『イカロス』
第90回アカデミー賞(2018)
★【長編ドキュメンタリー映画賞】
原題 : 「Icarus」
製作年 : 2017年
製作国 : アメリカ
監督 : ブライアン・フォーゲル
製作 : ダン・コーガン、ブライアン・フォーゲル
脚本 : ブライアン・フォーゲル、マーク・モンロー
キャスト : ブライアン・フォーゲル、グレゴリー・ロドチェンコフ
結局やっぱり恐ロシ…おっとこれ以上言うと身の危険が。
さて、これはドキュメンタリー映画です。
Netflixオリジナルドキュメンタリーということで、日本だとNetflixから観れるんだけど配信が始まった時に内容が内容だけに当時少し話題になったんでタイトルぐらいは知ってる人もいるかもしれませんね。
イカロスと言えばギリシャ神話のあれですよ、ロウでくっ付けた借り物の翼で飛んで太陽に近づいたら溶けて真っ逆さまに墜落していくあれですよ。
つまりこれはですね、「借り物の力」ドーピングに関するドキュメンタリー映画です。
その内容のヤバさというのは後で説明するとして、この作品を紹介する理由は単純に面白いからです。
ドキュメンタリー映画って淡々としていて退屈そうって?
そういうタイプの作品もあります。
しかしこの作品『イカロス』は観る人を飽きさせないように映画としてとても面白く観れるように仕上がってるんです。
きっと観た人の多くが「ちょっとこの映画、入り口と出口の大きさが全然違うんですけどー!」と思うことでしょう。笑
そんな前置きよりも、これはさっさと紹介した方が早いですね!
国家ぐるみのドーピング疑惑を暴く衝撃ドキュメンタリー『イカロス』予告編
※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます
あらすじ
あらすじと言ってはみても、この映画の場合はあらすじを書いてたら結局最後まで説明してしまいそうなのでまず事の発端を触れてみる感じにしましょうかね。
そもそもこの作品の監督であるブライアン・フォーゲルという人は自転車レースが好きなんですよ。
急に何言うのって?
いやそれが事の発端なんですよ!
フォーゲル監督が中1の時に、ツール・ド・フランスという100年以上の歴史を持つ世界的な自転車ロードレースでグレッグ・レモンという選手がアメリカ人初の王者になったのを見て当時のフォーゲル少年も自転車を始めたんです。
その後アマチュアの選手として監督も数々の自転車レースに参加するも時速60キロで転倒して怪我をして1度は自転車をやめていました。
しかし自分とほぼ同世代のランス・アームストロングというアメリカ人選手が癌との闘病から復活してツール・ド・フランスを7連覇する偉業を見て憧れてまた自転車をやり始めます。
そこまでは良いんですが、なんとアームストロングが薬物ドーピングをしていたことが発覚してツール・ド・フランス7連覇を剥奪されることになるんです。
このランス・アームストロングのドーピング問題に関しては『疑惑のチャンピオン』という伝記映画があるんでよければ観て下さいね。
とにかく憧れの人の記録がドーピングによって作られてた事にショックを受けたフォーゲル監督はこう思った訳です。
「アームストロングが現役中に500回も検査したのに全部パスしてたんなら、検査なんて意味ねえじゃん」
だったらよお!ということでフォーゲル監督がドーピングをしまくって有名な自転車レースで結果を残して、薬物検査の無意味さを世の中に突き付けるドキュメンタリー作品を作ってやるぜ。
そんな自分の身体を実験台にした体当たり型のドキュメンタリー映画なんです!
どうですか、この時点で結構面白そうでしょ!?
ブライアン・フォーゲル監督
引用:NETFLIX
前半と後半、まるで違うジャンルの映画
前半ワクワク後半ハラハラ
まず前半は監督がドーピングをバレずにレースで良い結果を残すというミッションに挑む様子をカメラは追っています。
本来ならやっちゃいけない事に挑戦してる訳で、だから観てる僕達も共犯関係のような感覚にさせて自然とワクワクするような作りになってるんですよ。
さあそして、いざドーピングしようと思った時に自分1人では何も分からないってことで、専門家に協力を求めたい。
そこで、監督は誰にその話を持ちかけたかというとUCLAオリンピック研究所を運営していたドン・キャトリンという人物なんですが、実はこの人は薬物検査を開発した人なんですよ。
つまりドーピングした選手を摘発する為に薬物検査というのを作った張本人にドーピングのアドバイザーになってくれと頼んだわけです。笑
そりゃさすがに無理だろうと思ったら「面白いアイデアだ」と、意外と話に乗ってくれて、なんと協力してくれる事になるんです。
しかしこのドン・キャトリンさん、途中で、「やはり私が関わってたらまずい」ということで降りてしまいます。
その代わりにと紹介されたのがモスクワ・オリンピックラボに勤めるグレゴリー・ロドチェンコフという人で、そこから本格的にドーピングのチャレンジが始まるのです!
まず、このロシアのモスクワに住むグレゴリーという謎のおっちゃんがまた良いキャラをしてるんですよ。
よく喋るし、冗談をかましてきて明るいし、それもなぜか基本的に上半身裸で。笑
冗談を言った後に舌をペロッて出すチャーミングなおっちゃんですね。
しかしドーピングの指示は的確に出してきます。
そんなグレゴリーの協力のもと監督は薬の入った注射を太ももにぶっ刺し、尻にもぶっ刺し自転車レースのトレーニングを重ねるわけです。
そしてロードバイクの速さの目安であるワット数もドーピングを始める前の年よりも20%アップするんですよね。
当然といえば当然だけど、ああやっぱドーピングって効果あるんだな〜と思ったりね。
いつもはグレゴリーとのやりとりはロシアとアメリカということでパソコンを使ったビデオ通話なんですが、薬物検査が近づくとグレゴリーがアメリカの監督の元へ訪れて直に対策を講じたり、レースの後は監督をモスクワに招いたりと2人は良い関係を築いていきます。
そんな中、このドキュメンタリー映画の企画そのものをゆるがす重大な事が起こります。
2015年11月9日、WADA(世界反ドーピング機関)が世界へ向けてとある発表をしました。
それは要約すると、陸上競技においてロシアが組織的にドーピングしている事実を確認した、というものでした。
そしてそのロシアの組織的ドーピングやその他隠蔽工作を行なっていた中心人物があのグレゴリーだったんです!
そこからこの作品は、監督自身が自らの体を張って薬物検査の無意味さを暴く目的から、ロシアの国家ぐるみの巨大なドーピングを暴き告発する内容に変わっていきます。
そしてこのドキュメンタリー作品の主人公は監督からグレゴリーのおっちゃんへと変わっていくのです。
そこからの展開は、とにかくスリリングで面白くて、どんどんスケールが大きくなっていきます。
陸上競技だけではなく、全ての国際競技でドーピングが行われていたことが徐々に明らかになっていき、それはオリンピックにまで及びます。
これは今までメダルを量産してきたロシアにとって信頼を根底から覆すことですよね。
この国家ぐるみのドーピング、もちろんグレゴリー単独の意思でやったわけはなくてそれを指示した人間がいるのです。
それを辿るとロシアの大物政治家が次々と浮かび上がるわけですよ、そしてやはり行き着くのはあの人物ということになるんですね〜。
これは恐ろしいところへ足を踏み入れた、このままこれを製作をして大丈夫かというところで、しかしグレゴリーやフォーゲル監督やこの作品の制作陣もこの問題を暴き切る方向に覚悟を決めるんですよ。
そこからは作品のプロデューサーやスノーデンの弁護士なども加わり、ロシアを相手にどう戦略的に告発し、グレゴリーを亡命させるかという展開になっていきます。
これらが画面上ではノンフィクションで現在進行形で描かれるのでスリリングなんです。
あとは、もうこの作品を観てもらった方がいいと思いますね!
ロシアの諜報機関のことや、関係者が謎の死を遂げたり、更にはNYタイムズやFBIや司法省、IOC(国際オリンピック委員会)まで巻き込む事態にまで広がる様子をハラハラしながら観て下さい。
グレゴリーのオッチャン
引用:NETFLIX
鍵を握る小説とは
「偽りがまかり通る世の中で、真実を伝えることことは革命的行動となる」
という言葉からこの映画は始まります。
これはジョージ・オーウェルというイギリスの作家の言葉で、その代表作「1984」という小説がこのドキュメンタリー作品に何度も引用されます。
この「1984」という小説については、それだけで記事が1つ書けるぐらい大変な作品なのでここで詳しく説明はしませんが、大雑把に言うと全体主義に支配された恐ろしさを描く近未来が舞台のSF小説です。
とてと面白く、とてもげんなりします。笑
しかしディストピアSF物でありながら、今の時代に驚くほど重なるところもあり、読んで損はない本だと思いますね。
まあとにかく、この小説をグレゴリーのおっちゃんは何度も読み返すほど影響を受けていることから、この映画の一種モチーフ的に扱われているんですね。
その小説の中に出てくる言葉で「二重思考(ダブルシンク)」というものがあります。
この「二重思考」というのが、この映画と大きく関わってくるんです。
これは「1984」の中で登場する、人々の思考に関する概念で、作中の説明では「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」とあります。
例えば2+2は4だけど党が5と言えばそう思うことが出来る、みたいな感じで前者と後者との間にある“明らかな矛盾を意識的に無視して純粋に双方を信じることができる”思考能力です。
この小説の中では舞台となる全体主義国家では監視や管理によって民主主義は存在しないという事実を信じながらも、国家を支配する「党」が民主主義を守護する存在だというプロパガンダをも同時に信じることができる思考状態を指してるんですが、「二重思考」を実践してると自分の現実認識を絶えずプロパガンダと合致する方へ自ら思考を操作するようになってしまうんです。
そしてこの「二重思考」的な考えが、ドーピングに関してロシアが明らかに黒だと分かっていながらも真っ白としてオリンピックに受け入れる又は応援することに重ねられていくんですよね。
この作品の優れた所
このドキュメンタリー映画がとても面白く観れたのは内容のヤバさもそうだけど、観客を飽きさせないように1つのエンタメ作品としても工夫されてたからなんですよ。
まず、映像がショボくないのが良いですね。
ところどころ美しい映像になったり、実際のニュース映像やインタビューはもちろんイラストやアニメーションなど伝えたい事を伝わるように様々な表現をめちゃくちゃバランスよく用いて豊かに描いた作品でした。
構成も上手くて、問題が大きくなっていく様もロジカルで分かりやすくなってました。
過去の回想の時にイラストで見せたグレゴリーの胸の“傷”が、本当にあることをちゃんと終盤に実際にカメラに映っていたのも良かったですね。
グレゴリーがロシアの組織的ドーピングを告発すると覚悟を決めた後半からは、小説「1984」で主人公に行われる“治療”である「学習」「理解」「受容」の3段階になぞらえて話が進んでいくのも分かりやすかったですね。
後はやっぱ、グレゴリーというおっちゃんが作品としては運良くとてもチャーミングな人物で観る人を惹きつけるキャラだったのは大きいと思います。
そんなグレゴリーが容赦ない事態に巻き込まれていく様子は、下手なフィクションのサスペンスよりもよっぽどハラハラしますよ。
終わりに
ある意味でロシアに喧嘩を売るような内容のドキュメンタリー、このリスキーな題材はNetflixオリジナルだから作れたのかもしれませんね。
映画を観て面白い時間を過ごしながら、自分まで何かヤバいところに触れた気になる。
まさにドキュメンタリー作品ならではの楽しさではないでしょうか。
ショックだったのはドーピングというのがここまで蔓延していると知ったことですかね。
国家ぐるみで組織的にドーピングを行う仕組みが作られたロシアだけではなく、他の色々な国、あらゆる競技でドーピングが行われているんじゃないかとやっぱ疑ってしまいます。
どんな競技でもトップクラスの選手のなんなら半分以上はやってるんじゃないの?ぐらいね。
だって現状の薬物検査方法では検査をすり抜けることが出来てしまうんですからねえ、もちろん誰でも簡単に出来ることではないですけど、知識と情報があれば可能だということをこの映画は証明してますからね。
フォーゲル監督がレースに出た時に「他とはレベルが違う選手が少なくとも10人はいた」という言葉が意味深に聞こえます。
「二重思考」というのがキーワードとして出ました、この映画の本質的な恐ろしさというのは個人的にはこれからオリンピックなどの国際競技を見る時に「選手がドーピングをしてると分かっていながら、同時にドーピングなんてしていないとも信じる」という「二重思考」でスポーツを見ることになってしまうところじゃないですかね。
何をバカなと思うかもしれませんが、この映画み観た後では、どうしたって頭の片隅に浮かんでしまいますよね。
もちろん2020年の東京オリンピックもありますからね、余計な事を気にしたくないということであれば、敢えてこの映画を観ないというのもアリだと思いますけどね。笑
でも安心して下さい、この日本でも「二重思考」なんて沢山ありますから、僕らはもうすでに気にならないぐらい慣れちゃってますよ、どうせ。
まあそんな硬い話は抜きにしても、単純にとても面白い作品なので観てみてはいかがでしょうか!