覚が鈍くなってしまうこともあります。

もちろんそうなる前に、その状況をちゃんと自覚して、新しい風を入れることが出来る場合もあります。

企業なんかは割とそういう取り組みを意識的に行っていますよね。

 

しかし、この映画のカトリック教会なんかはまさに長年にわたって閉じられた世界の中で空気を淀ませてきました。

もはや内側からは変えることができないぐらいに皆の感覚がとっくに鈍ってしまった時、全く外から風を通すことができるのがジャーナリズムの力だと思います。

 

この映画でもカトリック教会の力が強いボストンの街の空気など知らないし気にしない、全く外から新しくやってきたユダヤ系の編集長がボストン・グローブ紙に風を通した形になりますね。

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

調査と取材の積み重ね

 

的確な演出と音楽

 

監督のトム・マッカーシーですけど、『ミート・ザ・ペアレンツ』『父親たちの星条旗』などに俳優として出演したり、『カールじいさんと空飛ぶ家』の脚本に参加したりと監督業以外での活躍も印象に残ってますけど、今回は監督としてとても丁寧に良い仕事してましたね。

 

まず映画の冒頭にいきなり1976年のボストン警察署から始まって、児童に“いたずら”をしたとしてゲーガン神父が拘留されてるところへ司教や地方検事補がやってきて、そこで被害者児童の親と何やら話し合いをして事件にすることなくこの件を終わらせ、性的虐待をしたゲーガン神父は司教に連れられて黒塗りの高級車でさっさと帰っていく。

それをポカンと見つめる新米警察官。

 

冒頭の、このシーンって別に無くても、いきなり現在から始まってなんら問題ないんですけど、でもこのシーンがあることで終盤にむけて観客の感情の動きにすごく効いてきますよね。

 

新米警官が大変な顔して先輩警官に言うんですよね、「裁判になれば知れ渡りますよ」って。

先輩の警官は諦めたような半笑いで「ならんよ」と言うんですよ。

 

これは結構大事なシーンで、この時に僕たち観客も無意識的に「この街じゃめずらしくない事なんだろうな」と思ってしまうんです。

本当は大変な事なのに、「そうかめずらしくない事なんだ」と自分の中で無意識に“事態を軽く変換”してしまうんですね。

つまり、先輩警官が軽い感じで言った「(裁判になど)ならんよ 」という、街全体の空気を僕たち観客にもいきなり浴びせるわけです。

 

だから物語が進むにつれて次々と事態の全貌が明らかになっていくと、そこには驚きと怒りだけじゃない感情も混じってくるんです。

要は「見ないふりをして曖昧にした結果」を映画を通して擬似的に感じでもらう作りにもなってます。

それを、さりげなくやってるのがまたいいですね。

 

あと、『ロード・オブ・ザ・リング』でアカデミー作曲賞も獲ったハワード・ショア!

この作品でもとても良い音楽をつけてくれてましたね〜。

トーンは抑えめなんだけど、なにか深淵を覗き込むようなピアノの旋律から始まり、最後まで映画にめちゃくちゃマッチする音楽でした。

 

あと撮影監督のマサノブ・タカヤナギ、日本からアメリカに渡りハリウッドで活躍する数少ない日本人の1人ですが、アップと引きの画を思い切り良く度々切り替えながらも統一感を一切損なわない絶妙な画作りだったと思います。

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 

おわりに

どうでしょうか、面白い映画だということが伝わったでしょうか。

けっこう地味だけど面白い映画だということが伝わったでしょうか!(なぜか台無しにする補足)

 

この映画を観て地道な取材と調査の繰り返しに、アラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』を思い出す映画好きな人も多いんじゃないでしょうかね。

ああいった政治権力を相手にするジャーナリズム映画はやっぱ達成感がありますよね。

近年だとスピルバーグ監督の『ペンタゴン・ペーパーズ』とかもそうですね、あれも達成感がありますよね。

 

しかしこの映画のカトリック教会のように、人々が信じているもの、拠り所にしているもの、その裏切りを暴くことの後味の複雑さがあります。

カトリックの子供達にとってそれは自分の世界を壊されるのと同じことですからね、どれだけ深い傷が残ることか。

それがいかに罪深いことか。

それを教会はずっと無かったことにしてきました。

 

間違いなくスポットライトのチームは新聞記者として仕事を成し遂げた、それは同時についきパンドラの箱を開けたことにもなったわけです。

鳴り止まない電話が悲鳴にも聞こえます、これまで蓋の中に閉じ込められてた無かった事にされてた悲鳴に。

 

カトリックの人々にとって、それが生活の中にあるボストンの人々にとって、ここからの道のりが大変だと思います。

しかしギリシャ神話のパンドラの箱の底に最後に残ったのは希望なんです、確かにカトリック教会が揺れるぐらい大変な事になった、しかし良い方向に変革するチャンスかもしれない。

 

そんな小さな希望が暗闇を照らすようにも聞こえる1番最後のセリフ

 

「はい、こちらスポットライト」

 

このなかなかに独特な余韻は是非この映画を観て味わってもらうしかないですね。

 

 

 

映画『スポットライト 世紀のスクープ』公式サイト

 

 

第88回アカデミー賞(2016)全受賞作品&ノミネート作品一覧

※ 青文字をタッチするとその映画の紹介記事に飛べます

※ 青文字をタッチするとその映画の紹介記事に飛べます

★作品賞★

【受賞】「スポットライト  世紀のスクープ」

〜以下ノミネート〜

●「マネー・ショート 華麗なる大逆転」

●「ブリッジ・オブ・スパイ」

●「ブルックリン」

●「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

●「オデッセイ」

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

「ルーム」

★監督賞★

【受賞】アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

「レヴェナント: 蘇えりし者」

〜以下ノミネート〜

● アダム・マッケイ

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」

● ジョージ・ミラー

「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

● レニー・アブラハムソン

「ルーム」

● トム・マッカーシー

「スポット・ライト 世紀のスクープ」

★主演男優賞★

【受賞】レオナルド・ディカプリオ

「レヴェナント 蘇えりし者」“ヒュー・グラス役”

〜以下ノミネート〜

● ブライアン・クランストン

「トランボ  ハリウッドに最も嫌われた男」

“ダルトン・トランボ役”

● マット・デイモン

「オデッセイ」

“マーク・ワトニー役”

● マイケル・ファスベンダー

「スティーブ・ジョブズ」

“スティーブ・ジョブズ役”

● エディ・レッドメイン

「リリーのすべて」

“リリー・エルベ/エイナル・モーゲンス・ヴェゲネル役”

★主演女優賞★

【受賞】ブリー・ラーソン

「ルーム」“ジョイ・ニューサム/ママ役”

〜以下ノミネート〜

● ケイト・ブランシェット

「キャロル」

“キャロル・エアード役”

● ジェニファー・ローレンス

「ジョイ」

“ジョイ・マンガーノ役”

● シャーロット・ランプリング

「さざなみ」

“ケイト・マーサー役”

● シアーシャ・ローナン

「ブルックリン」

“エイリス・レイシー役”

★助演男優賞★

【受賞】マーク・ライランス

「ブリッジ・オブ・スパイ」“ルドルフ・アベル役”

〜以下ノミネート〜

● クリスチャン・ベール

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」

“マイケル・バリー役”

● トム・ハーディ

「レヴェナント 蘇えりし者」

“ジョン・フィッツジェラルド役” 

● マーク・ラファロ

「スポットライト 世紀のスクープ」

“マイケル・レゼンデス役”

● シルヴェスター・スタローン

「クリード  チャンプを継ぐ男」

“ロッキー・バルボア役”

★助演女優賞★

【受賞】アリシア・ヴィキャンデル

「リリーのすべて」“ゲルダ・ヴェイナー役”

〜以下ノミネート〜

● ジェニファー・ジェイソン・リー

「ヘイトフル・エイト」

“デイジー・ドマーグ役”

● ルーニー・マーラー

「キャロル」

“テレーズ・ベリベッド役”

● レイチェル・マクアダムス

「スポットライト 世紀のスクープ」

“サシャ・ファイファー役”

● ケント・ウィンスレット

「スティーブ・ジョブズ」

“ジョアンナ・ホフマン役”

★脚本賞★

【受賞】「スポットライト 世紀のスクープ」

トム・マッカーシー、ジョシュ・シンガー

〜以下ノミネート〜

●「ブリッジ・オブ・スパイ」

ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン

●「エクス・マキナ」

アレックス・ガーランド

●「インサイド・ヘッド」

ピート・ドクター、メグ・レフォーヴ、ジョシュ・クーリー、ロニー・デル・カルメン

●「ストレイト・アウタ・コンプトン」

ジョナサン・ハーマン、アンドレア・バーロフ、S・レイ・サヴィッジ、アラン・ウェンカス

★脚色賞★

【受賞】「マネー・ショート 華麗なる大逆転」

アダム・マッケイ、チャールズ・ランドルフ、“マイケル・ルイス『世紀の空売り 世界経済の破綻にかけた男たち』”

〜以下ノミネート〜

●「ブルックリン」

ニック・ホーンビィ、“コルム・トビーン『Brooklyn』”

●「キャロル」

フィリス・ナジー、“パトリシア・ハイスミス『キャロル』”

●「オデッセイ」

ドリュー・ゴダード、“アンディ・ウィアー『火星の人』”

「ルーム」

エマ・ドナヒュー、“エマ・ドナヒュー『部屋』”

★撮影賞★

【受賞】「レヴェナント: 蘇えりし者」

エマニュエル・ルベツキ

〜以下ノミネート〜

●「キャロル」

エドワード・ラックマン

●「ヘイトフル・エイト」

ロバート・リチャードソン

●「マッドマックス   怒りのデス・ロード」

ジョン・シール

●「ボーダー・ライン」

ロジャー・ディーキンス

★編集賞★

【受賞】「マッドマックス   怒りのデス・ロード」

マーガレット・シクセル

〜以下ノミネート〜

●「マネー・ショート  華麗なる大逆転」

ハンク・コーウィン

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

スティーヴン・ミリオン

「スポット・ライト 世紀のスクープ」

トム・マカドール

●「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」

メリアン・ブラントン、メアリー・ジョー・マーキー

★美術賞★

【受賞】「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

コリン・ギブソン、リサ・トンプソン

〜以下ノミネート〜

●「ブリッジ・オブ・スパイ」

アダム・ストックハウゼン、レナ・ディアンジェロ、ベンハルト・ヘンリック

●「リリーのすべて」

イヴ・スチュワート、マイケル・スタンディッシュ

●「オデッセイ」

アーサー・マックス、セリア・ボバク

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

ジャック・フィスク、ハミッシュ・パーディー

★衣装デザイン賞★

【受賞】「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

ジェニー・ビーヴァン

〜以下ノミネート〜

●「キャロル」

サンディ・パウエル

●「シンデレラ」

サンディ・パウエル

●「リリーのすべて」

パコ・デルガド

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

ジャクリーン・ウェスト

★メイキャップ&ヘアデザイン賞★

【受賞】「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

レスリー・ヴァンダーウォルト、エルカ・ウォーデガ

〜以下ノミネート〜

●「100歳の華麗なる冒険」

ラヴ・ラーソン、エヴァ・フォン・バール

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

シアン・グリッグ、ダンカン・ジャーマン、ロバート・パンディーニ

★視覚効果賞★

【受賞】「エクス・マキナ」

マーク・ウィリアムズ・アーディングトン、 サラ・ベネット、 ポール・ノリス、 アンドリュー・ホワイトハースト

〜以下ノミネート〜

●「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

アンドリュー・ジャクソン、 ダン・オリヴァー、 アンディ・ウィリアムス、 トム・ウッド

●「オデッセイ」

アンダース・ラングランズ、クリス・ローレンス、リチャード・スタマーズ、スティーヴン・ワーナー

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

リッチ・マクブライド、 マット・シャムウェイ、 ジェイソン・スミス、 キャメロン・ヴォルド・バウアー

●「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」

クリス・コーボールド、ロジャー・ガイエット、パトリック・タバック、ニール・スキャンラン

★録音賞★

【受賞】「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

クリス・ジェンキンス、 グレッグ・ルドルフ、 ベン・オズモ

〜以下ノミネート〜

●「ブリッジ・オブ・スパイ」

アンディ・ネルソン、 ゲイリー・ライド・ストロム、 ドリュー・カミン

●「オデッセイ」

ポール・マッセイ、マーク・テイラー、マック・ルース

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

ジョン・テイラー、 フランク・A・モンタノ、ランディ・トム、 クリス・デュースターディーク

●「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」

アンディ・ネルソン、 クリストファー・スカラボシオ、 スチュアート・ウィルソン 

★音響編集賞★

【受賞】「マッドマックス  怒りのデス・ロード」

マーク・マンジーニ、デヴィッド・ホワイト

〜以下ノミネート〜

●「オデッセイ」

オリヴァー・ターニー

●「レヴェナント: 蘇えりし者」

マーティン・ヘルナンデス、ロン・ベンダー

●「ボーダーライン」

アラン・ロバート・マレー

●「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」

マシュー・ウッド、デヴィッド・アコード

★作曲賞★

【受賞】「ヘイトフル・エイト」

エンニオ・モリコーネ

〜以下ノミネート〜

●「ブリッジ・オブ・スパイ」

トーマス・ニューマン

●「キャロル」

カーター・バーウェル

●「ボーダーライン」

ヨハン・ヨハンソン

●「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」

ジョン・ウィリアムズ

★主題歌賞★

【受賞】“Writing's on the Wall”

「007  スペクター」

〜以下ノミネート〜

● “Earned It”

「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」

● “Manta Ray”

「Racing Extinction」

● “Simple Song #3”

「グランドフィナーレ」

● “Til It Happens to You”

「ハンティング・グラウンド」

★長編アニメーション映画賞★

【受賞】「インサイド・ヘッド」

〜以下ノミネート〜

●「アノマリサ」

●「父を探して」

●「ひつじのショーン〜バック・トゥ・ザ・ホーム」

●「思い出のマーニー」

★外国語映画賞★

【受賞】「サウルの息子」(ハンガリー)

〜以下ノミネート〜

●「彷徨える河」(コロンビア)

●「裸足の季節」(フランス)

●「ディーブ」(ヨルダン)

●「ある戦争」(デンマーク)

★長編ドキュメンタリー映画賞★

【受賞】「AMY エイミー」

〜以下ノミネート〜

●「カルテル・ランド」

●「ルック・オブ・サイレンス」

●「ニーナ・シモン  魂の歌」

●「ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い」

★短編映画賞★

【受賞】「僕はうまく話せない」

〜以下ノミネート〜

●「Ave Maria」

●「Day One」

●「Everything Will Be Okay」

●「Shok」

★短編ドキュメンタリー映画賞★

【受賞】「A Girl in the River : The Price of Forgiveness」

〜以下ノミネート〜

●「Body Team 12」

●「Chau,Beyond the Lines」

●「Claude Lanzmann: Spectres of the Shoah」

●「Last Day of Freedom」

★短編アニメーション映画賞★

【受賞】「ベア・ストーリー」

〜以下ノミネート〜

●「Prologue」

●「ボクのスーパーチーム」

●「We Can't Live Without Cosmos」

 

 

 

 

〜以上24部門

 

トピック

 

2016年2月28日カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドのドルビー・シアターで授賞式は行われた。

司会はクリス・ロック、2005年の第77回アカデミー賞授賞式以来の2度目の司会となった。

最多ノミネートは「レヴェナント: 蘇えりし者」の12部門で、次いで「マッドマックス  怒りのデス・ロード」は10部門のノミネートを受けた。

前回の第87回アカデミー賞に引き続き今回も主要な演技部門で俳優が白人で占められていることに批判が上がっており、本年度の名誉賞受賞者であるスパイク・リーが授賞式には出席しないとの声明を発表しそれに続く者が出てくるなど、ボイコット騒ぎに揺れる授賞式となった。

前回でも批判された白人ばかりがノミネートされる(黒人俳優でノミネートに値する作品があるにもかかわらず)アカデミー賞が、連続で続いたことでハリウッドの保守性が浮き彫りになる形となった。

明るい話題で言えば、これまで何度も主演男優賞にノミネートされるも1度も受賞することが出来なかったレオナルド・ディカプリオ、そういう俳優としてもはや定番化してネタにされてきた中で今回遂に念願だった主演男優賞を受賞した。

その時のディカプリオのスピーチ、そして映画人で埋め尽くされた会場のからのディカプリオに対する盛大な祝福は、なにかと騒ぎに揺れた今回のアカデミー賞の中において清涼剤のように印象に残る場面となった。

 

映画『ブラック・パンサー』ティ・チャラとキルモンガーはケンドリック・ラマー!?世界中で大ヒットも納得の画期的な黒人ヒーロー映画の誕生!〜【第91回アカデミー賞】

『ブラック・パンサー』

 

第91回アカデミー賞(2019)

 

【美術賞】

【衣装デザイン賞】

【作曲賞】

 

f:id:GYAKUSOUacademy:20200726184852j:plain



(C)Marvel Studios 2018

 

原題:「Black Panther」

製作年:2018年

製作国:アメリカ

 

監督:ライアン・クーグラー

製作:ケビン・ファイギ

製作総指揮:ルイス・デスポジート、ビクトリア・アロンソ、ネイト・ムーア、ジェフリー・チャーノフ、スタン・リー

共同製作:デビッド・J・グラント

原作:スタン・リー、ジャック・カービー

脚本:ライアン・クーグラー、ジョー・ロバート・コール

撮影:レイチェル・モリソン

美術:ハンナ・ビークラー

衣装:ルース・カーター

編集:マイケル・P・ショーバー、クローディア・カステロ

音楽:ルドウィク・ゴランソン

音楽監修:デイブ・ジョーダン

視覚効果監修:ジェフリー・バウマン

ビジュアル開発主任:ライアン・メイナーディング

キャスト:チャドウィック・ボーズマン、マイケル・B・ジョーダン、ルピタ・ニョンゴ、ダナイ・グリラ、マーティン・フリーマン、ダニエル・カルーヤ、レティーシャ・ライト、ウィンストン・デューク、アンジェラ・バセット、フォレスト・ウィテカー、アンディ・サーキス、フローレンス・カスンバ、ジョン・カニ、デンゼル・ウィテカー、セバスチャン・スタン

 

 

ワカンダ・フォーエバー!!!

 

え、いきなりどうしたって ?

 

 

一緒にどうですか?まずは「ワカンダ」で腕を胸の前で交差させてXの形を作っておいて「フォーエバー」で一気に下へ振り下ろす!

簡単ですよね、では、いいですか?一緒にいきますよ。

 

ワカンダ・フォーエバー!!!

 

…なんでやらないんですか?

 

気分じゃないと?

もういいでしょう見ていて下さい、

悲しみの、ワカンダ・フォーエバー!!!

…エバー!!

…エバー!

…エバー

 

ということで、はい終わりました。

俗に言う、気が済んだというやつです。笑

 

この「ワカンダ・フォーエバー」ってこの映画の中で度々登場する掛け声なんですよ。

 

だから、もうそれだけ叫んでればとりあえず良さが伝わるかなと思ったんですが、今はもう公開当時では無いということで地道にこの映画の良さを紹介しますかね。 

さあ、とうとうMCU作品です!

「アベンジャーズ」のあのシリーズですよ。

いやあしかしMCU作品がとうとうアカデミー賞に絡んでくる時代になったんですねえ〜。

MCUといえば色々なヒーローがいるんですけどその中ではこの『ブラック・パンサー』は比較的に地味な感じに捉える人も少なくないと思います。

ただしそれはあくまでアメコミに馴染みのない日本ではということで、いざ映画が公開されてみれば世界中でびっくりするほど特大のヒットをかましたわけなんですよね

なんだかんだで日本でもヒットした印象はあるんですけど、アメコミの本場であるアメリカでは全米歴代興行収入3位にまでなってしまうほどメガヒット!これって凄いことなんですよ、『タイタニック』『アベンジャーズ』を一気に抜いたんですからね。

ちなみに2019年8月現在は『アベンジャーズ/エンドゲーム』に抜かれて全米歴代興行収入は4位になってますがこれはさすがにしょうがないですよね、ヒーロー単体の映画に比べて相手はあのMCUヒーロー全員集合の近年最大のお祭り映画ですから。

しかし、それで言えばMCU作品の歴代興行収入の中では全員集合の『アベンジャーズシリーズ』を抜きにしたら『ブラック・パンサー』は単体のヒーロー作品としてはトップです。

最終的には全世界を合わせての歴代興行収入で10位にまでなりましたね。

これは世界で『ハリー・ポッター』のシリーズや『アナ雪』よりもヒットしたって事なんですよ!

それぐらいすごいヒットしたというのは伝わったと思うんですけど、日本だともしかしたらピンとこないところもあるかもしれないのでその辺も含めて面白さを紹介できたらなと思います!

 


「ブラックパンサー」MovieNEX 予告編

 

 ※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます

 

 

あらすじ

 

遥か太古の昔、ヴィブラニウムという鉱石で出来た隕石が地球に堕ちてきます。

そこはその後アフリカと呼ばれる地になり、その中でもヴィブラニウムの産地となったワカンダ王国は絶大なパワーを持つヴィブラニウム鉱石のおかげで小国ながらも大いに国が発展して超文明国家になっていくのです。

とにかくこのヴィブラニウムというのは万能な鉱石なので色々な所へ使う事が出来て科学技術が次々と開発されていきます。

しかしヴィブラニウムの事を白人国家などの他国に知られ、奪い取る為に侵略や悪用されることを恐れて世界へ向けては超文明国家であることを科学技術を駆使して隠したり世界中にスパイを放ってずっと秘密を守り通してきたんですよ

だから国際的には、表向きはある種世界から隔離された発展途上国としてきたんですよ。

 

まあつまり、ヴィブラニウムの恩恵を受けて国として大きなパワーを持ちながらも、世界中で起きる惨劇からは「うちは関係ありません」という無介入というスタイルでやってきたってことですね。

 

いたって利口じゃないかって?

 

まあ、もちろんそうとも言えるんですけどね。

 

そうやってかたやワカンダ王国の繁栄と、かたや世界の時代の移り変わりのさなかの1992年、当時の国王であるティ・チャカ(ジョン・カニ)がアメリカ・カリフォルニア州オークランドでスパイとして潜入していた弟のウンジョブの元を訪れます。

実はこのウンジョブワカンダで入手した武器を武器商人のユリシーズ・クロウに横流ししていて、ティ・チャカをそれを問い詰めに来たんですね。

そこでウンジョブ「放っておけない」と言うわけですよ。

アメリカに来てワカンダ王国の外では未だに黒人が虐げられている現実を目の当たりにして、武力でなんとかしようと思ったんですね。

しかし、ティ・チャカ国王「それはならん」ということで、実の弟のウンジョブの胸にその場でヴィブラニウムの爪を突き刺し、国王自ら手を下してしまうんです。

 

そしてその事実を封印します。

 

時は流れ、24年後の2016年。

ウィーンで行われたソコヴィア協定の署名式で起こった爆破テロによって国王ティ・チャカが死亡してしまうのです。

そして息子であるティ・チャラ新しい国王として即位することになり、新たなブラック・パンサーの物語が始まるわけです。

 

ワカンダ王国の新たな国王ティ・チャラの成長をどう描くのか?

 

ヴィブラニウムを狙う武器商人ユリシーズ・クロウ、そしてティ・チャラが越えなければならない謎の敵キルモンガーとの闘いはどうなるのか?

 

先代国王死去にのるワカンダ王国の御家騒動、その先にワカンダ王国が示す道とは?

 

物語は、その辺を注目して楽しんでもらえたら良いかと思います。

 

主要登場人物キャスト

 

●  ティ・チャラ/ブラック・パンサー

演:チャドウィック・ボーズマン

 

(C)Marvel Studios 2018

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中ではワカンダの若き国王とブラック・パンサーという2つの顔を持つ主人公のティ・チャラを演じています。

サウスカロライナ州で生まれたアメリカの俳優さんです。

学生時代はスピーチとバスケが得意で、文武両道だったとのことです。

俳優としては2003年からテレビドラマなどでキャリアを積んでいきます。

映画の出演としては2014年の『ジェームス・ブラウン〜最高の魂を持つ男〜』での主人公であるジェームス・ブラウンの完コピ演技が話題を呼びました。

個人的には2013年の『42 〜世界を変えた男〜』での戦後のアメリカで差別に耐え忍び戦った黒人メジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンを見事に演じていたのが印象に残ってます。

 

 

●  エリック・“キルモンガー”・スティーヴンス/ウンジャダカ

演:マイケル・B・ジョーダン

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、MCUでも指折りのヴィラン、キルモンガーを演じています。

カリフォルニア州生まれのアメリカの俳優さんです。

俳優の前はトイザラスなどのキッズモデルとして活躍してました。

俳優としてのキャリアは子役から始まって主なところだとキアヌ・リーヴス『陽だまりのグラウンド』など、その後は様々なTVシリーズでキャリアを積んで、世間に注目されたのはやはりライアン・クーグラー監督『フルートベール駅で』での主演ですね。

そして、その後に同じライアン・クーグラー監督『クリード チャンプを継ぐ男』アドニス・クリード役で一気に世界的な知名度と存在感を決定付けて、娯楽アクション大作であるMCU『ブラック・パンサー』でのかなり重要な悪役であるキルモンガーに抜擢されます。

 

ちなみにアメリカの映画ファンからはアニメ好きとしても知られていて、ツイッターで「ジョーダンはもう大の大人なのに両親と暮らしてて、アニメオタク」とバカにされると、ツイッター上でジョーダン「悟空とナルト(アニメ好きなの)はマジだ」と言い切ってましたね。

 

そういえば日本だとテニスの大坂なおみ選手全米オープン優秀した後アメリカのトーク番組に出演した時にマイケル・B・ジョーダンのファンだと言ったら、司会者が「ジョーダンの連絡先知ってるからあなたのこと紹介するわ」と言ってたその場で半ば強引なノリで撮った写メをジョーダンに送って、その後まさかのジョーダン本人から祝福のビデオメッセージが届いたことでちょっと話題になりましたね。

 

●  ナキア

演:ルピタ・ニョンゴ

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダのスパイとして外の世界で活躍しながらも主人公の幼馴染元恋人でもあるナキアを演じています。

両親はケニア人で、メキシコで生まれ現在はアメリカで活躍する女優さんです。

メキシコで生まれた後すぐ父親の仕事の都合でケニアに戻りそこで育ちます。

演技のキャリアとしては学生時代の舞台から始まりアメリカのハンプシャー大学で映画と演劇を学んだ後に、映画の製作スタッフとしても参加しながら短編映画『East River』に出演します。

その後ケニアに戻り、テレビシリーズに出演したり『In My Genes』というアルビノ治療についてのドキュメンタリー映画を製作・監督したりします。

その後はイェール大学の演技プログラムに参加し、様々な舞台作品に出演します。

そして2013年のスティーヴ・マックイーン監督によるアメリカ歴史映画『それでも夜は明ける』に出演、その後は『フライトゲーム』『スター・ウォーズ  シリーズ』マズ・カナタ『Us』など様々な映画注目作で活躍していますね。

 

 

●  オコエ

演:ダナイ・グリラ

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダ王国の国王親衛隊“ドーラミラージュ”隊長、そして主人公ティ・チャラのボディガードを務めるオコエを演じています。ジンバブエ出身の両親からアイオワ州で生まれたアメリカの女優さんです。

舞台と映画でキャリアを積んだ後TVシリーズの『ウォーキング・デッド』ミショーン役で注目されます。

 

 

●  エヴェレット・ロス

演:マーティン・フリーマン

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では今作の味方キャラで唯一の白人であるCIA捜査官のエヴェレット・ロスを演じています。

イングランド出身でイギリスの俳優さんで、2001年にイギリスBBCのTVシリーズ『The Office』ティム・カンタベリー役で有名になります。

その後、『ラブ・アクチュアリー』『銀河ヒッチハイク・ガイド』など映画に出演し、2010のBBCのTVシリーズ『SHERLOCK(シャーロック』のワトスン役で世界的な知名度となり、それを受けてピーター・ジャクソン監督『ホビット3部作』で主人公ビルボ・バギンズに抜擢されます。

最近だとTVドラマ版『FARGO/ファーゴ』などに出演しています。

個人的には、元々コメディ畑ということもありエドガー・ライト監督『ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!』の演技も結構好きですね。

 

 

●  ウカビ

演:ダニエル・カルーヤ

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダの“ボーダー族”のリーダーであり主人公ティ・チャラの親友であるウカビを演じています。

ロンドンで生まれたイギリスの俳優さんです。

『ジョニー・イングリッシュ気休めの報酬』『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』『ボーダー・ライン』などで脇役として出演してますね。

 

なんと言っても、2017年のジョーダン・ピール監督のホラー映画『ゲット・アウト』で主人公クリス・ワシントンを演じて一躍注目されるようになります。

 

 

●  シュリ

演:レティーシャ・ライト

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、主人公ティ・チャラでワカンダ王国の王女であり技術開発チームを率いる天才科学者のシュリを演じています。

 

ガイアナ共和国ジョージタウン出身のイギリスの女優さんです。

 

映画では他に『トレイン・ミッション』、あと『レディ・プレイヤー1』にもチョイ役で出演していましたね。

 

 

●  エムバク

演:ウィンストン・デューク

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダの山の中に住み長い間ワカンダ王国とは距離を置いてきたジャバリ族のリーダーであるエムバクを演じています。

トリニダード・トバゴで生まれアメリカへ移住したアメリカの俳優さんです。

TVシリーズでキャリアを積み、今作『ブラック・パンサー』で映画出演を果たします。

その後は『アベンジャーズシリーズ』2作に出演しています。

 

 

●  ウンジョブ

演:スターリング・K・ブラウン

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダの先代国王ティ・チャカの弟でウンジャダカウンジョブを演じてます。

 

ミズーリ州生まれのアメリカの俳優さんです。

俳優としては地方の舞台からスタートし、様々なTVシリーズや映画などでキャリアを積みます。

特に、2016年から始まったNBCのテレビドラマ『THIS IS US』での演技が高く評価され、アフリカ系アメリカ人では初めてゴールデングローブ賞男優賞(ドラマシリーズ部門)を受賞しています。

『ザ・プレデター』にも出演してましたね。

 

 

●  ティ・チャカ

演:ジョン・カニ

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ティ・チャラシュリ父親であり、ワカンダ王国先代国王ティ・チャカを演じています。

 

南アフリカの俳優さんです。

 

 

●  ラモンダ

演:アンジェラ・バセット

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ティ・チャラシュリ母親でありワカンダ王国女王ラモンダを演じています。

 

ニューヨーク・ハーレム出身のアメリカの女優さんです。

『マルコムX』を始め、多数の映画やTVシリーズで活躍していて、1993年の『TINA ティナ』ではアフリカ系アメリカ人女優として初めてゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞しています。

 

 

●  ズリ

演:フォレスト・ウィテカー

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダの王位継承の儀式を取り仕切る高僧で、先代国王のティ・チャカ側近でもあったズリを演じています。

 

テキサス州で生まれカリフォルニアで育ったアメリカの俳優さんです。

始めは俳優ではなくオペラ歌手を目指して南カリフォルニア大学でクラシック音楽と演劇を学んだ後、俳優の道へ進み数々の映画やTVシリーズに出演してキャリアを積みます。

『プラトーン』『バード』『クライング・ゲーム』など、まあ、今やベテラン俳優ですね。

特にイーストウッド監督作『バード』ではカンヌ国際映画祭男優賞を受賞してますね。

 

最近だと今作の監督ライアン・クーグラー『フルートベール駅で』や、『メッセージ』『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』などに出演しています。

 

 

●  ユリシーズ・クロウ

演:アンディー・サーキス 

 

(C)Marvel Studios 2018

 

劇中では、ワカンダ王国の資源であるヴィブラニウム鉱石の密輸を企てる武器商人ユリシーズ・クロウを演じています。

 

ロンドン出身のイギリスの俳優さんです。

 

舞台や映画でキャリアを積みます。

ピーター・ジャクソン監督の作品によく出演していて1番有名なのは『ロード・オブ・ザ・リング』ゴラムで、モーションキャプチャと言われる手法で(特殊なセンサーやマーカーを身体に貼り付けて実際の人物の動きをデジタル的に記録してCGの映像に反映させる)、それ以降は一流のモーションキャプチャアクターとしても大活躍してますよね。

 

個人的にはアンディ・サーキスのモーションキャプチャではリブート版『猿の惑星』シーザー役がすごい好きです。

 

 

●  ギャンブラー

演 :  スタン・リー

 

(C)Marvel Studios 2018

 

韓国の釜山のカジノで遊んでいた老人を演じています。

言わずと知れた、アメコミ界の巨匠であり数々の人気ヒーローを生み出してマーベルの父と呼ばれるレジェンドです。

2018年11月12日に95歳でお亡くなりになり、MCU映画の恒例行事であったカメオ出演する謎の老人ももう観ることが出来ないと思うと残念です。

 

ヒットの理由を探る

MCU作品として

まずなんと言ってもこの『ブラック・パンサー』は皆んな大好きMCU18作品目であり、当時はその最新作というわけでもちろん注目されるわけです。

しかも『キャプテン・アメリカ  シビル・ウォー』のきっかけにもなってしまったウィーンでのソコヴィア協定の一件で、国王を殺害されたワカンダ王国のその後ということで気になりますからね。

ちょっとここでMCUについて1から説明すると時間が吹っ飛ぶことになるので詳しい説明は今はしませんが、『アベンジャーズ』に代表されるようにそれぞれ単体映画のヒーロークロスオーバーしていく世界観が大きな特徴です。

いわゆるユニバースってやつです。

このユニバースってのは非常に楽しいやり方ではあるんですけど、作品の数が増えてくるのにしたがってどんどん続き物の要素が多くなってきて「映画の連続ドラマ化」してくるわけなんで一見さんにはハードルが高くなるところ『ブラック・パンサー』はクロスオーバーの要素も最低限なのでこの作品単体でもヒーローアクション映画として楽しめるんです!

極端な話、初めてMCUを観るというような人でも全然楽しめる作品だと思います。

 

画期的な黒人ヒーロー映画として

 

この規模の大作のヒーロー映画では主人公が黒人という設定は非常に珍しくて、MCUでは初めて、そして意外な事にディズニーでも初めてのことなんですよ。

更に黒人監督の手によって作られてるんです。

 

今までなかったのかって?

 

ウェズリー・スナイプス主演の『ブレイド』とかは浮かぶんだけどあれはどちらかと言えば変化球ダークヒーローで、今作のように王道のヒーロー映画、つまり今までなら当たり前のように白人が演じてきた類のヒーロー黒人キャストで作ったってのはほとんど例が無いんじゃないですかね。

僕が知らないだけかもしれないですけどね。

 

ちなみに黒人が主人公を演じると言っても、70年代に流行ったアフリカ系アメリカ人をターゲットにした黒人俳優が主役のブラックスプロイテーション映画の数々はちょっと違う流れだと思っています。

 

それだけじゃありませんよ。

 

監督も黒人、のみならず映画のスタッフもほとんど黒人で固められ、世界中から腕利きの人材を集めてきて作られた作品なんですよ。

 

あとキャストですね、この映画って主人公だけじゃなく主要からチョイ役に至るキャストのほとんどが黒人の役者さんです。

それも当然で、だって物語の舞台が架空の国とは言えアフリカのワカンダ王国アクションヒーロー映画なんですから、画面に登場する人物のほとんどが黒人だけで構成されてるのも自然な事ですよね。

でも今まで誰もやってないんですよ、この規模とこのジャンルでほとんど黒人だけで作るってことを。

やはり興行的にも成功しないと思われてたんです。

 

で、それを見事に覆してみせたのがこの映画ということですごく画期的な作品なんです。

 

黒人による黒人のための王道作品という側面もあるとは思うけど、やっぱ射程はそれ以上に大きく「黒人だけで作った映画でも世界中の人々を楽しませることが出来ることを証明するんだ」という意気込みが作品からビシビシと伝わってくるのがまた良いんですよ。

 

となると、まず作品の土台ですよね、この舞台となるワカンダ王国が魅力的じゃないと話にならないわけです。

 

アフロヒューチャリズムの継承作品として

アフリカの奥地にある架空の国であるワカンダ王国

まずこのワカンダ王国の描き方が新鮮なんです。

 

皆さんはアフリカと聞いてどんなイメージを持ちますかね?

野生動物だったり貧困だったり、何なら割と民族色の強い土着的イメージを持ってる人も少なくないと思います。

 

テレビで見るアフリカはだいたいそんな感じ、って?

 

そういった部分も決して間違ってる訳じゃないんですけど、やっぱテレビのバラエティとかだと「僕らがイメージする(見たい)アフリカ」というのを拾ってきますからね。

 

でもそんな僕らだからこそ、なおのことこのワカンダ王国が新鮮に感じられるはずです。

 

なんたって、ものすごいオシャレでハイテクな未来都市として描かれてるんですから。

 

表向き(バリアの外)は正に我々がイメージする通りのアフリカの小国で、いざワカンダ王国に入ってみればヴィブラニウムという万能鉱石のおかげで世界一の科学文明を持つ国なのです。

しかもアフリカの民族衣装カラフルなデザイン装飾ハイテクな科学文明と混ざり合っていて、そこが結構新鮮なんですよ。

 

(C)Marvel Studios 2018

(C)Marvel Studios 2018

ハイテクとアフリカンとの融合、ワカンダ王国

 

今言った、こういうワカンダ王国のような世界観って実は昔あったんです。

「アフロヒューチャリズム」と呼ばれ、主に音楽の世界のヴィジュアル・コンセプトや思想として表現されてました。

宇宙的な、SF的な、あとピラミッドとかね、そんなイメージの中で黒人アーティストがファンクを奏でるという凄くインパクトのあるヴィジュアルで、PVCD/レコードジャケットになってりしてたんですよね。

1番有名だと「アース・ウィンド&ファイアー」とかになるんですかね。

 

で、それを音楽じゃなく映画の娯楽大作で現在のクオリティで再現したのが『ブラック・パンサー』のワカンダ王国なんです。

 

でも実際のアフリカとこの映画のような「アフロ・ヒューチャリズム」とは違うんじゃないかって?

 

それがあながち違うとも言えないんですよ!

 

イメージの話に戻りますが、さっき言ったように僕らが思う昔ながらの「ザ・アフリカ」的なイメージは古くて、ここ10年20年かけて少しずつ豊かになってきて近年ではハイテク化もかなり進んでるんですよ。

分かりやすいところだとマサイ族にもスマホが行き届き、何なら副業でWebライターをやってる戦士もいるぐらいです。笑

 

なんでアフリカはこんなに変わったの、って? 

 

そうですね、その辺は次で触れてみようかと思います。

(C)Marvel Studios 2018

アフリカ民族仮面とウーハースピーカーが混ざったデザインと機能の航空機。

アフリカの変化の象徴として

 

そもそもアフリカってまあ今でこそ発展途上国のようなイメージが定着してますけど、歴史上ずっとそうだった訳じゃないんですよね。

 

例えば昔、それこそ中世なんかはアフリカ文明科学発展していて、はっきりいってヨーロッパよりも全然進んでたんですよ。

むしろ中世ヨーロッパは最もキリスト教の影響と縛りが強い時期で、今では信じられないことに当時は世界の中でもどちらかといえば遅れている方だったんですよ。

今と逆で、隣接する中東の方が発展してたり。

『アラビアのロレンス』とか観ればまさにそんな感じで描かれていますね。

 

しかしその後、ヨーロッパ産業革命が起こったりして逆転されます。

そこから帝国主義の煽りを受けてアフリカはヨーロッパ各国に分割&植民地にされてしまうのです。

 

植民地時代のアフリカに対してヨーロッパ各国が行った事と言えば、奴隷制が無くなるまでは奴隷を好きなだけ持っていき、その後は資源を好きなだけ取っていく。

つまり、発展して潤っていたアフリカから養分を吸い尽くしてカラッカラにしていったんです。

 そもあってアフリカの国々は植民地から独立した後も発展が遅れていったんですね。

 

しかし、ここ10年20年ぐらいはアフリカが自分の国の資源を正当に自分達の為に使えるように方々様々に力を尽くしたおかげで次第に豊かになってきているんですよ。

だから、まだまだアフリカは沢山の問題を抱えてますが少しずつ例えばハイテクを使って問題を解決することも出来るようになってきたわけです。

 

そういった背景もこの映画やワカンダ王国の世界観に反映されているんです。

 

あと、大事なポイントの1つに白人諸国がアフリカから搾取していった資源の中には地下資源というのが沢山あります。

金、銀、ダイヤモンドなどの鉱石です。

 

このアフリカの地下資源を表しているのが『ブラック・パンサー』においてワカンダ王国のヴィブラニウム鉱石というわけですね。

 

そういう意味でこの映画は、もしも白人諸国に植民地にされず資源を搾取されなかったら今頃更に発展してたかもしれないアフリカの姿をワカンダという架空の国として表しているとも言えるんです。

 

注目監督の世界デビュー戦として

この映画の監督はライアン・クーグラーという若手の黒人監督です。

カリフォルニア州オークランドに生まれて幼少期はフットボールに打ち込み、南カリフォルニア大学で映画を学んで卒業しました。

 

このライアン・クーグラー監督、僕らのような映画好きの間ではなんと言っても『クリード  チャンプを継ぐ男』を作り上げた男としてその名を知られる監督ですよ。

 

あの『ロッキー』シリーズのまさかの続編を考え、誰にも頼まれてもないのに自ら脚本を書きあげ遂にスタローンと面会するに至るわけです。

そこで情熱の限りスタローンを説得するわけですよ、ロッキーの続編を作らせてくれと。

 

長編映画を1本も撮ったことない、この間まで学生だったような監督がですよ?笑

 

だから当然スタローンも乗り気になれず、この話は流れるわけです。

いくら情熱があってもあれだけ綺麗に終わった『ロッキー・シリーズ』の続編を作らせるにはどう考えてもこの若者には力不足だと思ったんですね。

そこでクーグラー監督は初めて1本の長編映画を作るんです。

『フルートベール駅で』という映画を、これは実際に2009年にオークランドの地下鉄フルートベール駅で起こったオスカー・グラント3世射殺事件を描いた作品です。

これが低予算の作品ながらとても評価され、その年のカンヌ国際映画祭“ある視点部門”作品賞を受賞するまでに至ったんですよ。

ちなみにこの時に、その後クーグラー監督作品の常連となる盟友であり俳優のマイケル・B・ジョーダンと出会います。

 

そうやって監督としての実力を見事に証明して、実績を作って再度アタックしてようやく『クリード  チャンプを継ぐ男』を作ることが出来て、いざ公開されると劇場で多くの観客をボロボロに男泣きさせる傑作となるわけです。

 

そんなライアン・クーグラー監督長編映画3作目にしてまさかのMCU映画監督に大抜擢、スケールもバジェット(予算)も段違いでなおかつ世界の幅広い観客を相手に映画を成功させないといけない、つまり全世界に向けて監督デビューする。

そんな状況でクーグラー監督『ブラック・パンサー』をどんな作品にするのか注目する人も多かったのです。

 

ブラック・ミュージック映画として

 

この映画、劇中で流れる音楽の使い方をとても大事にしています。

なぜならブラック・ミュージックも、黒人文化や歴史を背景に作り込まれる『ブラック・パンサー』には欠かす事のできない要素だからです。

選曲もその場面場面でちゃんと映画のシーンと意味が重なるように使われています。

 

そのクオリティは、クーグラー監督作品を毎回手がけていてしっかり分かっているルドウィグ・ゴランソンの音楽と、もう1人今作ではケンドリック・ラマーの存在も大きいですね。

 

ケンドリック・ラマー作品として

 

ケンドリック・ラマーといえば現在アメリカヒップホップシーン、いや音楽業界において最も重要な人物の1人と言っても過言ではない存在でここ数年の知名度の上がり方もハンパないので曲は知らなくても名前は聞いたことあるという人も多いと思います。

 

そのケンドリック・ラマーがこの『ブラック・パンサー』で使われる劇中の曲をいくつか手がけたり新曲として書き下ろしたりしてるんですね。

それだけじゃなく、クーグラー監督が熱望して映画のサウンドトラックの監修もケンドリック・ラマーが行なっています。

面白いのが、映画のサントラでもありインスピレーションアルバムにもなっていて、完成してみればある意味でケンドリック・ラマーの新アルバムのような感じになってるところですね。

アルバム『DAMN.』の次を待ちわびてる世界中のファンにとっては、まさか映画の方向からケンドリック・ラマーの新作が聴けるということで注目されたんです。

 

『ブラック・パンサー』というテーマからアルバム1枚作れてしまうぐらいケンドリック・ラマーインスピレーションを受けたってことですね。

 

それはなぜか、って?

 

『ブラック・パンサー』という作品のテーマの部分と、ケンドリック・ラマーが今までラップで表現してきた内容が共通するところが多かったからじゃないですかね。

 

理想と現実、普遍的な問題として

 

さっき言ったケンドリック・ラマーですが、カリフォルニア州コンプトンで生まれ育ち、昔のコンプトンですからね治安もヤバくて周囲の友達は皆ギャングを選んでいく、そんな環境の中で、過酷な現実と気高き理想の間で葛藤している様子が色々な形の二面性として歌詞に表れています。

この理想と現実、その二面性というのがまさに『ブラック・パンサー』における穏健な理想派ティ・チャラ過激な現実派キルモンガーなんですね。

これは現実でも普遍的な問題で、例えば黒人の歴史として理想を掲げ世界を変えようとするキング牧師と、現実の過酷さを暴力で世界を変えようとするマルコムX、この2つの考え方の対立は当然『ブラック・パンサー』の下地の1つになってるわけですが、ケンドリック・ラマーという1人の人間の中にその2つの考えがあるから葛藤するんです。

ティ・チャラもキルモンガーもどっちも俺だよ!ってことですね。

 

ていうか人間誰だって二面性があると思うんですよ、それを隠さないケンドリックの歌詞に皆は共感するし勇気づけられ、時には考えさせられるわけです。

 

だからティ・チャラとキルモンガー、この2人は鏡のような関係なんですよ。

環境や歴史の掛け違えによっては逆の立場になっていた可能性だって全然あり得る2人なんです。

だからこそティ・チャラはキルモンガーを正面から受け止めなければならないんですよ物語上の展開でも作品テーマとしても、だって彼は「自分」でもあるから。

それが分かっているから次は逆にキルモンガーもティ・チャラを正面から受け止めるしかなくなるんですよ。

そこがキルモンガーは、敵としてとても魅力的なキャラクターになってると思いますね。

 

ケンドリック・ラマー1人の心の中にこの2人が居るように、あれだけ激しく対立するティ・チャラキルモンガーが目指すものは結局は同じなんです、1つなんですよね。

対立していたキング牧師とマルコムXが最後の方では実は歩み寄ったように、目指すところが同じならば歩み寄ることもできるはずです。

 

これって僕らの心の中の葛藤でも同じことで、何か理想と現実との間で葛藤して、そこから1歩前に進めた時って多分心の中で2つの考えがお互い歩み寄ってるんですよ。

じゃないといつまで経っても何1つ前に進まないですよね。

 

1人の心の中でもそうだし、人と人、国と国でも同じことなんじゃないかと思います。

 

だからこの『ブラック・パンサー』では、黒人の歴史的な背景を象徴した諸々の設定や物語を通して誰にでも当てはまる普遍的な問題というのをちゃっかり描いてるのが凄いと思いましたよ。

 

ティ・チャラとキルモンガー、地下鉄道での2人の最後の戦いはお互い歩み寄る為の大事な過程に見えました。

 

もう僕なんかあれですよ、過激な現実路線のキルモンガーの最後のとあるセリフなんか聞いた時はね、「なんだよ、それってお前が1番理想追いかけてたんじゃねえかよ…バカ野郎…」と思ってもう涙が出てしまいましたからね。

なんて純粋で不器用なやつなんだって、もうね…ん?

 

僕の涙の話はどうでもいい、って?

 

まあ、そりゃそうですよね。笑

 

でも観終わってから、映画の冒頭のワカンダ王国の歴史をおとぎ話として説明するシーンを観返すと印象が変わり、誰が誰に対して語ったおとぎ話かを考えるとちょっと泣けてしまいますよね。

 

おわりに

 

どうですかね、『ブラック・パンサー』がなぜここまでヒットしたのか分かってもらえたでしょうか。

この映画のもう1つ大事なメッセージとして対立するもの同士が歩み寄ろうにもお互い何を目印に踏み出せばいいか分からない時は、「愛」を目印にしようよ、と言っていますね。

この映画では「歩み寄りのシーン」というのがいくつもでてきますが、その時に必ず何らかの愛が目印として双方を取り持ってくれているんですよね。

分かりやすいところだと、終盤のワカンダ王国の政治的混乱の中で恋仲同士対立することとなったオコエ(ダナイ・グリラ)ウカビ(ダニエル・カルーヤ)、お互いがワカンダの為を思っての行動した結果恋人同士で戦うことなってしまった2人が歩み寄って戦いを中止するその目印にしたのはでした。

 

そしてやっぱ映画の最後ですよね。

カリフォルニアはオークランド、まるで幼き頃の頃のキルモンガーを思わせる少年に対してティ・チャラが語る物語は、憎しみよりも愛を選ぼうぜということなんですから!

 

しかも、それを直接劇中のセリフで言うのではなく、その直後に流れるエンディング曲歌詞の中で語るとかもう、『ブラック・パンサー』という題材に対してほんと気の利いた作りですよね。

 

この記事もそのエンディング曲例の掛け声で締めたいと思います。

 

ワカンダ・フォーエバァー!

 


Kendrick Lamar, SZA - All The Stars

映画『イカロス』下手なフィクションよりもスリリング!ロシアとスポーツとドーピングのイカス関係…【90回アカデミー賞】

『イカロス』

 

第90回アカデミー賞(2018)

 

★【長編ドキュメンタリー映画賞】

 

f:id:GYAKUSOUacademy:20200726184839j:plain

 

原題 : 「Icarus」

製作年 : 2017年

製作国 : アメリカ

 

監督 : ブライアン・フォーゲル

製作 : ダン・コーガン、ブライアン・フォーゲル

脚本 : ブライアン・フォーゲル、マーク・モンロー

キャスト : ブライアン・フォーゲル、グレゴリー・ロドチェンコフ

 

 

結局やっぱり恐ロシ…おっとこれ以上言うと身の危険が。

 

さて、これはドキュメンタリー映画です。

Netflixオリジナルドキュメンタリーということで、日本だとNetflixから観れるんだけど配信が始まった時に内容が内容だけに当時少し話題になったんでタイトルぐらいは知ってる人もいるかもしれませんね。

 

イカロスと言えばギリシャ神話のあれですよ、ロウでくっ付けた借り物の翼で飛んで太陽に近づいたら溶けて真っ逆さまに墜落していくあれですよ。

つまりこれはですね、「借り物の力」ドーピングに関するドキュメンタリー映画です。

 

その内容のヤバさというのは後で説明するとして、この作品を紹介する理由は単純に面白いからです。

 

ドキュメンタリー映画って淡々としていて退屈そうって?

 

そういうタイプの作品もあります。

しかしこの作品『イカロス』は観る人を飽きさせないように映画としてとても面白く観れるように仕上がってるんです。

きっと観た人の多くが「ちょっとこの映画、入り口と出口の大きさが全然違うんですけどー!」と思うことでしょう。笑

 

そんな前置きよりも、これはさっさと紹介した方が早いですね!

 


国家ぐるみのドーピング疑惑を暴く衝撃ドキュメンタリー『イカロス』予告編

 

 ※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます

 

 

あらすじ

 

あらすじと言ってはみても、この映画の場合はあらすじを書いてたら結局最後まで説明してしまいそうなのでまず事の発端を触れてみる感じにしましょうかね。

そもそもこの作品の監督であるブライアン・フォーゲルという人は自転車レースが好きなんですよ。

 

急に何言うのって?

 

いやそれが事の発端なんですよ!

 

フォーゲル監督が中1の時に、ツール・ド・フランスという100年以上の歴史を持つ世界的な自転車ロードレースでグレッグ・レモンという選手がアメリカ人初の王者になったのを見て当時のフォーゲル少年も自転車を始めたんです。

 

その後アマチュアの選手として監督も数々の自転車レースに参加するも時速60キロで転倒して怪我をして1度は自転車をやめていました。

しかし自分とほぼ同世代のランス・アームストロングというアメリカ人選手が癌との闘病から復活してツール・ド・フランスを7連覇する偉業を見て憧れてまた自転車をやり始めます。

そこまでは良いんですが、なんとアームストロング薬物ドーピングをしていたことが発覚してツール・ド・フランス7連覇を剥奪されることになるんです。

このランス・アームストロングのドーピング問題に関しては『疑惑のチャンピオン』という伝記映画があるんでよければ観て下さいね。

 

とにかく憧れの人の記録がドーピングによって作られてた事にショックを受けたフォーゲル監督はこう思った訳です。

「アームストロングが現役中に500回も検査したのに全部パスしてたんなら、検査なんて意味ねえじゃん」

 

だったらよお!ということでフォーゲル監督がドーピングをしまくって有名な自転車レースで結果を残して、薬物検査の無意味さを世の中に突き付けるドキュメンタリー作品を作ってやるぜ。

そんな自分の身体を実験台にした体当たり型のドキュメンタリー映画なんです!

 

どうですか、この時点で結構面白そうでしょ!?

 

ブライアン・フォーゲル監督

引用:NETFLIX

 

前半と後半、まるで違うジャンルの映画

前半ワクワク後半ハラハラ

 

まず前半は監督がドーピングをバレずにレースで良い結果を残すというミッションに挑む様子をカメラは追っています。

本来ならやっちゃいけない事に挑戦してる訳で、だから観てる僕達も共犯関係のような感覚にさせて自然とワクワクするような作りになってるんですよ。

 

さあそして、いざドーピングしようと思った時に自分1人では何も分からないってことで、専門家に協力を求めたい。

そこで、監督は誰にその話を持ちかけたかというとUCLAオリンピック研究所を運営していたドン・キャトリンという人物なんですが、実はこの人は薬物検査を開発した人なんですよ。

 

つまりドーピングした選手を摘発する為に薬物検査というのを作った張本人にドーピングのアドバイザーになってくれと頼んだわけです。笑

 

そりゃさすがに無理だろうと思ったら「面白いアイデアだ」と、意外と話に乗ってくれて、なんと協力してくれる事になるんです。

 

しかしこのドン・キャトリンさん、途中で、「やはり私が関わってたらまずい」ということで降りてしまいます。

その代わりにと紹介されたのがモスクワ・オリンピックラボに勤めるグレゴリー・ロドチェンコフという人で、そこから本格的にドーピングのチャレンジが始まるのです!

 

まず、このロシアのモスクワに住むグレゴリーという謎のおっちゃんがまた良いキャラをしてるんですよ。

よく喋るし、冗談をかましてきて明るいし、それもなぜか基本的に上半身裸で。笑

冗談を言った後に舌をペロッて出すチャーミングなおっちゃんですね。

しかしドーピングの指示は的確に出してきます。

 

そんなグレゴリーの協力のもと監督は薬の入った注射を太ももにぶっ刺し、尻にもぶっ刺し自転車レースのトレーニングを重ねるわけです。

そしてロードバイクの速さの目安であるワット数もドーピングを始める前の年よりも20%アップするんですよね。

当然といえば当然だけど、ああやっぱドーピングって効果あるんだな〜と思ったりね。

 

いつもはグレゴリーとのやりとりはロシアとアメリカということでパソコンを使ったビデオ通話なんですが、薬物検査が近づくとグレゴリーがアメリカの監督の元へ訪れて直に対策を講じたり、レースの後は監督をモスクワに招いたりと2人は良い関係を築いていきます。

 

そんな中、このドキュメンタリー映画の企画そのものをゆるがす重大な事が起こります。

 

2015年11月9日、WADA(世界反ドーピング機関)が世界へ向けてとある発表をしました。

それは要約すると、陸上競技においてロシアが組織的にドーピングしている事実を確認した、というものでした。

そしてそのロシアの組織的ドーピングやその他隠蔽工作を行なっていた中心人物があのグレゴリーだったんです!

 

そこからこの作品は、監督自身が自らの体を張って薬物検査の無意味さを暴く目的から、ロシアの国家ぐるみの巨大なドーピングを暴き告発する内容に変わっていきます。

そしてこのドキュメンタリー作品の主人公は監督からグレゴリーのおっちゃんへと変わっていくのです。

 

そこからの展開は、とにかくスリリングで面白くて、どんどんスケールが大きくなっていきます。

陸上競技だけではなく、全ての国際競技でドーピングが行われていたことが徐々に明らかになっていき、それはオリンピックにまで及びます。

これは今までメダルを量産してきたロシアにとって信頼を根底から覆すことですよね。

 

この国家ぐるみのドーピング、もちろんグレゴリー単独の意思でやったわけはなくてそれを指示した人間がいるのです。

それを辿るとロシアの大物政治家が次々と浮かび上がるわけですよ、そしてやはり行き着くのはあの人物ということになるんですね〜。

これは恐ろしいところへ足を踏み入れた、このままこれを製作をして大丈夫かというところで、しかしグレゴリーやフォーゲル監督やこの作品の制作陣もこの問題を暴き切る方向に覚悟を決めるんですよ。

 

そこからは作品のプロデューサースノーデンの弁護士なども加わり、ロシアを相手にどう戦略的に告発し、グレゴリーを亡命させるかという展開になっていきます。

これらが画面上ではノンフィクションで現在進行形で描かれるのでスリリングなんです。

 

あとは、もうこの作品を観てもらった方がいいと思いますね!

 

ロシアの諜報機関のことや、関係者が謎の死を遂げたり、更にはNYタイムズFBI司法省IOC(国際オリンピック委員会)まで巻き込む事態にまで広がる様子をハラハラしながら観て下さい。

 

グレゴリーのオッチャン

引用:NETFLIX

 

 鍵を握る小説とは

 

「偽りがまかり通る世の中で、真実を伝えることことは革命的行動となる」

 

 

という言葉からこの映画は始まります。

 

これはジョージ・オーウェルというイギリスの作家の言葉で、その代表作「1984」という小説がこのドキュメンタリー作品に何度も引用されます。

 

この「1984」という小説については、それだけで記事が1つ書けるぐらい大変な作品なのでここで詳しく説明はしませんが、大雑把に言うと全体主義に支配された恐ろしさを描く近未来が舞台のSF小説です。

 

とてと面白く、とてもげんなりします。笑

 

しかしディストピアSF物でありながら、今の時代に驚くほど重なるところもあり、読んで損はない本だと思いますね。

 

まあとにかく、この小説をグレゴリーのおっちゃんは何度も読み返すほど影響を受けていることから、この映画の一種モチーフ的に扱われているんですね。

 

その小説の中に出てくる言葉で「二重思考(ダブルシンク)」というものがあります。

この「二重思考」というのが、この映画と大きく関わってくるんです。

 

これは「1984」の中で登場する、人々の思考に関する概念で、作中の説明では「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」とあります。

例えば2+24だけど党が5と言えばそう思うことが出来る、みたいな感じで前者と後者との間にある“明らかな矛盾を意識的に無視して純粋に双方を信じることができる”思考能力です。

この小説の中では舞台となる全体主義国家では監視や管理によって民主主義は存在しないという事実を信じながらも、国家を支配する「党」が民主主義を守護する存在だというプロパガンダをも同時に信じることができる思考状態を指してるんですが、「二重思考」を実践してると自分の現実認識を絶えずプロパガンダと合致する方へ自ら思考を操作するようになってしまうんです。

 

そしてこの「二重思考」的な考えが、ドーピングに関してロシアが明らかに黒だと分かっていながらも真っ白としてオリンピックに受け入れる又は応援することに重ねられていくんですよね。

 

この作品の優れた所

 

このドキュメンタリー映画がとても面白く観れたのは内容のヤバさもそうだけど、観客を飽きさせないように1つのエンタメ作品としても工夫されてたからなんですよ。

まず、映像がショボくないのが良いですね。

ところどころ美しい映像になったり、実際のニュース映像やインタビューはもちろんイラストやアニメーションなど伝えたい事を伝わるように様々な表現をめちゃくちゃバランスよく用いて豊かに描いた作品でした。

構成も上手くて、問題が大きくなっていく様もロジカルで分かりやすくなってました。

過去の回想の時にイラストで見せたグレゴリーの胸の“傷”が、本当にあることをちゃんと終盤に実際にカメラに映っていたのも良かったですね。

グレゴリーがロシアの組織的ドーピングを告発すると覚悟を決めた後半からは、小説「1984」で主人公に行われる“治療”である「学習」「理解」「受容」の3段階になぞらえて話が進んでいくのも分かりやすかったですね。

 

後はやっぱ、グレゴリーというおっちゃんが作品としては運良くとてもチャーミングな人物で観る人を惹きつけるキャラだったのは大きいと思います。

そんなグレゴリーが容赦ない事態に巻き込まれていく様子は、下手なフィクションのサスペンスよりもよっぽどハラハラしますよ。

 

終わりに

ある意味でロシアに喧嘩を売るような内容のドキュメンタリー、このリスキーな題材はNetflixオリジナルだから作れたのかもしれませんね。

 

映画を観て面白い時間を過ごしながら、自分まで何かヤバいところに触れた気になる。

まさにドキュメンタリー作品ならではの楽しさではないでしょうか。

 

ショックだったのはドーピングというのがここまで蔓延していると知ったことですかね。

国家ぐるみで組織的にドーピングを行う仕組みが作られたロシアだけではなく、他の色々な国、あらゆる競技でドーピングが行われているんじゃないかとやっぱ疑ってしまいます。

どんな競技でもトップクラスの選手のなんなら半分以上はやってるんじゃないの?ぐらいね。

だって現状の薬物検査方法では検査をすり抜けることが出来てしまうんですからねえ、もちろん誰でも簡単に出来ることではないですけど、知識と情報があれば可能だということをこの映画は証明してますからね。

 

フォーゲル監督がレースに出た時に「他とはレベルが違う選手が少なくとも10人はいた」という言葉が意味深に聞こえます。

 

「二重思考」というのがキーワードとして出ました、この映画の本質的な恐ろしさというのは個人的にはこれからオリンピックなどの国際競技を見る時に「選手がドーピングをしてると分かっていながら、同時にドーピングなんてしていないとも信じる」という「二重思考」でスポーツを見ることになってしまうところじゃないですかね。

何をバカなと思うかもしれませんが、この映画み観た後では、どうしたって頭の片隅に浮かんでしまいますよね。

もちろん2020年東京オリンピックもありますからね、余計な事を気にしたくないということであれば、敢えてこの映画を観ないというのもアリだと思いますけどね。笑

 

でも安心して下さい、この日本でも「二重思考」なんて沢山ありますから、僕らはもうすでに気にならないぐらい慣れちゃってますよ、どうせ。

 

まあそんな硬い話は抜きにしても、単純にとても面白い作品なので観てみてはいかがでしょうか!

 

 

映画『ROMA/ローマ』アルフォンソ・キュアロン監督の原点にして集大成!ルーツを辿って見つけたのは新たな家族の形【第91回アカデミー賞】

『ROMA/ローマ』

 

第91回アカデミー賞(2019年)

 

★【監督賞】

★【撮影賞】

★【外国語映画賞】

 

f:id:GYAKUSOUacademy:20200726184819j:plain



引用:NETFLIX

 

監督:アルフォンソ・キュアロン

製作:ガブリエラ・ロドリゲス、アルフォンソ・キュアロン、ニコラス・セリス

製作総指揮:ジェフ・スコール、デヴィッド・リンド、ジョナサン・キング

脚本:アルフォンソ・キュアロン

撮影:アルフォンソ・キュアロン

美術:エウヘニオ・カバレロ

衣装:アンナ・テラサス

編集:アルフォンソ・キュアロン、アダム・ガフ

キャスト:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、カルロス・ペラルタ、ナンシー・ガルシア、ディエゴ・コルティナ・アウトレイ

 

 

これは良い映画でしたね〜。

ただ、アレなんですよね。

普段シネコン(イオンとかの商業施設の中にあるスクリーンが沢山あるタイプの映画館)で上映されてるような作品しか観ないという人にはちょっとアレかもしれないんですよ。

まあ言ってしまうと、地味なんですよ、この映画。

もうね、シネコンで上映されてるような娯楽作と比べると、とにかく地味なんですよ。

でもすごく良い映画!

とある一家とそこで働くお手伝いさんとの生活や関係性の変化を描いた作品です。

しかも画面はモノクロ(白黒映画)だし、ハリウッド映画のようなハッキリとした物語もなくて、まるでアート映画のような雰囲気すら漂わせる作品なんですよ。

しかも言語が英語じゃなて全編スペイン語に、場合によってはミシュテカ語という先住民の言葉です。

 

そして僕らからして有名なキャストは誰1人出ていません。

 

だからぱっと見は地味に見えるんだけど、実はその中にはとても映画的な豊かさと暖かい「まなざし」が詰まった作品で、観終わったらなぜか自然と感動しているんですよね。

しかし普段あまりこの手の映画を観ないような人がなんの予備知識も無しに観るよりは、この作品が「誰の、そしてどんな想いが込められて作られたものなのか」ぐらいは最低限知っておいた方が絶対に良いと思います。 

 

めんどいから、いきなり観てもいいかって?

 

もちろん、それでも全然良いと思います。

そこはやっぱ好きなように観て欲しいですから。

でもそれで、アカデミー賞で話題になったからとりあえずで観てみたけども「なんか退屈だった」「つまんね」で終わってしまったらもったいない作品だと思うんで出来ればこの記事を読んで見所をなんとなく掴んでから観賞して欲しいですね。

そこまで長くならないようになるべく紹介したいと思うんで、是非。

 

しょうがないな、って?

 

ありがとうございます!

 ※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます

 

 

あらすじのような概要

70年代初頭、政治的混乱に揺れるメキシコ・シティが舞台で、割と裕福そうな中産階級の家で住み込みの家政婦として働いているクレオという若い女性が主人公です。

朝早くから夜遅くまで家事や家の子供達の世話に追われる生活や、恋人のフェルミンとの束の間の楽しみと休息を、そして雇い主の一家との関係性の変化をモノクロームの向こうに鮮やかに描いていくんです。

 

しかし、文字で書いてみると、ほんと地味ですよね。

家政婦は毎日大変ですよ〜って、これだけの話ですからね。笑

 

でも、映像や音で丁寧に丁寧に描くと、これがちゃんと感情のこもった素晴らしい作品になるんだから映画ってやっぱすごいんですよ。

 

主な登場人物&キャスト

 ヤリッツァ・アパリシオ

引用:NETFLIX

劇中では田舎から出てきた住み込みの家政婦で先住民の若い女性クレオを演じています。

 

メキシコの女優さんでこの作品で女優デビューを果たし、なんと今まで演技経験のなかった彼女が初めての映画でアカデミー賞を始め様々な賞にノミネートされました。

先住民の両親を持ち、父親はミシュテカ、母親はトリケ族です。

 

●  マリーナ・デ・タビラ

引用:NETFLIX

劇中では家の主人である夫アントニオの妻ソフィアを演じています。

 メキシコの女優さんで、舞台の世界でキャリアを積み、メキシコ監督の映画にも出演しています。

この作品の演技が評価されるアカデミー賞の【助演女優賞】にもノミネートされ国際的な知名度を得ました。

 

●  フェルナンド・グレディアガ

引用:NETFLIX

 

劇中では男性的、父権的な家の主人アントニオを演じています。

 

 ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ

引用:NETFLIX

劇中ではクレオの恋人である無責任な男フェルミンを演じています。

ある意味、体を張った演技をします。

 

観る前に知っておくべきこと

 

監督について(重要)

とにかくこの映画、まずは監督のことを知るのが1番早いです。

じゃあそれで誰なのかと言うと、アルフォンソ・キュアロンという監督です。

代表作は『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』『トゥモロー・ワールド』、そしてなんと言っても『ゼロ・グラビティ』では第86回アカデミー賞に10部門ノミネートされ、その年の最多の7部門を受賞してますからね。

ちなみにその時にも【監督賞】を獲得してます。

つまり今や作品を作れば注目されるような映画監督なわけです。

 

それで、なぜこの映画を楽しむためにはアルフォンソ・キュアロン監督を知るのか1番早いかと言うと、この映画ってキュアロン監督もの凄く個人的な作品なんですよ!

具体的にはこの映画の舞台となる家や設定って、監督の子供時代のことなんですよ。

ちなみにどれぐらい個人的な作品かと言うと映画で出てくる内容の9割は事実とのことだからすごいですよね。笑

監督もインタビューなどで色々なところで言ってますが、「今までの作品とは違い、1番自由に作った」と言ってるぐらい監督個人の様々なものがダイレクトに投影されてるんです。

だから、この映画を知るには画面上での物語や展開などだけを見て追って考えるよりもキュアロン監督がどんな想いを込めて作った映画かを知るのが1番早いんじゃないかと思います。

 

家政婦はいた!

 

なんですか?

 

全然、タイトルのそれ、全然だよ、って?

 

いいじゃないですか、自分でも分かってますよ…ほんの出来心ですよ…!

 

えー、はい、無かったことにして進みます。

 

この主人公のクレオという家政婦さんは本当にいた人なんですよ。

実際にはリボリアという名前で、キュアロン監督が物心ついた頃からすでにその家で働いていて、ずっと身の回りの世話をしてくれていたんです。

家政婦とかお手伝いさんとか、今となってはなかなか馴染みはないんですけど、様々な理由で田舎から都会の少し裕福な家へ10代の女の子が住み込みで働きに出るというのは昔は割とよくある事だったようですね、それはメキシコだけじゃなく日本もです。

リボさんは子供達にとても愛情を込めて接してくれて、子供の頃のキュアロン監督も強い絆を持つことが出来たと言っています。

 

ちなみにこの映画の家政婦のクレオ"ヤリッツァ・アパリシオ"をキャスティングしたいくつかの理由の1つに「リボさんとルックスが似ていたから」というのがあるそうですよ。

 

冒頭クレオが床を掃除してる様子、気持ちまで下を向いている

引用:NETFLIX

 

メキシコの階層社会

 

この映画の中で出てくる家は、白人の家族とその世話をする先住民のお手伝いさん達が住んでいます。

白人の御主人様に使える先住民という、いわゆる階層がこの家の中にはあります。

そして、その階層の構図というのは1つの家の中だけの話じゃないんですよ、メキシコという国全体に階層社会として根付いてしまってるんです。

かつてメキシコの地で栄えていたアステカ帝国をスペインが滅ぼし、そこからメキシコは長い間スペインの植民地でした。

元々あった先住民の文化の上に、スペイン人が持ち込んだ白人文化を上塗りされて今につながるような独特なメキシコ文化になっていったわけですが、メキシコが独立した後も文化と共に当然のように社会的な階層も残ってしまったんですね。

とは言えこの映画はそういう問題が声高に描かれることは決してありません、なのに背景として浮かび上がってくるんですよ。

子供の頃のキュアロン監督の記憶と若かった頃のリボさん(クレオ)の記憶を丁寧に描いたら必然的に階層社会の当時の混乱した状態が浮かび上がってくる、だってそれが事実なのだから、その物言わぬ説得力がこの作品のすごいところです。

そしてそれはキュアロン監督がこの映画を作ろうと思った大きな理由にもなってるんです。

 

 

なぜ今この映画を作ったのか

 

という質問に対して、「歳だからかな」とインタビューで答えてたのにはちょっと笑いましたね。

まあ、つまりいつのまにやら歳も50を過ぎて映画監督としてそれなりのキャリアを積んできてふと立ち止まってみた時に自分は誰でどこから来たのか、あらためて自分自身と向き合うために自分を形作ったルーツを振り返るために作られた映画なんですよ。

そのルーツを辿って行き着いたのがキュアロン監督が子供の頃に住んでいたメキシコシティの家での生活だったんですね。

ちなみに『ROMA/ローマ』というタイトルですが、これはあのイタリアのローマではなく、キュアロン監督が子供の頃住んでいたメキシコシティのコロニア・ローマ地区のローマから名付けられています。

 

そのキュアロン監督が子供の頃のメキシコ、1960年代後半から70年代初頭のメキシコというのはすごく政治的に混乱してる時代なんですよ。

一党独裁とも言える状態が長く続いたことで民衆の不満が溜まった状態に経済格差の広がりやそこに目を向けさせないための人気取りとしてオリンピックワールドカップを開いたことで火が付いて政府と民衆が激しく対立してました。

その対立が極に達するのが1971年に起きた“コーパス・クリスティの虐殺”いわゆる「血の木曜日事件」で、僕はこの映画を観るまではメキシコでそんな事が起こっていたなんて知らなかったんですが、その日、政府への反対運動をしていた学生などが120人近く殺害された事件です。

この映画でも「血の木曜日事件」と思われる出来事を目の当たりにしてしまうというショッキングなシーンがあるのです。

 

ちなみにもう少し調べたら(はい、Wikipediaですけど?)1968年にも「トラテロルコ事件」と言われるこれまた軍や警察組織による学生や民間人への3、400人規模の大虐殺があったというから、ちょっとびっくりしましたね。

(しかも信じられない事にメキシコオリンピックが開会する約10日前に起きている…)

 

それぐらい社会が混乱していた時代のメキシコシティに暮らしていながら、また、キュアロン監督の家族も両親の離婚で崩壊しながらも、子供の頃の自分を何不自由なく支えてくれた2人の女性について自分のルーツを確認する中でキュアロン監督は思いが至っていきます。

母親と家政婦のリボさんですね。

キュアロン監督は色々な事を知り大人になった今振り返ると、「子供の頃はメキシコの階層社会や先住民のこと政治的なことなど全く何も知らずに無邪気に暮らしていた事、その無邪気な暮らしの土台には白人という守られた特権階級があった事など考えもしなかったんだ」とインタビューで言っています。

キュアロン監督は、子供の頃の自分には分からなかったけど、彼女たちにも母親として、家政婦としての顔以外に1人の女性として1人の人間としてあの時代を生きてきた辛さや葛藤があったはずだと考えたんですね。

だから、今は高齢となったリボさんに何度も何度も話を聞きに行き、何度も何度も自分の記憶もほじくり返し、何度も何度も自分と向き合う、その作業はとても大変でキュアロン監督はこの作品の脚本を書き上げるまでに2年以上かかったそうです。

 

そしてやがて映画を完成させるわけですが、自分とひたすら向き合うという苦行に投げ出す事なくやり遂げたその原動力の大きな1つは「罪悪感」だとキュアロン監督はインタビューで言ってるんですよね。

当時は無条件に愛情を注いでもらっていた立場、そして今となっては振り返って話を聞いて「知る」だけしかできない事への「罪悪感」。

 

この映画を観ると、その「罪悪感」が何かまるで立ち入り禁止のロープを張ってるかのような映像の独特な“距離感”、後になって「知る」ことは出来てもその当時に何かしてあげることは決してできないという部分。

そして一方では、大人になり映画作家として成功した自分が今してあげることの出来る最大限の敬意。

それらが入り混じった映画となってるんです。

 

モノクロなのに新しい、独特な世界

モノクロ映画というと、白と黒!という感じでコントラストが強調されたような画面を思い浮かべる人も多いかもしれないですが、この映画のモノクロというのはそういうのとはちょっと雰囲気が違うんです。

 

観た人なら分かると思いますが、画面の全てが凄く鮮明に映し出されてますよね!?

 

まずこの映画は65ミリフィルムのカメラで撮影されてるんですよ。

フィルムで撮影するにしてもそれより小さい35ミリフィルムが割と一般的なんだけと、それよりも大きな65ミリフィルムを敢えて選んでいます。

それは解像度の高さ、つまりすっごい高画質ってことですね。

だからほんとに細かな質感とかも潰れることなく映像に収められてます。

しかも被写界深度が深い、と言うのは手前にあるものや奥にあるもの全部にピントが合ってる状態で、つまり画面の隅々までバッキバキな映像ということです!

それなのにこの映画、モノクロ作品なのが面白いんですよね。

65ミリフィルムによって白と黒の間にあるグレー部分の色味のとにかく幅の多さが画面上にバキッと表現されてるんですよ。

ちなみにフィルム撮影にモノクロときたら昔風のクラシカルな印象ですが、実はCGや合成などデジタル技術を駆使して鬼のような調整の元に完成された映画なんです。

特に光に関しては、この映画にリアリティを与えてくれるパッと見本当に自然的としか言いようのない光も、「僕たちが普段見ているカラーの世界じゃないモノクロの世界なのにまるで自然に感じられる光」という調整にとても気を使っていて、デジタルで合成処理をしたり組み合わせたりしてます。

そうやって作り上げられたバチっと全てが鮮明なキュアロン監督のモノクロは、例えば第84回アカデミー賞作品賞に輝いた『アーティスト』の古典的な味わいのモノクロと、同じモノクロ映画でも方向性が全く違うというのも面白いんですよね。

どちらも作品のテーマと方向性がマッチしてますからね。

 

どこまでも鮮明な美しいモノクロ

引用:NETFLIX

なぜモノクロ映画なのか

なぜわざわざモノクロ映画にしたのかって?

 

確かに素朴な疑問を感じる人も多いですよね。

 

なんとなくオシャレそうだから?

 

いやいやそんな訳ないですよ。笑

 

ちゃんと、明確な理由があるんだけど、その前にあの独特なカメラワークについても触れておきたいですね。

この映画は登場人物をクローズアップで映すシーンはほとんどありません。

むしろ登場人物達から少し離れた、常に一定の距離を置いて撮影してるんですよ。

あと、カメラの動きですね、ほぼ人の目線と同じ高さで水平方向にしか動かないという非常に独特なカメラワークになってます

 

ここで最初の疑問に戻ります。

なぜモノクロ映画なのか。

なぜこの映画の画面内では登場人物から常に一定の距離を置いているのか。

なぜ、水平方向にしかカメラが動かないのか。

 

全部同じ理由なんですよ。

 

それはキュアロン監督の過去の思い出の世界だからです。

何も知らなかった子供時代とは違い大人になり色々な事を知り、自分のルーツを探る中でもまた色々な事を知る、そして自分を形作ってくれて人達の苦労に思いが至る。

しかし、知ることは出来ても結局は何もしてあげることが出来ない過去の世界。

つまり、ただ見ていることしか出来ない世界。

キュアロン監督から見る過去の光景を表現してるんです。

だからモノクロなんですよ、だから登場人物から常に一定の距離を置いてるんですよ、人の目線の高さの水平にしか動けないんですよ。

キュアロン監督自身も「幽霊みたいになって過去へ戻ったような感じ」とインタビュー言っています。

 

しかもキュアロン監督自身がカメラを撮影し、アカデミー賞の【撮影賞】まで受賞してるんですよね。

本当は監督の盟友でよくタッグを組むエマニュエル・ルベツキという撮影監督が今回も撮影を担当する予定ですだったのがどうしてもスケジュールが合わなくて参加できず、急遽キュアロン監督自身でカメラを回して撮影しすることになったんだけど、たまたまそうなったとは言え今回に関しては絶対にそれで良かったと思いますね。

まさにキュアロン監督が自分で本当に過去を覗いてるという構図がもたらす説得力、その目線の映像を僕らも味わうことができるのです。

 

そこが重要で、この作品はキュアロン監督がひたすら過去を見る、まなざしの映画と言えるんです。

 

この映画に込められたまなざし

この独特なカメラワークとモノクロの世界観は、過去をただ見ることしか出来ないキュアロン監督の目線と言いましたね。 

いくら過去の事を描くとはいえ映画ですよ、例えばもっと登場人物の内面や心情にフューチャーするような入り込むような作りだっていくらでも出来たのに敢えてそれはしないんですよ。

 

自分の過去ですよ、今の自分をかたち作ってくれたリボさんや、母親など、何か思わず手を差し伸べたくなるじゃないですか。

 

しかし、幽霊のようにただ見るだけしか出来ない自分という枷を設けて映画を作ってるんですよ、自分の過去、自分のルーツにどれだけ真摯に向き合ってるんだキュアロン監督は…!と思わずにはいられないです。

 これはこれで、人知れず辛い部分もあったと思います。

 

でもね、たとえ見るだけしか出来なくても、そのまなざしの変化で伝えれることもあるんです。

 

カメラは人物から距離を置いて水平にしか動かないと言いました。

でも実はこの映画の中で例外的に水平方向じゃなく上下の方向、または人物に寄るというショットが数回出てきます。

もちろん、その全てがキュアロン監督の過去を見つめる「まなざし」の変化にとって重要な意味があってやっていることです。

ちゃんと変化の節目節目でそういった例外的なショットが出てくるようになってるんですね。

 

例えば、上下方向で言えば、最初ですね、映画のオープニングは「下」を向いたショットから始まります。

主人公の家政婦のクレオが床のタイルを掃除していて、タイルに張られた水に反射して写った空に飛行機が飛んでくるところでROMAというタイトルが出てくるシーンです。

この映画って、順撮りで撮影されてるんですよ。

順撮りとは、物語の進行通りに順番撮影していくことです。

 

普通そうなんじゃないの、って?

 

そうでもなくて、順撮りの方が珍しいんですよ。

映画というのはキャストやスタッフのスケジュールや予算や日数など諸々の事情で撮れるシーンから効率よくまとめて撮影していくのが普通なんです。

つまり順番はバラバラなのが普通です。

だから、さあ今日から映画の撮影を始めますという時にいきなりクライマックスやラストシーンから撮影することも全然珍しくないんですよ!

 

でもこの映画は順番に撮影することに意味があって、要はキュアロン監督が自分の過去を振り返ったり、リボさんに色々な話を聞いたり、それによって自分のルーツが確かなものになっていく様子をこの映画では「まなざしの変化」という形で僕らも共有できるようになってるんです。

だから最初は下を向いたショットから始まるんです。

まだ何も知らない僕らにとっては床のタイルの犬のうんこを掃除するただの家政婦さんだから。

そしてその家政婦のクレオもどこかうつむいたような印象で、監督によればモデルになったリボさんも当時はよく下を向いていたそうです。

 

そして中盤ではクレオが恋人と過ごす時、ここでも距離を置いた水平方向ではなく例外的にカメラが顔に寄っています。

家政婦としての存在ではなく1人の女性としての顔を持つことを知る意味でも、彼女の顔にカメラが寄るということは重要なんです。

 

そして、クレオにとある悲劇が起こった後にも、座ってうつむく彼女の顔にカメラが寄っています。

あの頃、キュアロン監督含め子供達には見せていなかったクレオの痛みを知ることになる重要な場面です。

 

さらに終盤、車の後部座席に座るクレオの穏やかな表情にカメラが寄っています。

海で溺れそうになっている子供達をクレオが身を呈して助けた後です。

つまり波によって洗われた「ザ・洗礼」とも言えるシーンの後の表情です。

もうここまで観たのなら、この時クレオがどういう存在になったのか、監督のまなざしの変化のどういう節目の場面なのかは感じとれますよね。

 

そして最後、上下方向で言うところの上方向へ初めてカメラが動いていきます。

そこには洗濯物を手に階段を登るリボさんが映されています。

そして今度は本物の空に飛行機が飛んできたところでROMAというタイトルが出ます。

これは映画の1番最初と1番最後、つまり変化のスタートとゴールが完全に対となる構成になってるんです。

この映画を観終わる頃には、キュアロン監督のクレオ(の元になったリボさん)へのまなざしが下から上へと変化して過程をまるで自分のことのように感じれるんじゃないでしょうか。

 

「変化」とは下と上のあいだ、黒と白のあいだ、無知と理解のあいだ、そこでこそ起こるものなんじゃないでしょうか。

この映画は真っ二つにすることのできない「あいだ」を描いてますね。

 

そして、その過程を描き切るためにキュアロン監督はこれまで培ってきた映画の経験を大いに活用してるのです。

本作屈指の名シーン   引用:NETFLIX

キュアロン監督といえば

 

おそらくアルフォンソ・キュアロンといえば、『ゼロ・グラビティ』での宇宙を舞台とした徹底的に作り込まれた圧倒的な映像体験を覚えている人も多いと思います。

なので映像作家的なイメージを持っている人がも多いかもしれませんね。

確かにそうで、作品ごとに毎回盟友ルベツキ撮影監督と共に映像にこだわっていて観客に驚きを与えてくれます。

 

なので、前作、前々作と、映像的にトレードマークとなるようシーンが印象に残るSF映画だったので、この『ROMA/ローマ』は意表を突かれましたね。

 

ちなみに映像で1番の特徴は「長回し」と呼ばれる撮影方法で、カットを割らずにずーっと撮り続けるんですよ。

その間、観てる人の緊張感も持続すると一般的には言われています。

ちなみに複雑なシーンになればなるほどめちゃくちゃ「長回し」は大変です。

キュアロンは、その「長回し」を好んで取り入れる監督でもありますね。

 

あと、キュアロン監督のここ何作品か「水」というのがすごく大事な役割を果たしてますね。

「生と死」や「内面的な生まれ変わり」や「再生」を示すような場面、そこには必ず「水」に関係する何かがあります。

 

そしてキリスト教的なモチーフや背景を感じさせる演出や表現がどの作品にもありますね。

 

あと、女性が重要な役割を果たしているのも多くのキュアロン作品に共通するところです。

強い女性、無責任な男に振り回される女性、女性を通しての「死」と「再生」など、キュアロン作品には欠かせないテーマの1つとなっています。

 

そして、じゃあこの『ROMA/ローマ』はどうなのかという話なんですが。

 

原点であり集大成

これが面白くて、さっき言ったいくつかの主な要素はもちろん、それ以外の作品の要素も沢山入っていて、これでのキュアロン作品のほとんどの何かしらの要素が入ってるんじゃないか?と思ってしまうような最新作になっていたんですよ、この『ROMA/ローマ』という映画は。

 

この映画はキュアロン監督が自分のルーツを確かめるための作品だということは説明してきたと思いますが、子供時代の暮らしの中に今のキュアロン監督を特徴付けるいくつもの要素があったことが分かります。 

ああ、原点はここだったんだな、と。

 

中でも今のキュアロン監督につながる1番大きなきっかけは、劇中で家の子供達がクレオに連れて行ってもらって映画館に『宇宙からの脱出』というアメリカ映画を観に行くところですね。

キュアロン監督は当時この映画を観に連れて行ってもらったことで、自分も映画監督になりたいと思ったと言ってるんですよ。

つまりそれだけ取ってみても家政婦のリボさんがキュアロン監督に与えた影響の大きさが分かります。

しかもその時観た『宇宙からの脱出』という映画は、『ゼロ・グラビティ』の元ネタになっている映画なんです。

 

そして、身勝手な男に振り回されたり傷付けられながらも立ち直り再起を果たす「強い女性」という特徴も、劇中のクレオと母親という2人の女性の姿を見ていたら後にキュアロン監督の様々な作品に登場する女性像に影響を与えてることも分かります。

 

「水」によって表現される「生と死」、からの「再生」は、あの終盤の浜辺での体験を見れば明らかですよね。

 

キュアロン監督の美しい映像はなぜ美しいのか、それは美しい出来事が収められているからこその映像だから。

 

こんな感じでね、キュアロン監督が過去の子供時代を振り返り「自分」というものを確認していくと、映画作家としての原点が詰まっていたんです。

 

その原点と現在の自分とのつながりを映画という1つの作品として表現したら、ちゃんと場面ごとに必要性を持って使われる「長回し」や、キリスト教的なモチーフや演出がそのまま重なる出来事の数々、登場人物たちの設定や葛藤など、結果的にはキュアロン監督の今まで映画でやってきたことの集大成と言える作品になったことが、この映画を特別な1本にしている部分だと思います。

 

おわりに

 

長くならないように紹介すると言ったのは何だったのか、というぐらい普通に長くなりましたね。 笑

 

それだけ中身の濃い映画だったということです!

 

この映画の最後に「リボへ」と、文字が出てきます。

大人になったアルフォンソ・キュアロンからの最大限の敬意と愛が込められた作品だと思います。

タイトルの『ROMA/ローマ』、原題はそのままの『ROMA』ですが、おそらく、それは住んでいた場所のコロニア・ローマ地区からきているだけじゃないと思うんですよ。

ROMAは逆から読むとAmor/アモール「愛」という言葉になり、この映画を観た人なら単なる男女の愛という以上にとても大きな意味の「愛」が描かれている作品なのは分かりますよね。

そして、ROMAという一言の言葉が持つ、語感と言ったらいいのかなんというか、リボさんに向けて「あなたは私達の家族であり、あの頃のROMAは共通の我が家(ホーム)」みたいなニュアンスも感じて、とてもしっくりくるタイトルだと思います。

 

どうでしょうか、こうやってアルフォンソ・キュアロン監督自身のことや込めた想いを紐解いていくことが、そのままこの『ROMA/ローマ』という映画を理解する1番の近道というのが分かってもらえたかと思います。

それぐらい監督の個人的な映画、その個人的な想いに対して本当に真摯に作られていたならば、その中心となる大事な部分は監督と思い出を共有していないはずの僕ら観客にも不思議と国境や人種を超えて必ず伝わってくるものがるんですよ。

それは凄いことですよね。

 

こういうタイプの映画もあって、そういうパーソナルな映画でしか辿り着けない鑑賞後の余韻、つまり楽しさというのもある。

これは普通の娯楽作品の瞬間的な楽しさとは全く違うタイプの感覚です。

そしてその余韻や楽しさを味わうためには、ある程度観る人の前のめりな姿勢が必要だということ、向こうからやって来ることは無いんです、まさに自分から辿り着いていくようなつもりで映画鑑賞するときっと味わえるんじゃないかと思います。

 

まあ、そんな感じのことを収穫にしてもらえれば幸いですね。

 

 

あと、観た人の誰もが印象に残る棒を振り回しながら棒が振り回されるという男性的マチズモが滑稽に描かれた名シーンもあるんで、楽しんで下さい。笑

 

 

あと、Netflix配信作品なので、Netflixに契約してる人は誰でも今すぐ観ることができますよ!

 

ただ、注意点として、元々この映画では外国語で地味でモノクロということで劇場上映だとアメリカでは上映してくれる劇場が少ないだろうと考えて、より多くの人に観てもらえる環境を求めてNetflix配信という形にしたみたいです。

しかし、皮肉なことに映画館でとても似合う作品になってて、Netflixで観た後にアカデミー賞のタイミングで日本でもラッキーな事にちらほら劇場公開をしていたので観賞したんだけど、映画館で観る『ROMA/ローマ』はめちゃくちゃ良いです。

だからNetflixとはいえ、なるべく集中できる環境で観た方が良いと思います。

あと、モノクロなので部屋は絶対に暗くした方が良いです!

 

 


『ローマ』予告編|Roma - Trailer HD