逆走!アカデミー賞

米・アカデミー賞を何処までも逆走していく、ネタバレと少しの熱さの、ゆるい映画紹介ブログです。

映画『ズートピア』 それは本当にユートピア?現在アメリカへ向けて、多様性は”楽しい”というディズニーの挑戦だ! 【第89回アカデミー賞】

 

『ズートピア』

 

 第89回アカデミー賞(2017)

 

 ★【長編アニメーション映画賞】

 

 

©2016 Disney.

 

 

原題:Zootopia

2015/アメリカ 上映時間109分
監督:バイロン・ハワード、リッチ・ムーア
共同監督:ジャレッド・ブッシュ
製作:クラーク・スペンサー
製作総指揮:ジョン・ラセター
音楽:マイケル・ジアッキノ
主題歌:シャキーラ「Try Everything]
日本版主題歌:Dream Ami「トライ・エヴリシング」
声の出演:ジニファー・グッドウィン、ジェイソン・ベイトマン、イドリス・エルバ、ネイト・トレンス、J・K・シモンズ、ジェニー・スレイト、トミー・“タイニー”・リスター、レイモンド・パーシ、オクタビア・スペンサー、シャキーラ、ボニー・ハント、ドン・レイク、
モーリス・ラマルシュ、トミー・チョン
声の出演(日本版キャスト):上戸彩、森川智之、三宅健太、高橋茂雄、玄田哲章、竹内順子、Dream Ami、芋洗坂係長

 

 

 

 

巷では元号が平成から令和に変わったり、東京五輪のチッケト抽選予約が始まったり、過去最長のゴールデンウィークから復活出来る人もいれば出来ない人もいたりと、まあ色々と世の中動いてますよね。

とはいえ、しかし。

 いや〜本当にね、こればっかりは自分でもビックリですよ。

  

1年以上更新してないなんてね。笑

 

何でしょうね〜元来のナマケモノ根性が現代社会という荒野で火を吹いた(カッコわるっ)とも言えるのかもしれないし、時間という魔女とワルツを踊っていた(うわダサっ)のかもしれない。

今となっては誰にもわかりません。

追求してはいけません…

ただこの前、車の税金の納税通知書が届いたときに印字してあった「令和1年」という文字を見て初めて元号が変わったのを実感したんです。

そしたらどうでしょう、平成に何かを置き去りにしてきたような気がしてたまらなくなったんですよね。

でも、その何かを必死に探したら見つけたんです!

そう、このブログです!

僕はこの令和の世界から、平成の忘れ物 数記事書いただけで1年ほったらかしたブログを取りに来たんです!(ドヤ!)

 

 

 

カッコ悪過ぎません?笑

 

 

 

でもいいんです。

僕が言いたいのは、それでも今これを書いているという事。

間が空いたって別にいいんです、何かを再開するのに、そして何かを始めるのに、遅すぎるなんてことは無いのだから。

またトライすればいいんだよ、何度だって。

そんな事を、誰かに言いたいですね。

 

 

と、まあこんな前置きともあながち無関係じゃないかもしれない映画を紹介したいと思います。

 

『ズートピア』 です!

 

©2016 Disney.

 

さあ来ました、ディズニーアニメですよ!皆に愛されるディズニーですよ!

僕が紹介しなくたってみんな観るだろう…ってかもう観てるだろうという気がしてたまらないのですが紹介するしかないのです。

なぜなら、あらゆる面でものすごいクオリティが高い映画なんです!

 

でもディズニーだし子供向けなんでしょって?

 

いやいやそんなことはありません、大人もめちゃくちゃ楽しめるとても層に厚みのある作品なんです!

 

ということで、その辺を紹介できたらなと思います。

 

 ※目次の中の項目をタッチするとそこから読めます

 

 

あらすじプラス

まず動物たちが主役の映画なんだけど、じゃあ人間はどうしてるの?と思う人もいるかもしれませんが設定上では人間が存在したことのない動物たちだけが暮らす別世界ということになっています。

その動物たちが進化を遂げて今の僕らの地球のような高度な文明社会を築いて来て「肉食動物も草食動物も仲良く暮らす世界」が舞台の物語なんです。

まあ、動物たちとは言っても観客が物語に集中できる絶妙なバランスであえて哺乳類に限定してあるという工夫がされてるんですけどね。

 

 

 

主人公は田舎町に住むウサギのジュディです。

「より良い世界を作るため」に警察官を夢見てるんだけど両親からは割と反対な感じで、ウサギがわざわざそんな危険な職業に就かなくても皆んなで一緒に畑でニンジンを作ろうよ的なことを言っています。

しかも今までウサギで警察官になった者はいない、というのを考えれば両親が心配して反対するという気持ちは理解出来なくはないんですけどね。

しかし夢を追う者を説得するには逆効果にしかならない「私達が幸せなのは夢を諦めたからなんだよ」なんてことを言っちゃうんですよ。

まあそれも1つの正論ではあるんですけど、夢追い人にはしらける言葉にしかならないわけで主人公のジュディは俄然警察官になる夢を諦めずに結局は心配する両親や親戚一同に見送られながら、誰もが何にでもなれる街ズートピアに旅立つんです。

そしてズートピアの警察学校では苦労するも持ち前の負けん気で見事に首席で卒業し、ジュディはウサギ初の警察官になりました。やったね!

だからもう「待っとれや悪党ども、ワシが世の中の悪を全部退治しちゃる!」(多分言ってなかったと思います)ジュディが息巻いてズートピア警察官またの名を「ZPD」に出勤すると担当させられたのは駐車違反の取締りでした。

う〜ん悲しいかなこれが現実で、しかもそれに対して水牛のボゴ署長にちょっと反抗的な態度をとったりしたもんだから「だったら1日100件の駐車場を取り締まってみろ!」なんて無茶な命令をされたりして、出だしから盛大につまずくありさま。

それでもめげずに「100件言うたのう、じゃったら200件取り締まっちゃるけえの!」(これは割とそんな事言ってました)とアメリカンアッパーマインドで頑張ってたら街でキツネの詐欺師ニックと出会います。

それでジュディの善意を利用されてまんまと騙されて、まあ何というか都会の現実に打ちのめされてしょんぼりアパートに帰るわけです。

次の日も駐車違反を取り締まってたらジュディの目の前の花屋で強盗が起こるんですよ、そりゃもうチャンス!とばかりに自分の持ち場を離れて強盗犯を追いかけて街中をドタバタ駆け回って強盗犯を捕まえてドヤ顔で警察署に戻ると、そこには怒りMAXのボゴ署長が「ちょっとこいや、ワレ」とばかりにジュディを待ってたのです。

配属されて間もないのに職務放棄命令違反でとにかくこっぴどく怒られているところに、

最近ズートピアを騒がしている肉食動物の連続失踪事件で夫が失踪してしまったオッタートン夫人が「主人をはやく探してほしい」と嘆願に来ます。

それを横で聞いていたジュディはたった今怒られている最中だったにも関わらず「ワシが探しちゃる!」と自分が捜査に出ると勝手にオッタートン夫人に約束してしまいボゴ署長はブチギレ「これはクビですわ」と警官バッジを取り上げられそうになったところを運良く現れたズートピアの副市長であるヒツジのベルウェザーのおかげでジュディの即クビはまのがれたものの、「48時間以内に見つけられなければクビだ」ボゴ署長から最終通告をうけてしまったからさあ大変です。

そしてジュディは事件の手掛かりを探す中ひょんなことからキツネの詐欺師ニックを巻き込んで(ほとんど脅迫!)2人で事件の捜査をすることになるんですよ。

 

さあ、ジュディは48時間以内に失踪したオッタートンさんを探し出し、無事にズートピア警察署に残ることが出来るのか?

 

ズートピアを騒がしている肉食動物の連続失踪事件の謎は一体何なのか?

 

そして騙しと脅迫から始まった消極的な相棒ニックとジュディの関係性はどうなっていくのか?

 

その辺りを軸にストーリーがどんどん展開されていきます。

 

 

©2016 Disney.

主人公ウサギのジュデイとキツネのニック

©2016 Disney.

まあ、この顔!

 

アカデミー賞の長編アニメーション賞

この『ズートピア  』が89回アカデミー賞の長編アニメーショ賞を受賞したわけなんですけど、まあこの部門は基本的にはだいたい毎年ディズニーかピクサーが賞を獲ってしまいます。

実際、賞に値するようなハイパークオリティな作品を毎年のように作ってるので無理もないんだけど、この89回アカデミー賞の2017年は長編アニメーション賞にノミネートされた他のアニメーション作品も良い作品があります。

特に『KUBO クボ  二本の弦の秘密』『僕の名前はズッキーニ』なんかはこの『ズートピア  』に負けず劣らずの素晴らしい作品だったのでぜひ観て欲しいんですが、それらを差し置いて『ズートピア  』が長編アニメーション賞を受賞したのは、ディズニー作品のハイパークオリティである以上にやはりドナルド・トランプ大統領の誕生した事に代表されるその年のアメリカ社会の殺伐とした空気が映画界に願いとして反映されたものなのかなと思います。

そこにしっかりと応える作品になってるのではと思いますね。

 

ここを紹介したい!

 

ズートピアという街、そしてその世界観が素晴らしい!

 

まず、映像って大事ですよね?

 

もちろんストーリーも大事なんだけど、こういったアニメーション作品としてはまず観客が目で見て直接的に楽しませる要素としていかに映像として楽しいものになっているのかは重要だと思うんです。

 

確かに映像が平凡だったら退屈かもしれないって?そう、そういうことです!

 

その点、ディズニーというのはミッキーマウスがそうであるように動物をキャラクターにしてアニメーションとして動かすということをず〜っとやってきたスタジオなんですよ。

昔のディズニーのアニメーターの人達が幾度も工夫して積み重ねた「技術」というのが何十年もしっかりと受け継がれているからこそ毎作品ディズニーアニメの映像表現は圧倒的なクオリティーの高さなんです。

 

昔の手書きアニメの技術なんて今のCGアニメに関係あるのかって?

 

お!それがちゃんと関係あるんです!

手書きアニメでもCGアニメでも実は動物や人間をいかに魅力的に動かすかという根幹部分はどちらも同じなんです。

 

実際に監督の1人であるリッチ・ムーアもインタビューで “「私たちのスタジオの優れたアニメーター達が駆使している技術は、60〜70年前のディズニーのアニメーター達が使っていた技術と非常に類似している」” と言ってますしね。

 

つまり、動物をキャラクターとして動かすことなんて朝飯前のディズニーにとって『ズートピア   』の世界はピッタリだし、これまで培われてきた技術を武器に存分に暴れることのできる作品なんです!

しかも今作は、単に得意なことを今まで通りやりました〜、なんてところで終わらずに新たな挑戦をしてるのが凄いんですよ。

 

それは大きいところだとやはり動物達のサイズですね。

実は動物をそのままのサイズで描くアニメって非常に少なくて、それはディズニーであっても例外じゃないんです。

例えばミッキーマウスグーフィーはアニメ上はパッと見て背が低いか高いかぐらいの違いしかないですよね?でもこれを動物としてリアルなサイズにしてみたら当然ネズミと犬じゃ何倍も大きさが違います。

つまりほとんどのアニメーション作品の、特に動物がしゃべったりするような擬人化されたキャラの場合は小動物も大型動物も画面内であまりサイズの差が極端にならないようになるべく同じようなサイズ感で描いてるんですよ。

 

そういえばそんなの当たり前過ぎて意識したことなかった?

 

そうなんですよ!それが多くのアニメの描き方ですからね、僕もこの映画を観るまではそこまで意識した事なかったですよ。

でも確かにそうですよね、例えばネズミが生活するのに使う道具や家具をゾウが同じように使うことなんて普通は出来ないはずですからね。

それを再現するのは手間もかかって大変だし、そもそもそこまでしてリアルなサイズ感を再現することに作品としてあまり必然性もないので敢えてやってないって部分もあったのかなとお思います。 

 

しかし、この『ズートピア   』は必然性も込みで見事にそれをやってるんです!

ネズミは実際のネズミの大きさで、ゾウは実際のゾウの大きさで表現されて街で暮らしてるんですよ。

動物達がそれぞれのサイズで不自由なく生活できるように街全体が設計されてるんです。

さらに、暑い所が好きな動物や寒い所が好きな動物などそれぞれ特性を持った動物達にも対応していて雪と氷の街のツンドラ・タウン、ラクダなど砂漠の動物達が暮らすサハラ・スクエア、ネズミなど小動物が暮らす都会リトル・ローデンシア、熱帯雨林のリトル・フォレスト地区やズートピアの中心部の大都会サバンナ・セントラルなど、それらを見てるだけでも色々なアイデアが詰まっていて楽しくなりますね。

例えば僕が面白いなと思ったアイデアの1つに寒い街ツンドラ・タウンと暑い街サハラ・スクエアは隣接してて、その境界にある巨大なエアコンが寒い街に冷気を送って冷やし、その排熱を利用して暑い街へ熱い風を送ってるみたいなんだけど、もちろんバカみたいなスケールではあるけどちゃんと街の機能面も考えられてるでしょう?そういったアイデアがそこら中にちりばめられてるんですなあ〜これが。

 

別にお前が考えたわけじゃないだろって?

 

E x a c t l y !

 

そういった世界作りの工夫があるから動物達がそのままのサイズ感で描かれてても僕ら観客も違和感がないんだよね。

あとそれからサイズ感だけじゃなく、それぞれの動物らしい仕草も積極的に取り入れられてるのも良いね。

基本的に動物達はズートピアという文明社会を二足歩行で暮らしてるんだけど、例えば主人公のジュディは急いだり瞬発力が必要な場面では四足歩行に切り替わってピョンピョン跳ねたりして実際の動物としてのウサギっぽさも感じられたりして、その切り替えとか動きがあまりにスムーズで自然だからアニメ表現として気持ちいいんですよ。

怖いとジュディの鼻がヒクヒクしたり耳が立ってたり寝てたりと、ごく自然に動物らしさも取り入れてくるところなんか本当ディズニーは妥協しないですよね。

 

その妥協しなさとも関係あるんだけど、僕がこの映画を観てうわ〜偉いなあと思うのはさっき言ったズートピアの街のアイデアや表現それ自体がこの作品のテーマの1つ多様性を直感的に感じれるようになっているところですね。

この街のアイデアを凝らした設計やそのあり方、それは要するに皆それぞれが生まれ持った特性を我慢しなくていい社会ということなんです。

その象徴としてズートピアの動物達のサイズ感をありのまま描くという表現は、この作品にとって必然性があるように思います。

 

 

©2016 Disney.

色んな大きさの動物たち

ディズニー初の警官バディもの!?

 

ではないんですよね、それが。笑

ジュディがディズニー初の警察官の主人公とい点ではそうなんだけど、相棒のニックは詐欺師なんで警察官じゃないんですよ。

 

でも、ちょっと聞いて下さいよ!

 

ジュディニックがバディ関係になった時に、その場に居合わせたニックの元詐欺仲間から「お前の方がお似合いだぜ」と言われてニックに警察バッジのシールをぺたんと貼るんですよ。

まあそれはギャクの流れではあるんだけど、でもね、夢を諦めたニックの内面の物語にとっては、バッジのシール貼られて意図せずとも仮の警察官となってしまったことは大きい意味を持つんです。

物語上でも大事な役割を果たします。

 

だからこれは新米警察官と仮免警察官の警官バディものと言ってもいいんじゃないですか?

 

ギリオーケー?ダメ?ダメか〜!

 

バディものとしての面白さで言えば、この作品の作り手がオマージュを捧げるウォルター・ヒル監督の『48時間』という映画があってニック・ノルティ演じる白人警官とエディ・マーフィー演じる黒人のチンピラがもっと悪い奴を捕まえる為に48時間だけコンビを組んで捜査するというもので(ボゴ署長!さてはこの映画観たな?)、『ズートピア』もまるでその2人さながらの凸凹コンビで楽しませてくれます。

初めの方は、やる気に溢れるジュディと無理やり協力させられて消極的なニックとのチグハグなやりとりも面白いし、幼少期のトラウマという共通項をかたやバネにして夢を追うジュディと、かたやそれで夢を諦めたニックとの対比、しかしジュディと共に行動するなかで次第にニックの諦めモードも変化していく様子も見どころですね。

あと、決してうわべの恋愛要素ではなくもっと大きい友情関係の話ではありながらも、ねえねえ2人はくっつくの、くっつかないの、どっちなの〜?とほんと調味料程度に常に観客に思わせる感じは上手いですよね。

終盤の、にんじんペン返してスカスカ〜の場面なんか2人の関係性が死ぬほど可愛いですもんね! 

 

偏見や差別というテーマなのに、しんどくない!

 

もちろんこの映画はフィクションだし架空の世界の物語だけど、とても大きなテーマが込められてますね。

 

さすがにズートピアの世界が今のアメリカを元にしてるのは分かったって?

 

そうなんですよね!

ズートピアのキャッチフレーズでもある「誰もが、何にだってなれる街」なんて、まさにアメリカン・ドリームのことですもんね。

しかも世界中から色々な人が移り住んできて沢山の人種の人達が一緒にくらしてる国なんですよね。

まさにズートピアですね!

 

ちなみに、アメリカン・ドリームも含めたかつての「自由の国アメリカ」という幻想がかろうじて信じられた時代のニュアンスも若干皮肉的に込められてるように感じましたけどね。

 

とにかく、フィクションとは言え今のアメリカをモデルに多様性を描くなら偏見や差別というテーマを避けることはできません。

そのテーマを『ズートピア』では、はるか昔は食べる側食べられる側であった肉食動物草食動物を軸にして描いていくわけです。

だから草食動物のジュディと肉食動物のニックがバディを組むのも作品のテーマとしては必然ですね。

 

え、まさかこの映画ってちょっと前のDCユニバースみたいなノリなのって?

 

いやいや大丈夫、暗くないから!そんなシリアスなノリじゃありません。むしろ大人もめちゃくちゃ笑えるコメディになってるんです!

いやこれを実写映画でやろうとしたら重いし非常にデリケートな問題を多く描写することになるのでとても作るのが難しいんだけど、アニメーションの架空の動物達の世界にすることで絵本を読むような感覚で大事なことを本質まで考えることが出来るんですね。

しかもギャクで笑いながら。

 

要は、しんどくないってことなんです!笑

そりゃあ嬉しいね!

 

 

もちろん敢えて観客にしんどい思いをさせてこちら側に突き付けるような、優れた作品も沢山ありますよ!

 

しかしこの『ズートピア』は最後まで笑えて基本的に楽しい映画なんだけど、とても深いところからお土産を持って帰れるような作品なんですよ。

 

なにせね、妥協しないディズニーが偏見や差別を真正面からズドンと中心に置いて作品を作ったわけですよ。

だからそういった偏見や差別を、ある時は真っ当に、ある時はそれを逆手にとって、時には僕ら観客が無意識に持っている偏見さえも使って徹底的に描き尽くしてるわけです。

 

つまりどういうことって?

 

 

差別する人はする人、差別される人はされる人、NO!世の中そんな単純じゃない!ってことなんです。

例えば悪い人だから差別するとか、良い人だから偏見を持ってないとかそれすらもすでに偏見で、この映画では差別する方と差別される方のポジションが決まったものとして描かれてないのがすごいところなんですよ。

だから人種差別に性差別や外見での偏見や自分世界の偏見や無知からくる偏見などなど様々な形の差別や偏見が描かれるのです。

つまり完璧な人なんていない、我々の誰しもが何かしら偏見を持っているってことをちゃんと描いているんです。

だってそもそも主人公のジュディがそのテーマを体現するかのように、差別や偏見をされる側であり、逆にする側でもあるわけですからね!

 

じゃあジュディは性格が悪いのかって?

 

そうじゃないんです、そういう性格が良い悪いとかは差別や偏見にあんま関係ないってことなんですよ。誰が見たってジュディは良いウサギなのに所々で無意識的に偏見を持ってるんですよ。

例えば、「子供頃自分にトラウマを負わせたあいつが悪いだけでキツネ自体は何も悪くないウサギだって悪いのもいる」的なことを言いながらも、初めて街で見かけたニックをキツネだから何か悪いことしてるに違いないと無意識に尾行したり、常にベルトにはキツネ除けスプレーを携帯してます。

それにジュディは自分は外見で差別される事を嫌だと思いながらも、自分も色々なものに対して無意識に外見で決めつけや偏見を持っています。

しかも、レトルトのにんじんが蓋を開いて外見のパッケージの写真とは違って小さかったから捨てたり、ボゴ署長がタマネギと言った球根をちゃんとした名称で呼ぶように正そうとしたりと、つまりは外見と中身が正しく一致している事に固執していて、これも外見の正しさへの偏見ともとれます。

あと、30秒過ぎただけで駐車違反を切ったりとかも、1秒でも過ぎたら違反っていう外見上はまあそりゃ正しいんだけど…とか。

しかもその外見の正しさへの偏見に、生物学的根拠という材料は悪い意味で相性が良く、それぞれの単なる「違い」がやがて「差別」という上下の関係性に徐々に変わっていく後押しをしてしまうのが厄介なのです。

ジュディのように正しさに固執するってことは視野を狭めることになるし、利用されかねないってことなんですよね。

 

ちなみに、警察官のジュディとは対照的に詐欺師のニックの方が外見で偏見を持たないキャラとして描かれてるのも面白いですね。

 

だから無意識に偏見を持ってしまうところも込みで観客が共感しやすいジュディというのはこの作品の定規みたいなもので、ジュディを通して差別されたり無意識に差別してしまったりという感情の動きを観客も感じる事ができるんです。

しかもその方法として上手くてちょっと意地悪なところは、無意識の偏見というのがだいたいギャグとして出てくるんですよね。

要は映画の動物ギャグってのは現実世界で言う人種ギャグを表していて、〇〇人は〇〇だと言う決め付けを動物たちの特徴に置き換えられていて、その決め付けとのギャップで笑わせられるわけです。

だからあそこで爆笑したってこと=(イコール)偏見持ってたわ〜ってことがギャグとして次から次へと描かれるわけです。

 

つまり笑った数だけ自分が無意識に偏見持ってたということを楽しく気付かせてくれる映画でもあるんですね。

 

僕ですか?山ほど笑いましたよ。笑

 

 

あと、動物達の実物そのままのサイズ感もジュディの大きさを基準として分かりやすく体感できるところもまさにジュディは定規のようですね。

 

 

 

「道具」と「内面」と「繰り返し」

 

なんのこっちゃいー!って?

 

いやいや、この映画って道具の使い方がとても上手いんですよ!

物語を直接進めるアイテムにもなるし、キャラクターの内面や変化や成長を表すのにとても道具が有効に使われてるんです。

 

具体的には、

 

「録音機能付きにんじんペン」

 

「警官バッジ(シールも含む)」

 

とりあえず、まずはこの2つだけでも注目して映画を観てみると面白いかと思います。

にんじんペンはジュディニック(偏見を持った他者)への理解と信頼を、警官バッジ(シールも含む)は世界をより良くしたいという“夢”を、それぞれ表しています。

この2つの道具は何度も繰り返し出てきます。

そしてその度にジュディニックの間を道具が行ったり来たりするんだけど、道具の使い方でそれぞれの内面や関係性が変化していってるのがスマートに表現されています。

例えば、最初ににんじんペンが出てきたのはジュディニックを捜査に協力させるための脅迫の道具として(まだ全然信頼してない)、2回目にペンが出た時はわざと“フェンスの向こう側”にペンを投げて後戻りできない状態(2人を共犯関係)にする為、3回目にペンが出た時はジュディニックに警官志願用紙と一緒にペンを渡した(脅迫の解消、つまりニックを信頼した)時に、そしてあと2回にんじんペンは出てきますがそれは実際に映画を観て確かめてくださいね!

最後の使い方なんかはテンション上がりますよ!

 

警察バッジもしかりで、ジュディやニックの“夢”の距離感として効果的に使われてます。

 

 

そしてさっきは敢えて書かなかったんだけど、形の無い道具として

「お芝居」

というのがあります。

映画が始まった瞬間から、学校の演劇の発表会として肉食動物に食べられるという「お芝居」があります。

個人的にはこれも”形の無い道具”だと思っています。

この形の無い道具はジュディの内面の物語(トラウマ)を表しています。

これも繰り返し出てきます。

 

内面ってどういうことって?

 

内面は内面でしょ!大事ですよ〜!

最初は、かつて大昔に肉食動物は草食動物を襲っていましたっていうのを今はもうそんな事は無いけど昔話の伝承として安心して演じるわけです、つまりフィクションです。

次にそのすぐ後で道具が出てきた時はお芝居と同じシチュエーションでキツネのギデオン・グレイから傷を負わされてしまう、つまりそのフィクションが壊されてしまいます

それが元でジュディは壊れたフィクションを抱えたまま大人になるんだけど、つまりそれが心の奥底にトラウマとして残ってしまうことになるんですよね…。

それが結構重要な問題で、確かに表面上で展開される肉食動物連続失踪事件を追うというメインストーリーはありますよ?

しかしそれとは別にこのジュディの内面のトラウマを克服しないことには真の意味でキツネのニックとバディにはなれないってことなんですよ。

でもやっぱこの『ズートピア』、すごいですね!

この形の無い道具が3回目に出てくるところでは、これ以上ないってほど見事な使い方でジュディの内面の物語を回収していくんですよ!

観た人なら分かるかと思いますが、壊れたフィクションを自分でまた作り直すんですよね。

しかもそれが出来たのは外見での偏見を超えてニックへの理解や信頼があってこそ、そして覚えてますよね?それを象徴する”形のある道具”と、さっき言った”形の無い道具”のまさかのコンビネーション技『ズートピア』の中の全ての物語を回収していくという見事としか言えない展開は最高ですよ!

 

 

なになに、一体どういうことって?

 

それは観て下さい!笑

最高なんで!

 

 

 

 

ちゃんと狂ってもいる!

 

まあさっき言った「繰り返し」とも共通するんだけど、この『ズートピア』って映画の中で1度でも出てきた言葉や出来事やギャグや登場キャラなど、かならずもう1度ならず2度3度と映画内で繰り返されて出てくるんですよ!

ほぼ全がですよ!?

 

何言ってんのって?笑

 

そうなりますよね!

いや、でもこれマジなんですよ。笑 

 

例えばジュディが警察署に配属された初日のボゴ署長の朝礼「新入りを紹介すべきだな、だがどうでもいいので省く」(ウサギが警官に向かないと偏見を持ってるので本心で言っている)というセリフ。

そして最後にも同じセリフが言いますがそれはボゴ署長が仲間として認めて親密なコミュニケーションの1つとして言います。

 

確かに同じセリフの繰り返しだけど何かが違うって?

 

それは鋭い!そうなんですよ!

同じ事の繰り返しでも、必ず1回目よりも発展した形で使われるんです!

だって単なるつまみ食いのブルーベリーにしたって重要な役割として再登場するぐらいですからね。

僕はこれは伏線とはまたちょっと違うきがするんですが、映画内で繰り返した言動が意味のある発展系だとなんか気持ちいいですよね。

例を挙げればキリが無いほど沢山あるし、もし仮に全部挙げればそれはもうズートピアを最初から最後まで再生したのと同じになるのでこの辺にしときますが。

つまりそれぐらい繰り返しのピースだけで完成したパズルのような作品なんですよ。

ちょっと、どうかしてますよね?笑

 

でも観た人それぞれに、必ずお気に入りの繰り返しが見つかると思うんでその辺も注目して観ると面白いと思います!

 

 

おわりに

これだけ大それたテーマを持った映画なのに終始笑えるんですよね。

しかも大人も笑える、むしろ大人だから笑えるギャグも沢山あって、その辺は共同監督の1人でもあるリッチ・ムーア監督が元々は『シンプソンズ』や『フォーチュラマ』などのブラックジョーク全開の作品を作っていた影響もあってかこの『ズートピア』でも皮肉が効いたギャグが沢山ありましたね。

多くの人が印象に残るのは大ヒット作『アナ雪』の有名なフレーズを自虐ネタとして使うところじゃないですかね。

僕も初めて劇場で観た時はびっくりしましたよ。笑 

劇場ではみんな笑ってましたしね!

 

そんなに笑えて楽しいのにメッセージとしての強さが、シリアスじゃなくてもしっかりと伝わってくるのが良いですよね。

この機会にあらためてこの映画の凄いところを考えてみると、この作品って「偏見や差別はいけません!」って事をそこまで全面に押し出して言ってないんですよね。

なんというか、偏見や差別がダメなのは当たり前でこの映画はその先のことを言ってると思うんです。

 

つまり多様性ってなんて楽しいんだろう!ってことなんですよ。

 

やっぱ、こういうテーマを題材にした作品なら「してはいけません!」という否定の方向が割と多いと思うんだけど、この『ズートピア』に関しては「こっちの方が楽しくない!?」という肯定を観客に投げかけてけてくるんですよ!

否定と肯定、どちらが子供を含めた大勢の人に届きやすいのかと考えた時にこのテーマに対して大袈裟に言えば1つの答えを示してみせたと言ってもいいんじゃないかと思います。

 

『ズートピア』では偏見や差別が生まれる心情の複雑さも描いてましたね。

その中には、偏見や差別の感情が生まれる背景に子供の頃にそういった経験を受けて、更にそのトラウマを強化するように親が偏見を教えてしまう、そうやって育った子供も無意識に偏見を持ってしまうその負のスパイラル

ジュディも両親から「キツネはずるい」と言われて育ったために、その偏見が心のどこかに残ってしまってました。

ジュディニックも子供の頃のトラウマが原因で偏見を持ってしまいます。

そして偏見を生み出する原因となったその厄介なトラウマを大人になってようやくお互いに解消してあげる物語でもあります。

それが映画における真のバディというものなのです。

 

もし多感な子供の時に偏見や差別を受けてしまう機会や触れてしまう機会がなければ、負のスパイラルを止めることが出来れば、その子達が大人になった頃にはほんの少し良い世界になっているかもしれませんね。

それぐらい幼少期に触れるものは大事なんです。

だから子供が最初に触れる機会の多いディズニーの作品で、映像や技術やアイディアや物語の全てでもってたゆまぬ努力の末に「多様性の楽しさ!」を大いに叫んだこの作品がアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞したことの意味は確かにあるような気がしますね。

 

まあそれでも実際はなかなか上手くは行きません!社会は複雑です!

多様性は楽しい!と分かっていてもそれはなかなか難しいものです。

簡単になんて行くわけない、そんなことは『ズートピア』の作り手たちも分かっています。 

 

そこで最後にまた繰り返しの話をほんのちょっとさせて下さい。

 

「トライ・エヴリシング」という曲が序盤に流れるんですが、これは夢を追いかけて大都会へ行くジュディの心情にシンクロした歌詞の、アメリカらしいポジティブソングとして聴こえますよね!

 

 

トライ・エヴリシング

日本語歌唱:Dream Ami
作詞:Sia Furler/Tor Erik Hermansen/Mikkel S. Eriksen

作曲:Sia Furler/Tor Erik Hermansen/Mikkel S. Eriksen

 

Oh,oh,oh,oh,oh
ダメだった うまくいかない そんなことばかりよね
それでもね 進んでいくの ちゃんと前を向いて
間違えることでやっと分かることだってあるから
あきらめないでいこう どんなことがあったとしても
何度でもダメだとしても向かっていけばいいよ
あきらめないでいこう どんなことがあったとしても
何度でもそう何度だって向かっていけばいいよ

Oh,oh,oh,oh,oh   やるのよ
Oh,oh,oh,oh,oh   何度も
Oh,oh,oh,oh,oh,  やるのよ

Oh,oh,oh,oh,oh

ねぇ平気よ うまくいくわ がんばりすぎないでね
少しずつ進めばいい できることをやるだけ
あきらめないでいこう どんなことがあったとしても
何度でもダメだとしても向かっていけばいいよ
あきらめないでいこう どんなことがあったとしても
何度でもそう何度だって向かっていけばいいよ
失敗することでもっと強くなっていくんだから
だからいいの

Oh,oh,oh,oh,oh   やるのよ
Oh,oh,oh,oh,oh   何度も
Oh,oh,oh,oh,oh   やるのよ

Oh,oh,oh,oh,oh

やってみるの

  

 

 そして2回目、ラストの物語の終わりにガゼルがステージでこの曲を歌う時にまた流れます。(歌詞の字幕が表示されないのは残念ですが)

全く同じことを歌っているのに、その時は1回目のジュディの個人的な夢への挑戦という歌詞ではなく、さらに発展したもっと大きな意味でのトライ(挑戦)としてこの歌のが聴こえるようになってますよね!

 

 

現実の社会が理想とかけ離れてるのは分かってる。

でも、私たちはより良い世界を作れると信じて、

やってみるの!

今回はダメでも、

何度も!

諦めてしまわずに、

やるのよ!

未来を向いて、

全部やってみるの!

 

そんな力強いメッセージを感じる、すごい熱の込められた映画なんです!

 

結局トライし続けることでしか世界は良くならないのかもしれません。

それもほんの少しずつ。

進んでは揺り戻して、進んでは揺り戻して、ジリジリと前進する。

まさに「三歩進んで二歩下がる」を繰り返す、それはとても大変なことだと思います。

しかし、人々がトライする事をやめた時、きっと何かが終わってしまうような気がしますね。

 

なんか紹介がこんなところまで行くとは思いませんでしたけどね!笑

 

しかしこれで、この映画に興味を持ったり、もう観た人が何か再発見できたりしたのなら幸いです!

 

 


『ズートピア』予告編