『ムーンライト』
第89回アカデミー賞(2017)
☆【作品賞】☆
☆【助演男優賞】
☆【脚色賞】
監督・脚本:バリー・ジェンキンス
原作・原案:タレル・アルヴィン・マクレイニー
音楽:ニコラス・ブリテル
撮影:ジェームズ・クラストン
編集:ナット・サンダース
ジョイ・マクミロン
製作総指揮:ブラッド・ピット
いや〜これかあ、1回目から来ましたねえ。
と言うかね、どう書いていったら良いものかイメージがまだ定まってないんでとりあえず友達に紹介するような感じでやっていきますね。
いやこれ、すごい良い作品なんだけど、なかなか万人に興味を持ってもらえるタイプの作品じゃないんですよね。
癖もありますしね。
でもまさにこういう映画こそ紹介したい、このブログの1回目に相応しい作品です!
まずちょっと、いきなり内容とは関係ない事ですが、2017年の第89回アカデミー賞の授賞式でちょっとしたハプニングがありましたね。
この『ムーンライト』が作品賞を受賞したんだけど、おそらく受賞式の運営サイド(正確には会計事務所)のミスで違う封筒がプレゼンターに渡され作品賞のところで最初『ラ・ラ・ランド』と読み上げられてしまい、同キャストやスタッフが壇上に上がって喜びまくっている途中で間違いだと分かって騒然となりました。
この作品賞って20部門以上あるアカデミー賞の部門の中でも最も重要で、延々半日以上かけて開催されてる派手な授賞式の中でも発表が大トリだから皆んなの注目が1番集まる、そこで要は人的ミスってやつですよ、やらかしちゃったもんだからもう、ね…、うっかり人的ミス経験者なら分かるでしょう?想像するだけでも震えてきます。
きっと誰かのクビが飛んだことでしょう…。((((;゚Д゚)))))))
いやそれで、その時に僕はまだ『ムーンライト』観てなかったから「えーなんだよラ・ラ・ランドでいいじゃん!」とかついつい思ってたんだけど、いざ観るとやっぱ良い作品でさ、そして納得したと同時に「アメリカ映画界はこの映画を作品賞に選んだのか!」という意外な驚きもありました。
さて本題の方に入りますけど。
最初の方に表示されてる表紙のポスター画像に写っているのが主人公なんですけど、見て何か気づきました?
黒人だ。
まあそうだけど、その黒人男性の主人公の顔がスライスされたピザのごとく3つに分かれてますよね。
これで分かるように主人公の少年期・思春期・青年期の3つの異なる年代をそれぞれ3人の役者が演じて描いた映画なんです。
そして、一般的な映画と少し変わっているのは、この映画は三部構成と言って完全に3つの章に区切られてるんです。
まず最初は《リトル》と題名の付いた、少年期の章。
次は《シャロン》と題名の付いた思春期の章。
最後は《ブラック》と題名の付いた青年期の章。
この3つの章を通して主人公の変化を延々と追っていく映画なんですね。
じゃあ主人公はどんな人かって?
主人公の本名はシャロンという名前で、アメリカのマイアミ郊外の貧困地域
でシングルマザーの母親と暮らす黒人の男の子です。
そして彼はゲイです。
その上、いじめからなんとか逃げて家に帰れば帰ったで母親がドラッグに溺れてるんですよ。
つまりこの映画って
黒人の貧困層の街でその黒人達の中からも差別されるゲイに生まれ、その上ヤク中の母親からも疎まれる何処にも居場所がない黒人少年というマイノリティ中のマイノリティが主人公なんです。
え、興味ないって言いました?
いやいやそんなこと言わないで、ね!
むしろそういう人にこそ観て欲しいんです。
て言うか興味ないとか…
これ、1回目ですよ!?笑
まあそう思う気持ちも分からなくはないですよ。
自分の状況とかけ離れているとか、あとは貧困問題にドラッグや性差別など社会問題が映画を観る前から説教臭そうだと感じるのかもしれませんね。
僕も観る前はそういった社会問題をお題目にした映画かなと思ってたんだけど、違いました。
もちろんそういった側面もあるんだけどむしろもっと普遍的な、人間のアイデンティティーを巡る話なのです。
そして“同時”にとても繊細な極上の恋愛映画でもありましたね。
ちなみに、そんなつらい状況のシャロンには誰も味方がいないのかって?
います。
幼い主人公にとってとても重要な人がいるのです。
それは居場所のない主人公が逃げ込んだ廃墟で偶然出会ったフアンという人物です。
このフアンという人物はドラッグディーラーで、しかもこの辺の縄張りを仕切ってるっぽいんです。
でも、このフアンという男によってシャロンは初めて自分の存在を肯定されるのです。
そのフアンに海で泳ぎを教えてもらうシーンがあるんだけど、手で支えられながらプカ〜っと海に浮かべてもらって「地球を感じるか?今お前は地球の真ん中にいるんだ」という言葉と共に世界と自分の繋がり、つまりこの世界に自分が居ても良いんだとちゃんと“体感”させます。
そのあと浜辺で「お前のことはお前が決めろ、周りに決めさせるな」と言われます。そうやって海でシャロンはとても大事な言葉をフアンからもったのです。
この無条件の肯定、本当なら母親がしてあげなければいけないことですよね…。
いや〜これ良いシーンでした。
そのうちゲイだと自分で認識することになるチビ助シャロンに向けて贈られた大事な言葉!
そして良くも悪くもシャロンにとってこのフアンの存在がどれほど大きかったのかというのが、3章目《ブラック》を観ればもうね…分かるのです。
そのフアンを演じたマハーシャラ・アリという役者が、アカデミー賞【助演男優賞】を獲ったんだけど、納得。
それぐらい存在感のある役柄でした。
他には誰かいるかって?
もちろん!忘れちゃいけない登場人物がいます。
ケヴィンです。
彼はシャロンの初恋の相手なんだけど、彼もとても重要な登場人物です。
シャロンのアイデンティティーを巡る話とケヴィンに対する恋心の行方、この2つは同列で切り離せないんですよ。
こちらが照れてしまうほど繊細な気持ちのやりとり。
そして、この映画の面白いなと思うところの1つに、シャロンを取り巻く厳しい現実をこれだけリアルに描きながらもアート映画的でもあるんです。
例えばこの映画のテーマカラーである青が画面のどこかに必ず入れているのを始め色彩のコントロールや映像を作りや音楽の使い方など美しいものと貧困や差別などが同居する独特の雰囲気があります。
あと、三部構成と言っても単に章が3つに分かれてるだけじゃなくて、ちゃんと特性を活かした作品なんで、その違いや変化も味わってほしいです。
例えばどんな?
そうですねえ、じゃあ例えばこの映画のテーマカラーの青の他に章ごとにサブカラーがあって、1章《リトル》はサブカラーも青、2章《シャロン》は黄色、3章《ブラック》は黒、と分かれてます。
そして、わざわざ色を分けといてなんの意味もないなんてことは映画にありません。
その青と黄と黒を海と月と空に例えて1つにしたらどんな情景が浮かびますか?
そう!月明かりの海辺です!この映画にとって大事なモチーフですよね。
あとこの映画にはシャロンのテーマ曲があります、3つの章ごとにそのテーマ曲のアレンジが変化しています。
そのアレンジされた音色とシャロンの内面が完全にリンクするようになっているのでその辺も是非味わってほしいです!
そして章が切り替わった時に、一気に時間が飛ぶのにあまり説明されない感じ、その章と章の“間”を想像する面白さも味わって欲しいですね。
長々と書いちゃいましたね。
日本の某ベテラン大御所バンドの初期の方の曲のサビにある“知らぬ間に築いてた、自分らしさの檻の中でもがいてるなら”という歌詞があるけど、この映画って要は“男らしさの檻の中でもがいている男の話”なんですよ。
でも別にこれ、女らしさとか、優等生らしさとか、体育会系らしさとか、大人らしさ、不良グループらしさ、なんでもいいですけど、そういう“〇〇らしさの檻の中”でもがいてる人って沢山いるんじゃないですか?
僕だって少なからずありますよ。
だからこの映画でその檻から解放されたシーンがすごく尊く思えるんです。
ああ、良いなあと思えるんです。
じゃあこの映画は、これからはそんな檻を取っ払って生きて行こうぜ!って言っている作品なのか、僕は違うと思っています。
生まれた環境や自分が属する集団で、それが出来ないから、ボロボロに傷付くから、知らぬ間に自ら檻を築いたんです。
檻に守られることもあるから。
でも檻の中が狭くてもがいてしまう時、どうしても苦しい時、どうすればいい?
シャロンにとって海は特別な場所です。映画の中で、シャロンは海にいる時だけ自分を解放できました。
僕はこの映画のラストは、
あなたの海は何処ですか?
いや、
あなたの海はありますか?
と、問いかけられたような気がしました。
べつに三部構成だからといって伏線がどうだという映画じゃないし、難しいことは話は何もないし、その代わり何かが解決するわけでもない、でもシャロンの背中を追うカメラのように寄り添って観ることができたならとても穏やかで深い感動に包まれる映画だと思います。
特に自分が今いる場所と自分の内面とのギャップに悩んでいる人は1度は観ておいて損は無い映画じゃないでしょうか!
是非ご覧ください!