逆走!アカデミー賞

米・アカデミー賞を何処までも逆走していく、ネタバレと少しの熱さの、ゆるい映画紹介ブログです。

映画『スポットライト 世紀のスクープ』〜紹介【ネタバレ】 カトリック教会の闇を照らすはジャーナリズムという希望の光。いま、実話の重みを突き付ける 〜【第88回アカデミー賞】

『スポットライト  世紀のスクープ』

 

第88回アカデミー賞(2016)

 

★【作品賞】

★【脚本賞】

 

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(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 

原題 : 「Spotlight」

公開年 : 2015

製作国 : アメリカ合衆国

 

監督 : トム・マッカーシー

製作 : マイケル・シュガー、スティーブ・ゴリン、ニコール・ロックリン、ブライ・パゴン・ファウスト

製作総指揮官 : ジェフ・スコール、ジョナサン・キング、ピエール・オミダイア、マイケル・ベダーマン、バード・ドロス、トム・オーテンバーグ、ピーター・ローソン、ザビエル・マーチャント

脚本 : ジョシュ・シンガー、トム・マッカーシー

撮影 : マサノブ・タカヤナギ

美術 : スティーブン・H・カーター

衣装 : ウェンディ・チャック

編集 : トム・マカードル

音楽 : ハワード・ショア

キャスト : マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、リーブ・シュレイバー、ジョン・スラッテリー、ブライアン・ダーシー・ジェームズ、スタンリー・トゥッチ、ビリー・クラダップ、ジェイミー・シェリダン

 

 

これぞジャーナリズム!というのを、もはや映画の中でしか見ることが出来ないのかなと思ってしまう今日この頃。

 

皆さんはどうお過ごしでしょうか?(急に)

 

世界で起こっている闇に触れるような映画が観たい、けどドキュメンタリーはちょっと気分じゃない?

 

ほう、今それだけを考えていると。(決めつけ)

 

なるほど、そういう時にちょうどピッタリな映画を紹介します。

この『スポットライト  世紀のスクープ』です!

これは実話を元にした映画なんです。

アメリカの「ボストン・グローブ紙」 が、カトリック教会の神父による性的虐待事件を記事にするまでの経緯から端末まで描いた伝記・ドラマ映画です。

 

これがまた、時にはカトリック教会の闇に触れ背筋を凍らし、時には仕事人達の地道な努力の積み重ねに熱くなり、観終わったときには他のジャーナリズム映画とはまた違った余韻を味わえる見応えのある作品なんですよ。

 

ということは、もう観るしかないと、そういうことになりますね。自動的に

 


映画『スポットライト 世紀のスクープ』予告編

 

 ※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます

 

あらすじ

2001年のアメリカのマサチューセッツ州にある都市ボストンで最大の部数を発行する「ボストン・グローブ」

そこに、経営会社の合併によってニューヨークタイムズの子会社となったことで新しく編集長としてマーティー・バロン(リーヴ・シュレイバー)がやってくるんです。

編集長として新任したバロンはとある事件に目をつけます、1人の神父が子供へ性的虐待をしたというものでした。

この事件を調査して記事にしてはどうかと「スポットライト」のチームに促します。

この「スポットライト」というのはボストン・グローブの中の少数精鋭のチームで作られる特集連載記事のコーナーの名前で、読者が皆目を通すぐらい注目度の高い特集なんです。

スポットライトのチームが性的虐待をしたゲーガン神父のことを調査をしていくと、どうやらそこのカトリック教会がその神父を病休と教会を移動させることで隠蔽したらしい事が分かってくるんですね。

その移動による隠蔽の仕組みというのがマサチューセッツ州のカトリック教会で全体で組織的に出来上がっていて実は性的虐待をした神父は他に何人もいることを徐々に掴んでいきます。

 

しかし、カトリック信者の多いボストンではこの調査は必ずしも歓迎されず、スポットライトのチームが調査を進めるのに様々な障害が立ちはだかり、時に妨害を受けます。

 

そして、スポットライトのチームは決定的な証拠を掴みます。

同時にそれは伝統あるカトリック教会という信仰の土台をゆるがしかねないものだったんです。

 

1人の神父の性的虐待から始まった調査が一体どこへ辿り着くのか?

 

数々の妨害や壁をどうやって崩していくのか?

 

暴くことへの責任、ジャーナリズムをめぐる葛藤はどうなるか?

 

まずは、その辺を注目して楽しんでもらえれば良いかと思います。

 

 

主要人物キャスト

● マイク・レゼンデス

演: マーク・ラファロ

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトチームの記者「ダン」を演じています。

 

アメリカのウィスコンシン州で、イタリア人とフランス系カナダ人の両親のもとに生まれます。

彼は9年間ずっとバーテンダーをしながら演劇をやっている下積み時代があるんですよね。

2000年の映画『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』に出演し、その演技が評価されいくつか映画賞で賞をもらい、注目されます。

その後は『コラテラル』『ゾディアック』『シャッター・アイランド』とかの注目作にも結構出演してます。

近年ではMCUでの『ハルク』のバナー博士の役が有名ですね。

そして、かたや『フォックス・キャッチー』のように演技派な役もこなしたりしています。

個人的にはジョン・カーニー監督の『はじまりのうた』のこれまた全然違うダン役とかなにげに好きですね。

 

 

● ウォルター・“ロビー”・ロビンソン

演: マイケル・キートン

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトのチームリーダー「ロビー」を演じています。

 

アメリカのペンシルベニア州で7人兄弟の末っ子として生まれます。

キャリアはピッツバーグでのスタンダップ・コメディアンとして始まり、同時にテレビ局のカメラマンとしても働いてました。

その後、ロサンゼルスに移り1982年のロン・ハワード監督の『ラブ IN ニューヨーク』で映画デビューします。

そしてティム・バートン監督の『ビートルジュース』のビートルジュース、『バットマン』でのブルース・ウェイン役で一気に有名になります。

その後映画俳優としては上手くいかなかったり、たまに上手くいったり順風満帆とはなかなか言えないキャリアを歩むんですね。

そして2014年、そういった自身のキャリアやプライドもをも逆手にとってぶち込んだような『バードマン  あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で第87回アカデミー賞での主演男優賞を始め、数々の映画賞を総なめにします。

それからは役に恵まれて色々な映画で存在感をの残していますね。

この『スポットライト 世紀のスクープ』でも重要な役割でめちゃくちゃ存在感ありましたし、『スパイダーマン: ホームカミング』のバルチャー役も印象に残った人も多かったんじゃないですかね。

 

ちなみにキャリアの最初の頃は本名のマイケル・ダグラスで活動していたんですけど、俳優組合に登録する時にすでに同じ名前の俳優がいたんで、マイケル・キートンという芸名にしたそうです。

 

 

● サーシャ・ファイファー

演: レイチェル・マクアダムス

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトチームの記者「サーシャ」を演じています。

 

カナダのオンタリオ州出身の女優さんです。

カナダのヨーク大学で演技を学んだ後はカナダのテレビや映画に出演し2002年のアメリカ映画『ホット・チック』で注目を浴びます。

ちなみに僕(管理人)が始めてこの女優さんを知ったのは2004年の『きみに読む物語』で、その美貌にすっかりやられてしまいました。

それはどうでもいいということなので先へ進めますが、その後はアクション映画からコメディ映画など幅広く活躍します。

そして2013年のSF恋愛映画『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』での素晴らしい演技でまたもは僕(管理人)はやられてしまいます。

そして今作『スポットライト 世紀のスクープ』での演技でアカデミー賞にノミネートされました。

 

●マット・キャロル

演: ブライアン・ダーシー・ジェームズ

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 スポットライトチームの記者「マット」を演じています。

 

アメリカのミシガン州出身の俳優さんです。

1993年からブロードウェイで活躍して、2009年にはブロードウェイ・ミュージカル版の『シュレック』でのシュレック役で数々の賞を受賞します。

近年だとNetflixの人気ドラマ『13の理由』『ファースト・マン』『X-MEN ダーク・フェニックス』などにも出演してますね。

 

● マーティ・バロン

演: リーヴ・シュレイバー

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 ボストン・グローブ紙の新任の編集局長「バロン」を演じています。

 

カリフォルニア州サンフランシスコ出身のアメリカの俳優さんです。

1歳の時にカナダに移るも4歳の時に両親が離婚し、母親とニューヨークに移住してそこで育ちます。

ロンドン王立演劇学校やイェール大学演劇大学院で演劇を学び1993年にブロードウエイでキャリアをスタートさせます。

その後『スクリーム』シリーズで注目されますね。

そのかたわらで、舞台俳優としても活躍していて、2005年にトニー賞演劇助演男優賞をもらっています。

 

● ベン・ブラッドリー・ジュニア

演: ジョン・スラッテリー

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 ボストン・グローブ紙のベテラン部長「ベン」を演じています。

 

アメリカのマサチューセッツ州ボストン出身のアメリカの俳優さんです。

『イレイザー』『トラフィック』『父親たちの星条旗』など色々な作品に出演しています。

近年だとMCU『アベンジャーズ・シリーズ』でのトニー・スタークの父親ハワード・スターク役で見たことある人も多いと思います。

個人的になんかこの俳優さんの画面内の画としての存在感が結構好きなんですよね、この『スポットライト 世紀のスクープ』でも動きの少ない題材の画面内のバリエーションとして抜群の存在感だったと思います。

 

● ジム・サリヴァン

演: ジェイミー・シェリダン

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 カトリック教会と孤独に戦う弁護士「サリヴァン」を演じています。

 

アメリカのカリフォルニア州出演のアメリカの俳優さんです。

1978年に舞台俳優としてデビューし、経験を積んだ後はTVドラマを中心として活躍して主に『LAW&ORDER: 犯罪心理捜査班』や『HOMELAND』などがあります。

映画にも多数出演していて、近年だと今作の他に『ハドソン川の奇跡』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』などがありますね。

 

☆3分でサクッと知りたい人はこちら☆(ネタバレなし)

基本的に派手な映画ではないです。

足と忍耐を使って一歩一歩じわじわと真相に近づいていく類のジャーナリスト映画なんですよ。

そして実話、しかもこの事件と記事に関してはかなり大きなニュースだったので、初めからどういう結末に向かうかは分かってるわけですよ。

その前提で、そこまでの過程を丁寧に描く事で深い所から何か伝えれるものがあるんじゃないかという作品なんですよ。

 

ただし、日本だとカトリック教会ってそこまで馴染みのある人は多くないと思うし、欧米的には大ニュースだった今作の事件でも日本でそこまで注目してる人もこれまた多くないと思います。 

つまり、この映画の中の記者達同様に事件を暴いて初めて知って驚いていくというフィクション映画のような観方も全然アリです。

 

そして仕事人映画でもあるんですよ。

地道な仕事、その積み重ねによって巨悪を追い詰めていくという正にジャーナリズム映画の醍醐味を味わえます。

おまけに、観た人まで少し仕事にやる気が出ます。(管理人調べ)

そしてその「仕事」を自ら体現してくれる役者陣の素晴らしい演技も、見所ですね。

けして派手ではない、派手ではない映画なんだけど役者陣の、特にボストン・グローブやスポットライトチームの役者のアンサンブルが華やかで全く飽きさせないです。

だからこそ、観る方も熱くなり、怒ったり、悲しんだり、事件に寄り添って考えることが出来るんですね。

 

ジャーナリズムを題材にした映画はハズレがなくどれも面白いんですが、真相を暴いて突き付ける相手は基本的にその国の「政府」だったりすることが多くて最後はそれなりにカタルシス(スカッとするぜ!)があります。

しかし、暴く相手が「宗教」となると、最後の余韻はこんなに違うものになってしまうのか…と、そこも見所であり大事なポイントなんです。

 

ジャーナリズム映画としての面白さをしっかり押さえ、「見ないふりで曖昧にした結果」を自分にもどこか照らして合わせて考えることも出来る、良い映画です。

 

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

スポットライトのチーム達

 

★もっと知りたい人はこちら★ 紹介・解説(ネタバレあり)

 

ボストンとカトリック教会

この映画は、ボストン司教区(ボストン中に何個もある教会をひとまとめにした単位)のカトリックの司祭(神父)が長年にわたり大量の児童に性的虐待を行なっていた事実を組織ぐるみで隠蔽していたという大事件と、それを新聞記事という形で地道な苦労の末に世に明るみに出した新聞記者達を描いた作品です。

ということで、ボストンという都市とカトリックについて多少なりとも知っておくと映画により入り込めるし、これがいかに大事件かということも分かると思います。

 

カトリックって分かりますよね。

 

ああ、あれでしょキリスト教のやつでしょ、って?

 

そうキリスト教のやつです。笑

 

世界中のあるゆる宗教の中でも最大の信者数をほこるキリスト教のやつです。

その数、おおよそ世界人口の三分の一にものぼります。

ただし、僕達はキリスト教というと大雑把にまとめて言ってしまいがちだけど、キリスト教っていくつかの宗派に分かれてるんですよね。

そのいくつかある宗派の中で、教徒の人数が1番多いのがカトリック教会(ローマ・カトリック)という宗派なんです。

 

ちなみに世界中で12億人以上いると言われています。

 

このキリスト教最大の宗派カトリック教会という組織や仕組みですかね、とりあえずその辺を軽くでも知っておくと良いと思うんで触れますが、知ってる人にとっては基本中の基本なのですっ飛ばして下さい。

 

さっき宗派の話をしましたけど、このブログで扱うアカデミー賞の作品は基本的にはアメリカ映画なのでアメリカの場合のキリスト教事情で考えると、大きく2つの宗教に分かれます。

 

カトリックとプロテスタントです。

 

なんか、どちらも聞いたことありますよね。

アメリカ映画にも結構出てきますからね。

 

ただおそらく、興味がない人にとってはカトリックもプロテスタントもごっちゃになってると思うんですよね。

 

でも、ごっちゃにはできないんですね。

異端は異教より憎しという言葉があるように、その昔は宗派に分かれて何度も戦争したぐらいですからね。

 

ということで!

この2つの宗派の違いをものすごく大雑把に分けてしまうと、カトリックは伝統と教会を重要とする宗派で、プロテスタントは聖書を重要とする宗派なんですよ。

 

まずカトリックですね。

そのカトリックの「伝統と教会」というのは、文字通り大昔から脈絡と続く“教会”という組織の中でキリスト教を信仰するというものです。

特徴としては、ローマにあるバチカンのローマ教皇を頂点としてピラミッド状の組織になってるところですかね。

カトリックには色々な儀式があって、それは教会で行われるんですけどその儀式を執り行えるのは司祭職の人だけと決まっています。

ちなみにその司祭という役職の人がいわゆる神父さんですね。

 

つまりカトリックの一般信者にとって、教会や神父さんは自分よりも神により近い存在でとても神聖なもの、身もふたもない言い方をすれば自分よりも偉い人ってことですね。

そうやって偉さの違いをピラミッド状に作ることによって大勢の信者達の秩序を遥か昔から守ってきたわけです。

あと、教会という場所が神聖で特別な場所だということを分かりやすくするために教会が派手だったり華やかだったりするのもまあ特徴ですかね。

 

しかし世俗から離れた“教会”という閉鎖的な世界の中では、やはり腐敗していき様々な問題が起こります。

それがプロテスタントという宗派の登場に繋がっていくわけなんです。

 

ということで、次はプロテスタントですね。

ちょっとめんど…いや、この映画と直接関係ないので細かいことは一切端折りますが。笑

ヨーロッパでカトリック教会がめちゃくちゃ権力を持って腐敗しまくったので16世紀ごろにルターという人がカトリック教会を批判したのをきっかけに起こった宗教改革によって分離したのがプロテスタントです。

プロテスタントという言葉には「反抗する者、抗議する者」という意味があります。

だからカトリック教会に対して、「人が作った教会とか組織とかもうええわ!聖書が1番大事!聖書を通して個人個人が神さんを直で信仰するから!」

という抗議的な感じで生まれたのがプロテスタントという宗派です。

だからキリスト教の宗派の中では結構新しい方なんですね。

 

さて、この映画の舞台となるアメリカです。

毎回、新しい大統領の就任式の時に聖書に手を置き誓いの言葉を述べる場面でお分かりの通りアメリカ合衆国はキリスト教の国家ですね。

国全体の割合で見た時に、アメリカの場合はカトリックよりもプロテスタントの方がはるかに多いんですが州単位で見ると特徴がそれぞれ違っていて、この映画の舞台となるボストンのあるマサチューセッツ州の宗教人口はカトリック教徒が1番多く、州都であるボストンも当然カトリックのコミュニティが市民に浸透しいるんです。

多くの人々の拠り所になっていて、つまり教会という場所や存在が生活の一部になってるような街なんですね。

それは同時に教会側が街の中で大きい権力を持っていることにもなります。

 

そんなボストンという街で、カトリック教会の長年にわたる「裏切り」を記事を書こうとする記者達の物語なのです。

それはどういう事を意味するのか、単に政治家や企業の汚職を暴くのとは全く異なる責任を背負うことになる。

その辺を理解した上で映画を観ると入り込めるし、この年のアカデミー賞の【作品賞】を受賞したというのも日本人の僕らも感覚として掴みやすいと思います。

 

(C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

教会で歌う子供達

 

役者陣の演技が見事

例えばアクション映画とかと比べると地味そうですよね。

実際に地味なシーンが多いです。笑

 

なにせ記者達の仕事です。

取材がメインなんで、必然的に会話のシーンが多いんだけど僕は退屈しなかったですね。

みんな演技が素晴らしいんですよね、トーンとしては抑えめなんだけど表情とか間で魅せるんですよ。

 この映画の場合は、感情を爆発させるような演技はここぞという時にとっておくからこそ、より心に響くものになってました。

公開当時に劇場で観た時には、邦画の演技とは全く対照的だと思いましたね。

 

マイケル・キートン良かったですね〜。

『バード・マン』も良かったですけど、この映画の演技もかなり好きですね。

最初のスピーチのジョークの掴みから最後の締めまで、この映画全体の演技のトーンをまとめあげる役割を果たしてました。

要所要所で手綱を引いてくれるような存在感でしたよ。

 

レイチェル・マクアダムスは被害者への取材の時のリアクションの表情が良かったし、編集長を演じるマーティ・バロンは声と存在感が本当にハマっていました。

 

マーク・ラファロの、劇中で1番走り回った男の口から吐き出された言葉だからこその説得力のある「今も起こってるんだ」と感情爆発させるシーンも良かったですね。

 

 

顔が頻繁に映る会話シーンが多いからこそ、むしろ役者の演技を堪能出来る作品になってると思います。

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

素晴らしい演技のアンサンブル

 

ベンとロビーに注目

さっきチームリーダーの「ロビー」役のマイケル・キートンの演技が素晴らしいと言いましたけど、そのロビーの上司である部長の「ベン」を演じたジョン・スラッテリーの存在感も良かったですね。

あのスラッとした白髪の男性ですよ。

 

ところで、この映画ではあえて明確に説明されてない事があります。

しかし、ベンとロビー、この2人のシーンに注目して映画を観ると、さらに見えてくるものがあります。

 

ベンとロビーは上司と部下であり長年ボストン・グローブで仕事をしてきた仲間でもあります。

 

ただ、ジャーナリズムのプロフェッショナルが取材で悪事を暴くという映画ならば、スポットライトチームと編集長の関係性だけでも十分に描くことが出来るはずです。

しかしこの作品はそのスポットライトと編集長の間に部長の「ベン」という人物を主要な登場人物の1人として置いています。

 

それはなぜか、もちろんこの物語の中で彼には役割があるからなのです。

 

と、まあ勿体ぶってもしょうがないので言ってしまいますが、ベンは神父が性的虐待をして教会が隠蔽している事を昔から知ってたんですよね。

それは劇中では直接的には語られませんが、ベンが度々劇中で登場する場面の言動が物語っています。

じゃあ彼はなぜ知っていたか、それは数年前に弁護士マクリーシュからボストン・グローブ紙宛に送られてきた性的虐待をした神父についての資料を見ていたからです、そしてその資料を無かった事にした張本人だからです。

そして、ロビー達が情報を求め何度も訪ねてくるのに嫌気がさした弁護士マクリーシュがついに「何年も前に資料を送った、なのに無視したのはそっちだろう」と怒ってきた時に、ロビーはそのことに気付いてしまうわけです。

 

そこでいよいよ劇中の終盤、最終ミーティングの場面で表面上のセリフではロビーの方から「実は資料が届いてたのに自分がちゃんとした記事にしなかった」と、あえて自分に責任があったような言い方をベンの目を真っ直ぐ見つめながら話します。

ベンはとっさのことで、表情に動揺が浮かびます。

 

ここで思い出して欲しい劇中の印象的なセリフがあります。

「君の探している文書はかなり機密性が高い、これを記事にした場合、誰が責任を取る?」

 

「じゃあ、記事にしない責任は?」

 

このやり取りが、あの終盤のミーティングの場面で非常に効いてくるわけです。

 

ロビーは編集長やチームの仲間みんなの前でベンの過ちを告発することをせず、ただ1人、ベンの心に向けて、まさに「記事にしなかった責任」を重く問いかける、だからあの終盤のミーティングはすごく大事なシーンなんですよ。

 

べつにこれは、ベンという人物が悪人ということを意味するのではなく、むしろその他大勢的な「何かある、でも面倒を避けて、見ないふりをした」という街の大人達の全体的な空気を象徴している実は重要なキャラクターなんです。

 

だからベンは、スポットライトチームが調査するにつれて性的虐待をていた神父の数と犠牲者の数がどんどん増えていくことにショックを受けますね。

さすがに、ここまで深刻な事態になってるとは思ってなかったし、当然そんなの望んでもないわけですからね。

 

しかし、とうとう自分の想像をもはや絶するほど遥かに超えた数字を突き付けられた後、呆然とその事に向き合わざる得なくなるわけです。

暗闇に1人座って。

あの時に面倒から逃げずにちゃんと記事にしていれば、もっと犠牲者を減らせたかもしれないというまさに「記事にしなかった責任」を彼は背負っていくしかないんですね。

 

 (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

実は大事な役割のキャラクターのベン

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

子供の頃、心に消えない傷を負った犠牲者

 

ジャーナリズムの役割

ジャーナリズムと言っても、本当に色々な役割があると思います。

その中の1つに、新たな風を通すというのがあると思います。

例えばまあ、組織でも企業でも何かの業界でも宗教でも何でもいいけど、ずっと長年同じ状態が続いてると必ず空気が淀んできますよね。

 

淀んだ空気は人々の感覚を鈍くさせます。

 

それは時として、誰かの悲鳴も聞こえなくなるほど感覚が鈍くなってしまうこともあります。

もちろんそうなる前に、その状況をちゃんと自覚して、新しい風を入れることが出来る場合もあります。

企業なんかは割とそういう取り組みを意識的に行っていますよね。

 

しかし、この映画のカトリック教会なんかはまさに長年にわたって閉じられた世界の中で空気を淀ませてきました。

もはや内側からは変えることができないぐらいに皆の感覚がとっくに鈍ってしまった時、全く外から風を通すことができるのがジャーナリズムの力だと思います。

 

この映画でもカトリック教会の力が強いボストンの街の空気など知らないし気にしない、全く外から新しくやってきたユダヤ系の編集長がボストン・グローブ紙に風を通した形になりますね。

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

調査と取材の積み重ね

 

的確な演出と音楽

 

監督のトム・マッカーシーですけど、『ミート・ザ・ペアレンツ』『父親たちの星条旗』などに俳優として出演したり、『カールじいさんと空飛ぶ家』の脚本に参加したりと監督業以外での活躍も印象に残ってますけど、今回は監督としてとても丁寧に良い仕事してましたね。

 

まず映画の冒頭にいきなり1976年のボストン警察署から始まって、児童に“いたずら”をしたとしてゲーガン神父が拘留されてるところへ司教や地方検事補がやってきて、そこで被害者児童の親と何やら話し合いをして事件にすることなくこの件を終わらせ、性的虐待をしたゲーガン神父は司教に連れられて黒塗りの高級車でさっさと帰っていく。

それをポカンと見つめる新米警察官。

 

冒頭の、このシーンって別に無くても、いきなり現在から始まってなんら問題ないんですけど、でもこのシーンがあることで終盤にむけて観客の感情の動きにすごく効いてきますよね。

 

新米警官が大変な顔して先輩警官に言うんですよね、「裁判になれば知れ渡りますよ」って。

先輩の警官は諦めたような半笑いで「ならんよ」と言うんですよ。

 

これは結構大事なシーンで、この時に僕たち観客も無意識的に「この街じゃめずらしくない事なんだろうな」と思ってしまうんです。

本当は大変な事なのに、「そうかめずらしくない事なんだ」と自分の中で無意識に“事態を軽く変換”してしまうんですね。

つまり、先輩警官が軽い感じで言った「(裁判になど)ならんよ 」という、街全体の空気を僕たち観客にもいきなり浴びせるわけです。

 

だから物語が進むにつれて次々と事態の全貌が明らかになっていくと、そこには驚きと怒りだけじゃない感情も混じってくるんです。

要は「見ないふりをして曖昧にした結果」を映画を通して擬似的に感じでもらう作りにもなってます。

それを、さりげなくやってるのがまたいいですね。

 

あと、『ロード・オブ・ザ・リング』でアカデミー作曲賞も獲ったハワード・ショア!

この作品でもとても良い音楽をつけてくれてましたね〜。

トーンは抑えめなんだけど、なにか深淵を覗き込むようなピアノの旋律から始まり、最後まで映画にめちゃくちゃマッチする音楽でした。

 

あと撮影監督のマサノブ・タカヤナギ、日本からアメリカに渡りハリウッドで活躍する数少ない日本人の1人ですが、アップと引きの画を思い切り良く度々切り替えながらも統一感を一切損なわない絶妙な画作りだったと思います。

 

Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC

 

おわりに

どうでしょうか、面白い映画だということが伝わったでしょうか。

けっこう地味だけど面白い映画だということが伝わったでしょうか!(なぜか台無しにする補足)

 

この映画を観て地道な取材と調査の繰り返しに、アラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』を思い出す映画好きな人も多いんじゃないでしょうかね。

ああいった政治権力を相手にするジャーナリズム映画はやっぱ達成感がありますよね。

近年だとスピルバーグ監督の『ペンタゴン・ペーパーズ』とかもそうですね、あれも達成感がありますよね。

 

しかしこの映画のカトリック教会のように、人々が信じているもの、拠り所にしているもの、その裏切りを暴くことの後味の複雑さがあります。

カトリックの子供達にとってそれは自分の世界を壊されるのと同じことですからね、どれだけ深い傷が残ることか。

それがいかに罪深いことか。

それを教会はずっと無かったことにしてきました。

 

間違いなくスポットライトのチームは新聞記者として仕事を成し遂げた、それは同時についきパンドラの箱を開けたことにもなったわけです。

鳴り止まない電話が悲鳴にも聞こえます、これまで蓋の中に閉じ込められてた無かった事にされてた悲鳴に。

 

カトリックの人々にとって、それが生活の中にあるボストンの人々にとって、ここからの道のりが大変だと思います。

しかしギリシャ神話のパンドラの箱の底に最後に残ったのは希望なんです、確かにカトリック教会が揺れるぐらい大変な事になった、しかし良い方向に変革するチャンスかもしれない。

 

そんな小さな希望が暗闇を照らすようにも聞こえる1番最後のセリフ

 

「はい、こちらスポットライト」

 

このなかなかに独特な余韻は是非この映画を観て味わってもらうしかないですね。

 

 

 

映画『スポットライト 世紀のスクープ』公式サイト